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第三十一話 似非令嬢と似非皇帝の過去②

 貧民街にお貴族様がやって来るのはかなり稀だ。小金持ち、たとえば騎士爵とか商家などの娘と思わしき女がふらりと迷い込んできたという事例は数度見た記憶があるが、それだけ。

 だからあのボンボンのことは印象に強く残っていた。


 ペンダントを盗ってから三、四日後。

 いい標的になるような人物を探すべく、貧民街を隠れ潜みながら歩いていたコソ泥は、自分よりは大きな子供の人影を見て足を止めた。


「え……あれって」


 少々距離が離れているが視力がいいコソ泥は、はっきりとその姿を視認できる。

 黒い髪、紫紺の瞳、仕立てのいい服。どこからどう見てもあのボンボンだった。


「わたしを探してるんじゃないでしょうねぇ」


 きっとそうだ。そうとしか考えられない。

 そもそも前回の時、彼がなぜ貧民街に訪れたのかはわからないが、きょろきょろしているところを見るに今回の目的は絶対コソ泥である。


 このままずっと潜んでいたら、ボンボンはコソ泥を見つけられずに退散してくれるだろうか。

 そう思い、陰ながら少年を追いかけた。


 コソ泥は他人を尾行するのが得意中の得意だ。ペンダントを盗った時だって、目をつけてからしばらくは様子を見て、それから掻っ攫った。

 何せ小柄なので力では相手に敵わない。代わりに技術を磨いた結果、そうなったというわけだ。


 どこからともなく汚臭の漂う貧民街を駆け、歩幅の広い少年に合わせる。

 そんな時間がどれほど続いたか。通りを行く薄汚い人々に「赤毛の女を知らないか」と声をかけては嫌そうな顔をされるボンボンを十度以上は見た気がする。

 それなのに、ボンボンはコソ泥を探し続けた。――すぐ背後にいるとも知らずに。


「なんでまだ帰らないのよ……」


 なんという執念深さなのか。お貴族様にとってはいくらでも替えがきくはずのたかだかペンダントのためでしかないのに、そんなにしてまでコソ泥を見つけたいのか。

 このまま放っておいたら夜まで貧民街に居座るに違いない……それがわかってしまったからコソ泥は仕方なく、姿を現すことにした。


 だってボンボンが、あまりにも哀れだったものだから。


「そんなに探しておきながらわたしの気配に気づかないなんて、温室育ちのボンボンの鈍感さには呆れたわ」

「……っ、お前は」

「あんたに彷徨かれると迷惑なのよ。ここはお貴族様が何度も来ていいような場所じゃない。わたしらと違って家もあればご立派な親もいるんでしょ」


 しっしっ、と手で追い払うような動作をして見せる。

 それが癪に触ったのだろう、ボンボンはぎりりと歯を食いしばった。


「散々探させておいてその口ぶりか。あのペンダントを返す覚悟はできたんだろうな」

「はぁ? 物分かりが悪いガキねぇ。あれはわたしのものになったの」

「自分のものにするのは買収する必要があるだろう。そんなことも知らないお前の方がガキだ」

「なんとでも言いなさいよ。お貴族様のボンボンだからって偉そうに」


 ボンボンは知るわけもないのだ。コソ泥が盗みをしないと生きていけない理由も、その経緯も全て。


「今日こそペンダントを返してもらおう」

「口ばっかりじゃなくて、力づくで押し倒してでも奪い返してみたら? この貧民街では奪った奴が勝つ、弱肉強食が当たり前なんだから」


 弱ければ命が奪われたって文句は言えない。

 小さな腕をめいっぱい広げて、「さあどうぞ」とばかりに構えてあげたのに。


「……ガキをいたぶる趣味はない」


 そんな甘っちょろい答えが返ってきたから、笑ってしまった。


「正義の味方のつもり?」

「俺はお前の推測通り、一応は貴族家の出身だ。興味本位で市井の暮らし、そして貧民街の治安を調査するために来た」

「へぇ。で、結果は?」

「俺より遥かに小さな子供がペンダント泥棒をするほど最悪のレベルであることがわかった。……金が欲しいなら施してやる。だから返せ」

「別にいらないわ、施しなんて。わたしはわたしの手で幸せを掴む主義だもの」


 ボンボンとわかり合えるとは端から思っていなかった。これ以上話しても、どこまでも平行線になってしまう。

 コソ泥だって暇ではない。


「ボンボンのあんたにはわかんないのかしら。相手の善意に頼ってたって何にもなんないの。あんたもあんたの手で何でもやらなきゃ、そのうち足元を掬われるわよ」


 くるりと踵を返し、その場を立ち去る。

 ボンボンはなんとも言えない切なそうな目をしたが、見なかったことにした。




 ボンボンは、いつも馬車で貧民街の入り口まで乗り付けて来ているらしい。

 そのことを知ったのは、豪華な馬車から降りてくる彼の姿を目にしたからだ。


 奪い返そうとしない割に、そこまでこだわれるのは素直にすごいと思う。

 さすがに毎日ではないが数日に一度は必ず現れるようになったボンボンは、馬鹿の一つ覚えのようにペンダントの返却を求めてきた。


「またあんたなの? しつこいったらありゃしない。早く諦めなさいよ、ボンボン」

「そういうわけにはいかない。まだどこかに隠し持っているんだろう?」

「あんなのとっくに売り払ったっての」


 嘘だ。あのペンダントは常に持ち歩いているし、力づくで身を暴かれたらそれまでである。

 コソ泥より圧倒的にボンボンの方が図体がでかい上に力もある。でも彼はやはり乱暴な真似をしようとはしないのだ。


 けれど迷惑なのは確かで、それとなく誘導してゴロツキと蜂合わせさせたり、新たに彼の持ち物――たとえば腰に刺す剣を奪ってみたりもした。


 ボンボンからひどく怒られたが、それでもなおボンボンは貧民街へ訪れることをやめない。

 コソ泥はやがて彼を追い払うのが面倒になって……やめた。


 以来、絡んでくるボンボンに適当に相手してやりながら、彼が飽きるのを待っているのだった。


「わたしといたらお貴族様の品位が落ちて、汚らしさが感染るわよ」

「俺はお前といたいんじゃない。こんな薄汚いところに誰がわざわざ足を踏み入れたいものか。ただペンダントを返せと言っているだけだ」

「返さないっての」


 くど過ぎる。


「……ねぇ、あんたはわたしのこと、気味悪く思わないの? わたしってほら、忌み嫌われる赤毛でしょ」


 自分の赤毛を手でくるくるといじる。

 この髪が嫌いじゃない人間なんて、出会ったことがない。もしかすると赤毛の人間が多い隣国に行けば話は別なのかも知れないが、そこまで渡る財力がないコソ泥には到底無理だ。

 あるいは、ペンダントを売ればそれも叶うのだろうか。


 そう考えながら、ちらりと伺ったボンボンの顔にはっきりとした嫌悪は見て取れなくて。

 当たり前のように言うのである。


「くだらない。お前は盗人なのだから、髪色など気にするまでもなく悪党だろう」

「ふ、ふふ、あははっ。そりゃあそうだわ。確かにわたしはあんたからしたら憎きペンダント泥棒でしかないものねぇ!」


 相変わらず隠し持っている例のペンダントが、ボンボンにとってどれほど価値のあるものかは知らない。

 これほど執拗に「返せ」と言ってくるくらいの品ではあるのだから、ペンダントを奪ったコソ泥に対しては当然ながらいい気がしないのだろう。


 ――それでも。


「髪色以外でわたしを嫌ってくれるのなんてあんたが初めてよ」


 そのことがわずかに嬉しく思ってしまったのはどうしてなのか、コソ泥にはわからない。

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