第十一話 おかしな侍女
――あの女は、一体何者なのだろうな。
丈の長いドレスを引き摺るようにしながら退出する侍女の後ろ姿を見ながら、皇帝は目を細めた。
少し前に入ってきた新人であり、皇妹付きとなっている彼女の名はミリア・フォークロスというらしい。淡いブロンドの髪が目を引く、美しい娘だ。
もっとも、美しい娘などとっくに見飽きている。この世には着飾ることしか能のない女が腐るほどいることを、皇帝になってから嫌と言うほど知らされてきた。
皇帝が彼女を謁見の間へ招いたのはその美貌故ではない。ミリア・フォークロスだからだった。
彼女との出会いは数週間前まで遡る。
城を歩いていたら前から歩いてくる女がいたが、避けるのは面倒だからとそのまま衝突してみた。思い返せばあの時はずいぶんと退屈していたのかも知れない。
いや、違う。あの時に限らず、ここ数年ずっとそうだった。
むせ返るような戦場の血の匂いを嗅ぎ、剣を握っている時は全てを忘れていられた。しかしひとたび手が空いてしまえば、何をしていいかわからないままで空虚に生きなければならなくなる。
だから……何か、剣を振るう理由が欲しかったのかも知れない。
だが皇帝はぶつかった侍女を斬らなかった。斬れなかった。
女の見目が良かったから? 笑顔に心を奪われたから?
否。
真っ向から殺意を浴びせてもまるで動じず、こちらを見つめ返してきた青の瞳。その輝きに気圧されてしまっただけであった。
――普通は怯え、あるいは言葉を失うだろうに。
すぐさま正解と思う対応をして見せるなど並の侍女や令嬢にできるものではない。努力は見えるが完璧とは言えない所作と合わせて、ちぐはぐだ。
かつて同じフォークロスの姓を持つ令嬢、おそらく彼女の義姉であろう人物にも出会ったことがある。
一般的な価値観で言えばとても可憐で物腰柔らか、文句をつけるとすれば没落間近の伯爵家の息女であることくらい。確か伯爵に縁談を遠回しにではあるが執拗いくらいに打診され、婚姻相手は必要ないからと追い返したのだったか。
その時の令嬢と目の前の彼女は似ても似つかない。
「教養は足りないが頭は回るのか」
そう評したのは皇帝なりの褒め言葉。
ほんの一瞬言葉を交わしただけだが、ミリア・フォークロスが賞賛に値する存在だと思えた。
彼女とはそれきりになるはずだった。
なのになぜかそのあと、彼女は幾度も幾度も目の前に現れた。そして異様なくらいに落とし物があったとの報告が繰り返される。
おかしな侍女だ。皇帝は一日の大半を地下の執務室と稽古場で過ごしているので機会は少なくなるはずだが、ほぼ毎日出会すので、こちらの行動が読まれていたに違いない。
さすがに鬱陶しいことこの上ないが、邪険にする気にもなれなかった。
今まで遭遇したことのなかった類の珍獣のような女によって己の退屈が薄らいでいると気づいたのは、いつの頃だっただろう。
五年前に即位して以降、対話もなしに他人に敵意の視線と剣ばかりを向けてきた皇帝は、『他人に関心を持つ』という人間らしい機能がまだ自分にも残っていたのかと驚いた。
――ベラに訊けば早いが、あれは自分を兄とは認めていないし、俺も妹とは思えないから却下だ。となると一度面と向かって話してみるのが一番、か。
そう考えていたところに盗難事件が発生。
城中を巻き込んだ割には大したことのない騒ぎだった。事件の犯人が誰かあるか等に微塵も興味はないが、口実にはちょうどいいと考え、呼び出したというわけである。
そして結果は――――期待以上。
他の誰でも決して口にいないであろう発言を、ミリア・フォークロスという女は平気な顔で行った。
『皇帝陛下のお考えは、誤りのない、とても正しいものなのでしょう。しかし陛下。正しいばかりが真実とは限りません』
『誤った正しさというのもあると、わたしは考えますわ』
向けられた言葉は全てこちらの胸を抉るようだった。
誤った正しさを信じ、愚行を重ねる。それはまさに皇帝自身そのものだから。
誤った正義がある。まったくもってその通りだ。それにより身を滅ぼしたという者を、「馬鹿よねぇ。くだらない正義感ばっかり振りかざしてたからひどい最期を迎えるのよ」と言ってくすくす笑った小娘の声を、思い出した。
自分の正義が間違っていることくらい承知している。
そうでなければ冷酷非道の血まみれ皇帝などと呼ばれていない。呼ばれることをわかっていながら是とした時点で、いかれきっているのだ。
そんないかれきっている皇帝と向かい合ってなお笑みを崩さないミリア・フォークロスも、相当な変人だと思うが。
イーサン・ラドゥ・アーノルドは美丈夫である。
銀の髪も、赤い双眸も、顔立ちもしきりに褒め称えられていた。
しかし皇帝となってからはフォークロス伯のような娘を道具としか思っていない者を除いて縁談を持ちかけられることは皆無。皇帝が近づいて正気でいられる令嬢は何人いるだろうか。
さらに殺気がわからない馬鹿でもない。わかった上で、皇帝の言葉に応じている。
試すために不敬になり得ると脅し、『余が恐ろしくはないのか』と問うてみたら、返ってきた答えがまた豪胆としか言いようがなかった。
『ですからわたし、陛下のことをもっと知りたいですわ』
『落とし物拾いを通じて陛下によく声を掛けさせていただくようになって、一度も剣を向けられていませんから、お許しいただいているのではないかと勝手に思っていますの』
『ここまで言葉を尽くしてきましたけれど。一介の侍女に過ぎないわたしごときの発言、聞く値しないと思われますか?』
言葉だけ見れば媚びているようにしか思えない。
思えないのに……わずかに潤んだ宝石のような瞳はまるで熱を帯びていなくて。
――面白い。
明らかにミリア・フォークロスという女が不自然だとわかっていながら、心からそう思ってしまう。
皇帝は知らない。この感情が恋心の芽生えであるということを。
知らないままに決めた。
「あの女を監視してみるか」
皇家の影は使わないし使えない。己の目で、女の素性と本性を暴いてやる。
反逆者であったなら斬り殺すまで。仮にも皇妹の侍女なのだ、野放しにはしておけない。
もしも反逆者でなかったなら……その時はその時だ。
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