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第二十一話 盗人少年を追うコソ泥と、殺戮の血まみれ皇帝

 口を開くに開けない、なんとも重たい空気。

 もう少し歩けば馬車が見えてくるはずで、デートの終わりが近づいている。


 この空気はまずい。せっかく皇帝陛下を楽しませるよう努力した苦労が水の泡になる。

 皇帝陛下が強く在る理由を訊いたことを後悔してはいない。抱いて当然の疑問だったと思うし、繊細な話題に触れることで距離が縮まることもあるからだ。

 後悔していないながらも、どうにかしなければ……と頭を悩ませていた、その時のことだった。


「……っ!?」


 皇帝陛下との話に意識を向け過ぎていたせいだろう。

 向けられる視線が一つ増え、付け狙われていることに早く気づけなかったのは。


 それはまるで疾風のように駆け抜けていった。

 咄嗟に皇帝陛下を抱き寄せるも、遅い。彼の腕からブレスレットが引き抜かれ奪われる瞬間をなんとか目で追えただけである。

 持ち去った人物の背丈は小さく、おそらくまだ子供だった。


 状況を呑み込むのに要した時間は一秒足らず。

 抱えていた荷物を皇帝陛下に押し付けて、気づけばミリアは走り出していた。

 デートの空気がぶち壊しだとかいう憂いは一気に吹っ飛んだ。そんなことに構っている場合ではなくなってしまったので。


「今のはなんだ? 待て、どこへ行く!」


 背後から聞こえきた皇帝陛下の声がどんどん遠くなる。

 あとでどう言い訳したものかは悩ましいけれど、今は考えないことにしよう。


 ――こんなところでスられるなんて。油断したわ。


 皇帝陛下のブレスレットが奪われた。

 年端のいかない子供にまんまと出し抜かれたのである。


 いつものやたらと踵の高いヒールを履いていないおかげですぐに走れたのは不幸中の幸い。

 軽やかな身のこなしで近くの建物の壁によじ登り、屋上に達すると、通りを曲がって脇道を行く少年の姿が視認できた。


 すっかり夜の帷が降りているが、月明かりがあるし、何よりミリアは夜目がよく利く。

 それでも姿を眩まされやすいことに変わりはないけれど。


「ちゃんと捕まえられるかしらねぇ……」


 ため息混じりに呟きながら、少年の後を追い始めた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 帝都の大半は、今日デートで巡ったような店が立ち並ぶ活気に溢れた街だ。

 それ故だろうか。少しはずれたところにゴミの溜まり場のような区域があっても、外の人間は誰も目を向けない。


 溜まり場の名は貧民街。ミリアが生まれ育った、薄汚れた子供と盗人とゴロツキばかりの懐かしの場所だった。

 五年以上前に去って以来縁のなかったその地に訪れた理由はただ一つ。少年を組み伏せるためである。


 盗人少年とミリアの逃走劇は長引いて、少年の住処であるらしい貧民街までもつれ込んでしまった。

 最後は屋根から飛び降りて少年に掴みかかるというかなり乱暴な方法で取り押さえた。そうでもしなければ逃げおおせられていたと思うくらいには厄介だった。

 それでも貧民街の中で凄腕と言われた元コソ泥が負けるはずもなかったのだが。


 走ったせいで荒くなった息を少年に浴びせかけ、ミリアは笑う。


「はぁっ、はぁっ。ずいぶんと、逃げ足が早かったじゃない」

「なんだ……おまえは。その格好、金持ちの娘か何かじゃないのかよ……」

「問答してる時間はないの。ブレスレット、返してもらうわ」


 少年の手に握られていたブレスレットを取り上げ、何も着けていなかった方の腕に嵌める。

 少年はミリアを見上げてぎりりと歯軋りをした。


「ご愁傷様。悔しかったらもっと腕を磨きなさいよ」


 少年の行いを責めるつもりはない。

 だってミリアも同じだったから。否。過去形ではなく今現在だってそうだ。

 ミリアにとって、そして少年にとってもおそらく、盗みは生きる手段なのである。ミリアと同様に一眼で高く売れると見込んで盗っていったのだろう。


 それをわかった上で、許容しなかった。できなかったとも言える。

 皇帝陛下と出かけて手に入れた思い出の品を盗られては、彼の機嫌を大きく損ねて不利益を被りかねない。なので奪い返させてもらうのが一番穏便な手だった。


「今回は見逃してあげる。次やった時は容赦してやんないから」


 これで、あとは無事に皇帝陛下と合流すれば万事解決。

 そのはずだったのに。


「よぉ、誰かいると思ったらかわいい嬢ちゃんじゃねぇか」

「道に迷ったのかい?」

「どうせそこの子供とイケナイことでもしてたんだろ」

「ここはオレらの縄張りだぜ。持ち物全部置いていけよ」

「できないなら体で払ってくれてもいいけどなぁ」


 げっ、と思って見渡せば、いつの間にやら両脇に一人ずつ、前方に一人背後に二人の合わせて五人に取り囲まれていた。声からして全員男のようだ。

 貧民街では、外から迷い込んできた人々を狙い、徒党を組んで襲うゴロツキどもがいる。こいつらはその系統で、ミリアを格好の餌食と捉えたらしい。


 ――はぁぁ、これまた面倒な奴らが出てきやがったわ。


 五対一、しかも組み伏せている最中の盗人少年までいる。先ほどまでとは旗色が変わった。

 これだけの人数が相手だとさすがにミリアが不利である。


 久々の貧民街。久々の修羅場。

 かつらを脱ぎ捨ててやったらどのような反応をされるだろうかと考えて……やめた。

 忌み嫌われる髪色を晒せばゴロツキどもは簡単に諦めてくれるし、皇家の影の目からはとっくに離れている。けれども、万が一にもミリア・フォークロスが赤髪であると知れ渡るのはまずいのだ。

 だから取れる作戦としては、強気な態度で相手を怯ませ、その隙を突く以外になかった。


「デートの最中をこの子に邪魔されて、最悪の気分なの。話しかけないでくれる?」

「なんだよ嬢ちゃん、喧嘩売ってんのか」

「だとしたら何? 図体がでかいくせに一人じゃ何もできないゴロツキが、手出しできるもんならやってみなさいよ」


 このような嘲笑うような言葉を自信満々に向けられて、たじろがない人間は少ない。怒るにせよ、少なからず心当たりがあるなら普通はそうなる。

 ゴロツキどもの大半もミリアの予想通りに押し黙った。一人の例外を除いて。


「なんだと!?」


 その男は直情的な性格であったに違いない。

 盗人少年から身を離し、ゴロツキとゴロツキの間を抜けようとした瞬間に飛びかかってきたので、少し対応が遅れた。

 捕まるなんていう失態は犯せない。身を翻してどうにか回避、しようとしたのだが。


 足元から手が伸びてきて、受け身さえ取れずに転かされる。

 伸ばされた手が少年のものだと気づいたものの、倒れてしまってから気づいたのではどうしようもなかった。


 うつ伏せになったと同時に腕が少年によって捻り上げられ、身動きを封じられた上でゴロツキが覆い被さってくる。

 少年の狙いは当然ブレスレットだ。そしてゴロツキの男は、ケダモノそのものだった。


 してやられたというやつである。


 やばい。非常にやばい。

 ミリアの脳内で警報が鳴り響く。本当にやばい。


 このままでは皇帝陛下のところに戻れなくなってしまうではないか。


 ゴロツキや盗人少年への恐怖はない。早く戻らなくては、とそれだけを思う。

 だからだろうか。皇帝陛下の声に似た幻聴が聞こえてきた。


「そこで何をしている」


 氷のようなそれは本物そっくりで、そんなわけはないのに、ミリアは声の方を振り向いた。

 まさか、そこに人影が立っているなど思いもせずに。


「もしかしてわたし、幻覚でも見てるの?」


 思わずそう呟いてしまったが、ミリアに馬乗りになっている男も「誰だ!?」と声を張り上げたので、幻覚でも幻聴でもなかった。

 本物だ。本物の、皇帝陛下だ。


「その女に寄るな、屑どもが」


 夜風にはためく黒の外套。

 獰猛な獣のような血の色の瞳をぎらつかせた彼は、懐から取り出した剣を握りしめていて――。


 止める間もなかった。

 あ、と声を漏らすと同時、ゴロツキのうちの首が宙を舞っていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そのあとのことは、なんと言い表せばいいのかよくわからない。

 惨劇だった。決して善良な人間とは言えない者たちだったが、哀れになってしまうほどの惨劇だった。


 首を切り落とされた男の亡骸や、四肢をもがれて苦しむ別の男の姿が脳裏に焼き付いてしまった。

 ミリアの頬にまで飛び散った生温かい血液、そしてむせ返るような不快な血の匂いもこびりついて離れない。

 ゴロツキ五人を簡単に殺め、盗人少年にも剣を向けた皇帝陛下は、ミリアの見知ってきた彼とは全く違う。剣を血に濡らしながら眉一つ動かしはしなかった。


「そこを退け、ミリア・フォークロス。その子供を殺す」

「助けていただき、ありがとうございます。ですがどうか落ち着いてくださいませ」


 いつも通りの微笑みを貼り付け、どうにか皇帝陛下を宥める。

 まだ子供なのだから許せと強く懇願して、ようやく剣を収めさせることができたが、そうでもしなければ皇帝陛下は間違いなく盗人少年を斬っていた。


 つい先ほど、皇帝陛下が強く在る理由を問うたあと、確かミリアはこう考えていた。

 『まあいいわ。わたしの知ってる皇帝陛下は恐ろしくも優しい人なわけで、今のところ牙を剥いてくることもないし』と。

 あれを完全に訂正したい。


 苛立った程度でこれほど殺戮を行うのだとしたら、とち狂って何をやらかしてもおかしくない。

 圧倒的な恐怖を前に、膝が震えた。


「余が何故にこのようなことを行ったか、わかるな」

「皇帝陛下に手間をかけさせてしまった……そのことでしょうか。それともこの少年の行いに関してでございましょうか」

「その子供が余のものを奪って行ったことは許容しがたい。しかしながら所詮模造品(イミテーション)でしかない低価値な腕輪に拘った貴女は無謀の極みだ。貴女が命を落とせば面倒極まりない事態になることくらい、わかるだろう。皇妹の侍女たる身のくせにどこの誰ともわからぬ男に触れられたことも――余は腹を立てている」


 ミリアはこくりと首を縦に振る。それ以外の選択肢は、許されない。


「二度とこのような無謀はいたしません。皇帝陛下のお心をかき乱してしまったこと、謝罪いたしますわ」

「謝罪せずともいい。早く帰るぞ」

「……はい」


 立ち上がり、冷酷非道の血まみれ皇帝の手をそっと取る。

 冷たい掌に触れて……たった今人を斬ったばかりの手のはずなのに、恐ろしいはずなのに、なぜだか安心してしまった。


 食べ歩きの最中に繋いだ時の感触と全く同じで、殺戮を成したとは思えないくらい、優しく握りしめてくれたから。


「参りましょうか」




 盗人少年については赦されたらしく、ミリアがそうと悟られないように知らせると、彼は逃げていった。

 ミリアが『淑女の仮面』を被って態度が急変したことを不思議に思われたかも知れないが、その違和感は血まみれ皇帝の印象で塗り潰されるだろうから問題ない。

 あの少年がこの貧民街で上手くやっていけますようにと、少しだけ願った。


 デパートで衣類を買っておいて良かった。

 返り血を浴びた服は貧民街を出る前に着替えたので、殺傷沙汰があったことは誰にも知られないはずだ。

 まるで何事もなかったかのように、ミリアと皇帝陛下は帝都の入り口まで戻ってきた。


 馬車に揺られて城に到着してしまえば、たった半日なのに長く感じられたデートは、いよいよ終わる。


「本日はお付き合いくださいましてありがとうございました」

「余を退屈させなかったこと、褒めて遣わす。その上で問おう」


 血の色の瞳がミリアを見据えた。


「余が恐ろしくはないのか」


 先日、同様の問いかけをされた際はどう答えたのだったか。

 しかし今のミリアの答えは決まっていた。


「恐ろしいですわ。恐ろしいですけれど……優しい方でもあるのだと、ますます知ることができました」

「人殺しであるのに、か?」

「だってわたしが命を失うくらい、事後処理が面倒だとしても些事のはず。皇帝陛下は、皇帝陛下のご意志でわたしを助けてくださったのでしょう」


 思い込みかも知れない。そうでないとして、いくら情を抱いていても関係なく苛立ったからという理由で殺されるかも知れない。


 皇帝陛下は血まみれ皇帝の名に相応しい人だった。この目で初めて、彼の力を見た。

 それでも思う。わざわざ貧民街まで足を運び、剣を振るうことを選んだのは、単に苛立っただけではないような気がするのだ。

 ミリアたちがスリに遭ったあの場所から皇帝陛下がどうやって貧民街までやって来たのだとかいう疑問はあるが、今は置いておこう。


「またいつか、ご一緒にお出かけしたく思いますわ」


 人殺しの場面を見るのは二度と御免だけど――と心の中で付け足す。

 ミリアの言葉に、皇帝陛下は「そうか」と短く言葉を返しただけだった。

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