暖冬のゆきおんな、恋ゆえのアルバイト
「ああ……。暑い、暑い」
ゆきさんが白い着物の前をはだけさせ、うちわで中を扇いでいる。
確かに暑かった。一月の気温とは思えない。人間の俺でも暑いのだから、雪女のゆきさんにはたまらないことだろう。
「雪山にでも行ってきたら? きっと涼しいよ」
俺の提案にゆきさんは乗り気じゃない顔をした。側にあったガードレールに手を触れると、そこから冷気を吸い出し、少しだけ涼んだような表情になる。
「今どきでも雪山ならまぁ、涼しいけどね」
つまらなそうに、呟いた。
「……スマホの電波が届かないじゃない」
「雪女がそんなこと気にするなよ!」
「気にするよ! だって『小説家になりお』の閲覧ができなくなるんだよ!?」
俺は『妖怪のくせに、すっかり俗世間に染まりやがって』ということばを呑み込んだ。怒らせるとさすがに妖怪だ、彼女の口から白い息を浴びせられたら命を失いかねない。
それに……わかっていた。彼女が雪山に帰りたがらないのは、本当はそんな理由じゃない。
「ところで」
俺は話を戻した。
「やるの? やらないの?」
「やるわよ」
ゆきさんは仕方なさそうに、言った。
「やればいいんでしょ」
ふっと、ゆきさんが白い息を吹きかけると、川の水が凍った。
あっという間に、上流から下流にいたるまで、壮大な範囲の川面が凍りついた。
「ありがとう」
俺は彼女に礼をいい、深々と頭を下げた。
これで今年も『もなみ川アイススケートロード』が営業できる。村役場の観光を担当する俺としては有り難い限りだ。
お客さんがいっぱい来た。
毎年、もなみ川はスケート客で賑わう。
元々透明度の高い川の水に氷が張り、水底まで見渡せるその上をスケート靴で滑るのは、なかなか他では味わえない爽快なウィンター・スポーツだ。
あっちこっちで楽しそうな笑い声が聞こえる。
楽しげにスケートをする彼らを、監視員役の俺は高い櫓の上から見守った。
「ありがとう、ゆきさん。やっぱりゆきさんの張る氷は最高だよ。分厚くて、しかも透明度が高いから、これを知ってしまったらもう、他の氷なんて使えないよ」
俺得意の甘い声で褒めてあげた。
「まったく……。雪女の力をこんなことに使わせるなんて」
隣に正座するゆきさんが、ため息を吐きながらいう。
「あんたに惚れたあたしが馬鹿だったよ」
ふふっと笑顔で彼女の顔を覗き込んだが、ゆきさんはツンデレキャラみたいに顔をそむけてしまった。
「今年は暖冬で無理かと思ったけど、無事に……」
そういいながら川のほうに目を戻し、息を呑んだ。
大蛇のようにくねる川の、分厚く張った氷の下を、何か巨大なものが泳いでいる。
クジラかと思った。それほどに巨大なその影は、突然氷を突き破ると、その姿を現した。
女性客やこどもたちが叫ぶ。
男性客たちも情けない声をあげた。
古生代の水竜だ!
おおきな口から牙を覗かせ、スケート客を食おうとしているように見えた。
「ゆきさん!」
「あいよ」
ゆきさんが白い着物をはためかせ、宙を泳いだ。
仕方なさそうに脱力しながら、阿鼻叫喚の真っ只中へとユラユラと飛んでいく。
「絶対零度!」
現代的な必殺技名を適当に叫ぶ。
「ギャアアアア!」
水竜はあっという間に氷漬けになり、動きを止めた。
「ありがとう、ゆきさん」
俺は氷漬けの水竜をカメラに収めながら、礼をいった。
「またひとつ、観光名物が増えたよ」
「……ったく、くだらないねえ」
ゆきさんはそっぽを向きながら、しかしその腰は俺にぴったりとくっついていた。
「人間なんかに恋しちまうなんて……さ。雪女としての名折れだよ」
お礼に俺はゆきさんの手に、クーラーボックスから取り出した保冷剤を握らせた。
「ありがと……。あー、気持ちいい」
ゆきさんが恍惚の表情を浮かべる。
「それにしても、地球はなんでこんなに暑くなっちゃったのかねえ。雪女としては暮らしにくいったら、ありゃしない」
ゆきさんは、まだ知らない。
人間が森林伐採をやりすぎたことで二酸化炭素の吸収が減ったことや、工場からの排出ガスが地球温暖化の主な原因だということを。
知ってしまったらやはり人間を恨み、憎み、復讐しようとするのだろうか。
しかし、俺は彼女がインターネット上に溢れる情報に触れることに干渉はせず、自由にさせていた。
彼女がもしそれを知ってしまっても、俺への恋心が抑止力になると信じている。
歌舞伎町で元No.1ホストだった俺だからこそ、絶対の自信があった。