第二話 皇帝陛下との初めての邂逅①
「はぁ……。まったく、わたしには荷が重いっての。今更フリーになったペリン公爵令嬢を恨んでやりたい気分ね」
幼い頃より婚約を結んで某侯爵家への嫁入りが決まっていた筆頭公爵家の令嬢ハリエット・ペリン、彼女が婚約を解消したのが全ての始まり。
理由は婚約者が死んだせいらしい。
彼女は才色兼備と名高く、多くの貴族から支持されて、皇妃に据えようという勢力が強大になっているとか。フォークロス伯はそれが面白くないわけだ。
社交界の駆け引きに興味はないが、それに巻き込まれてしまうのだから、社交界のコソ泥も楽じゃない。
でも引き受けた以上、依頼をこなさなければ。
さて、どうしようかと頭を悩ませる。
皇帝陛下は滅多に表舞台に現れない。
正式な行事や祝賀祭がある時は別だが、皇帝として求められる最低限の言葉だけを述べて、ほとんど誰とも言葉を交わすことなく消えてしまうのである。
だから第一の問題は、皇帝陛下といかに接触するかだ。
城下町の人混みに紛れ、しばらく城から出る馬車を監視していたが、お忍びで出かけているなどの様子は見られなかった。どこかへ赴く時は必ず大勢の護衛を伴っているから、声をかけることすら不可能だろう。
考えに考えを重ねた末に出た結論は、城の中に入り込める立場、すなわち使用人になるという方法だった。
仕事で得た資金は全てフォークロス家のものとするという条件のもと――その他のコソ泥活動がなくなれば収入源が大幅減してしまうからだ――、行儀見習いとして城へ。
下働きでは汚れ仕事をしなければならず美しい姿ではいられないからと、侍女を選んだ。
侍女にはそれなりの教養やマナーが求められる。ミリアは最低限のお辞儀と挨拶の口上、あとは微笑みくらいしかできないが……。
「腐っても伯爵の娘って立場と美貌のおかげで簡単だったわねぇ。ほんとチョロい」
たおやかに微笑んでいるだけで、コソ泥令嬢という二つ名を知っているだろうにもかかわらず執事長からぜひ侍女にと推され侍女長からも認められてしまうのだから、今の自分の美しさが怖くなる。
丁寧に編み込んでバレッタで留めた淡いブロンドの髪も、フリルの少ない慎ましやかな濃紺のドレスもかえってミリアの魅力を引き立て、社交界の時とはまた別の輝きを放っていた。香水は思わず心を許してしまうような甘く優しい香りだ。
皇帝陛下も同じようにコロッと騙されてくれれば一番いい。というか、騙されてくれないと困ってしまう。
「でも社交界にいる美人のお姉様がたはまるで見向きもされないわけで……。皇帝陛下の好みの女がどんなのか、全ッ然わかんないのよね」
二十歳になっても婚約者、さらには恋人や愛人さえ作らないため、世継ぎはどうするつもりなのかと囁かれるくらいだ。
どれほど強く愛を乞うても無下にされて涙を流す令嬢は数知れず。ハリエット・ペリン公爵令嬢との婚約だって、結ぶつもりがあるとははっきり言って考えにくかった。たとえ結んだとしても完全なる政略結婚となるに違いない。
働き始めてから三日。使用人たちの話を立ち聞きするなどしてひっそりこっそり皇帝陛下の情報を集めれば集めるほど、女性への興味がないように思えて仕方なかった。
政治的な価値も後ろ盾も何もない美貌だけが取り柄の侍女に惚れ込ませるには、どうしたらいいだろう。
貴族令嬢らしくないところ……ミリアの素を包み隠さず見せて気を引く?
しかし、気に入られずに首を刎ねられたらたまったものではない。
――やっぱりいつも通り『淑女の仮面』を被ったままで誘惑するしかない、か。
思わず皇帝陛下が初恋に堕ちてしまうような完璧な状況を作り出したいところ。
その上でなら上手くやれる気がする。逆にそうでもしないと、所詮はただのコソ泥でしかないミリアには太刀打ちできないだろう。
それでも謂れのある汚名を着ているからという理由で皇帝陛下のお気に入りになるのが難しいならば、籠絡の傍らで侍女の務めに励み、噂を塗り替えるのも必要となってくるかも知れない。
などと考えながら、城の廊下を歩いていたその時。
肩のあたりにごつんと鈍い衝撃が走った。
「……!?」
前方への注意がおそろかになっていたらしい。前方から来ていたその人物の気配に微塵も気づかなかったのだ。
ちなみにここは別に曲がり角というわけではないので、相手からはミリアの姿がしっかり見えていたはず。あえて避けなかったなら多分相手は性格が悪い。
一体誰が?と顔を上げると、そこには。
背筋がゾッとするような整った顔があった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
銀髪で色白、真紅のマントを羽織った、体格のいい青年。
ミリアより頭二つ分ほど背が高い彼は、身がすくみそうになるほどの強烈な存在感を放っている。
「見ない顔だな。どこの誰かは知らないが、己の不注意への謝罪もないとは、よほど教養がないと見える」
低く、重々しい声がびりびりと周囲の空気を震わせた。
鮮血を思わせる紅の双眸がミリアをまっすぐに射抜く。
口元こそ笑みの形に歪められているが、少しの感情も感じられない。まるで鬱陶しい虫ケラか何かへ向けるような表情だった。
これほど冷たい目線を向けられたのは生まれて初めてのように思う。
社交界で流行っている少女小説の中では異性と衝突することによって恋が始まる展開があるらしい。ミリアはそういう話を好まないので詳しく知らないものの、今の状況はおそらくそれと真反対である。
確かにミリアも不注意であったかも知れない。けれどもさすがにその態度と言い方はひど過ぎるのではないか。
そう思いながらも抗議しなかったのは、彼に見覚えがあったからだ。
見覚え、と言っても近くで顔を合わせたことはなく、ずいぶん遠くから数回眺めた程度。
それでもすぐにわかるくらいにはミリアの中に強烈な印象を残す顔だった。
間違いない。
彼こそがミリアのターゲットにして、冷酷非道の血まみれ皇帝と呼ばれる男――イーサン・ラドゥ・アーノルド、その人だ。