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第二十三話 ペリン公爵令嬢からの忠告②

 庶民に扮して街へ出かけ、久々に力を振るってしまった翌日。

 謁見の間にて、皇帝は一人の女と対面していた。


 ミリア・フォークロスと……ではない。彼女の元へちらりとでも顔を見せようかと思っていたが、疲れが出たのか普段より遅くに目覚めたのでその時間が取れなかった。


 今目の前にいる亜麻色の髪をした女はペリン公爵家の令嬢。

 橄欖石(ペリドット)の瞳はわずかに伏せられ、皇帝の足元を見つめている。

 大抵の人間はそうだ。皇帝の目つきを恐れてまともに視線を合わせようとしない。ミリア・フォークロスが特殊なだけなのだ。


 ――とはいえこの令嬢も、それほど臆病には見えないが。


 以前、彼女が城へやって来た日にも言葉を交わしたが、その振る舞いは完璧そのもので、なるほど一部の家臣どもが彼女を婚約者にと推してきたわけだと納得したくらいだ。皇帝を前にしてわかりやすく怯える女では、当然皇妃は務まらない。

 もっとも、皇帝がペリン公爵家令嬢を皇妃に据えるつもりはないのでその話はもみ消している。


 特別に面白い相手だとは思えなかった。それに何より、彼女を妻に迎える資格など、とっくに失っているのだ。


 少々考えごとをしていた最中、「イーサン様」と名を呼ばれて、胸の中にもぞりと不愉快なものが蠢いた。

 それを見て見ぬふりをして皇帝は答える。


「どうした」

「本日までの期間、婚約の手続きと、そして滞在をお許しいただき誠にありがとうございました」

「大したことではない。貴女は政略の駒として嫁ぐのだから、この程度の計らいは当然だろう」

「そうだとしても、です」


 ペリン公爵家令嬢の声は、凛としていて揺らぎがなかった。

 ミリア・フォークロスの甘ったるくも思えるそれとはまるで違う印象であるのに、芯の強さはどこか似ていた。


 だからだろうか。皇帝は思わず、余計な一言を添えてしまっていた。


「せめて貴女に幸があることを祈っている」


 ペリン公爵家令嬢は、まもなく隣国の王子妃となる。

 彼女と自分の縁談をもみ消した代わりに、政略的な観点から厳選して皇帝が選んだ話だ。すでに隣国に送った書簡でその旨を知らせて返答を得ていた。諸々の手続きを終えたためあとはペリン公爵家令嬢を送り出すだけだった。


 勝手ながら、そんな彼女のことを哀れだと思ってしまう。

 だからこそ祈らずにはいられなかったし、その想いを口にしてしまったのだろう。


 おかしくはないはずだ。帝国の太陽たる皇帝であれば、優しい言葉をかけるのは当然である。

 しかしながら皇帝の言葉を受け、ペリン公爵家令嬢が心底驚いたように顔を上げた。


「……っ! ありがとう、存じます」


 それからしばらく悩ましげな沈黙が落ちて。

 やがて、彼女は言葉を続ける。


 一聞すると、まるで脈略のない言葉を。


「わたくしの元婚約者はとある侯爵家の令息でした。普段はそっけないのに優しくて、そのお優しさが嬉しく、いつしか恋しく思うようになり……将来結ばれるのだと信じて疑っておりませんでした。けれども五年前に重い病に臥せって以来、一度も顔を合わせぬまま、先日この世を去ったそうです」

「それがどうした?」

「貴方様は、その方によく似ていらっしゃいます」


 ――。

 ――――――。


「余はイーサン・ラドゥ・アーノルドだ。それを疑うとでもいうのか?」

「そのような意図はございません。ただ、懐かしいと、そう思ってしまっただけでございますので」


 凛とした声は、心なしか先ほどより鮮やかで、なのにどこか物悲しく響く。


 皇帝はただただ押し黙った。押し黙るしかなかった。

 喋り出してしまったらきっと、こぼれたらいけないものが溢れてしまうから。


 ペリン公爵家令嬢ハリエットにはかつて婚約者がいた。

 両家の当主が親しいからと酒の席のノリで決められただけの婚約だ。互いの領地は隣り合っていて、本人同士も幼馴染と言って差し支えない間柄でもあるというのも大きな要因であったに違いない。

 婚約者の男に大した取り柄や特徴はない。強いていえばそこそこ美形だったということくらいか。

 いつもイーサンの傍にあり、付き従っていた。


 チェロニル侯爵家の嫡男だったデズモンド・チェロニルという名の彼が、イーサン・ラドゥ・アーノルドの異父弟であったことは誰も――皇族を除いて誰も知らない。

 決して誰にも漏らしてはならないと先代皇帝が言い、秘密は守られ続けてきた。


 最愛になりたいと嘯き、無闇矢鱈に傍に寄ってくるあのミリア・フォークロスにすら当然知らせていないというのに。


「戯言を」


 口の中だけで呟きながら皇帝はペリン公爵家令嬢を思い切り睨みつける。

 相手が怯まないと、怯むわけもないとわかっていながら圧をかけたのは無意味そのもの。単に癖になっているだけだ。

 ペリン公爵家令嬢からはただ静かな微笑みを返されるだけだった。


 もしこれで視線を向けられていたら、たじろいでしまっていただろう。

 頑なに目を伏せている彼女の感情は推測できたが、あえて知りたいとは思わない。


 言葉にし難い緊張状態はどれほど続いただろうか。一瞬のようにも、長い長い時間のようにも感じられた。

 どちらにせよ、「わたくしはそろそろお暇いたします」と告げられ、安堵してしまったということだけは確かだ。


 それがなんだか無性に腹立たしくなったが、腰に差している剣に手をやるのはどうにか(こら)えた。

 昨日もミリア・フォークロスを……何事にも動じなさそうな彼女を震え上がらせたばかり。あれは彼女に危害を加えられては面倒ごとになる故であったからまだしも、さしたる大義もなしに蛮行に走るなど、皇帝のなすべきことではない。


 自分は皇帝である。どこまでいっても、正しき皇帝であらねばならないのである。

 近頃忘れ気味になっている自覚を新たにしなければと、強く強く己に言い聞かせた。


 もう大丈夫だ。

 皇帝はやっと、口を開いた。


「馬車の手配は済んでいる」

「では、ご厚意に甘えさせていただきますね」


 立ち上がってくるりと背を向け、このまま立ち去る……かと思いきや。

 途中で足を止めたペリン公爵家令嬢は「余計なお世話ですが、最後に一言」と付け加える。


「かの侍女、フォークロス伯爵令嬢には充分にお気をつけなさいませ」


 ――どうしてここで、彼女の名が?


「イーサン様は、彼女が囁かれている異名をご存知でしょうか」

「余に忠告するか。どうせ、くだらぬ噂の類だろう」


 確かに、ミリア・フォークロスの素性について調べていた時に耳に入ってきた彼女の異名があった。

 『社交界のコソ泥』などと、まったく馬鹿馬鹿しい。


 コソ泥、と聞いて頭の隅に引っかかるものがないわけではなかった。

 体は枯れ枝のように今すぐにでも折れてしまいそうなのに不敵で豪胆で、勝気な笑顔がよく似合う、十を少し越えたくらいの年齢の小娘の姿が浮かび上がる。

 だが皇帝はすぐにその像を脳内からかき消した。


「くだらぬ噂の可能性は高いでしょう。けれど、火のないところに煙は立たぬと申します。イーサン様も彼女のことを見守っておられたようですが、勝手ながらわたくしはフォークロス伯爵令嬢について使用人たちに聞き回っておりました」

「何か知れたか?」

「残念ながら何も。しかし一つ言い切れるのは、彼女は只者ではなく、皇妃にしようものなら小さくない損害が出かねないということです」


 ……なるほど。やっと理解を得た。

 影の報告書を見れば皇帝の行動は筒抜けである。当然、ミリア・フォークロスのわがままに付き合ってやったことも知れ渡っているだろう。

 この女は、何でもないような顔で嫉妬しているのだ。


「全てを決めるのは余であり、貴女が口を出す権限はない」

「やはりイーサン様もわたくしの忠告を聞き入れてはくださらないのですね」


 ほんの少し寂しげな顔をされて、胸が詰まりそうになる。

 そんな感傷など不要だというのに。


 だから――あえて冷たい声で言い放った。


「下がれ」


 きっともうペリン公爵家令嬢とこうして対面することはないだろう。隣国の者になれば国内に迎え入れるつもりはないため、これっきりになるに違いない。

 だがこれでいい。これが、いい。


「承知しました。貴方様と再びお話しさせていただけましたこと、たいへん嬉しかったです。……貴方様にもご多幸がありますように」


 この時、初めて目を合わせられる。

 今にもこぼれ落ちそうなほど美しい橄欖石(ペリドット)は、何かを必死に(こら)えるようだった。


 ――許さなくても構わないから、だからどうか、忘れてくれ。


 心の中の呟きは、今度こそ謁見の間をあとにする彼女には届かなかった。

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