Epilogue.その交換条件
ハーンに差し出した札は女の首元にあった模様を書き写したものだ。
「金の代わりにお前の技術が欲しい」
「はて技術……と申しましても。いえ、あの女を捕まえたということはお客様はご存知なのですね」
「あの虫は何だ」
「……私も然とはわかりかねます。|夜闇を貪る蛆《The Worm that Gnaws in the Night》と言われて購入したものではございますが」
「蛆?」
確かに蛆と甲虫の幼虫は形状が似ている。違いはよくわからんな。蛆にしては大きすぎるきらいがあるが。
「あの女が触れた壺というのは何なのだ」
「それは私もわかりかねます。オブスキュラスという名で売られておりまして、絶対に開けるなといわれて購入し、開けぬままに置いておいたのですが、あの女が開けましてね。中には子どもの死体が入っておりました」
「何故開けられんものを買う……」
「それが安かったもので。それで女の右腕に闇のようなものが広がっておりましたから、ちょうど良いと思いまして蛆に食わせました。するとその進行が止まったのでございます」
ハーンは誇らしげに旨を反らせた。
……?
ちょっと待て。こいつは一体何を言っている。行き当たりばったりすぎるだろ。やはり馬鹿なのか。
「結局お前は何なんだ」
「記者でございますとも。世に見聞を広め、面白きを追い求めるものでございます」
記者? ハーンは反らせた背筋を戻し、ぺこりと頭を低く下げ、そして上目遣いで見上げる。
「そこでそのぅ。この際金目のものは諦めますが、私の趣味の部屋はお目溢し頂けないでしょうか。価値としては二束三文でございますので」
「見せてみろ」
「おい。俺は先に帰るぞ。嬶が怒るからな」
呆れたように踵を返す東司をよそに、ご立派な大階段を登った先に案内された部屋は、まさしくヴンダーカンマーといって差し支えないものだった。
この世には珍品奇品というものは数あれど、これほど大量に危険物が詰め込まれている部屋はそうないだろう。なにせ、ハーンにも用途がわからないものが半数を占めているそうだ。その言葉に久しぶりに俺もビビり上がったが、何故中身のわからぬ呪物を一ところに置いておけるのだろう。真実の意味で、ヴンダーカンマーだ。
「管理は大丈夫なんだろうな」
「大丈夫ですとも。若い頃より失敗を繰り返し、こと封印に関しましては近頃は全く事故を起こしておりません」
「だがな。お前、ちょくちょく怪しげなものを購入してるだろ?」
「暇がある時に少しずつ調べておりますので。中身がわかるまではここで厳重に保管しております。ですから総数としては変わりません」
何故だかハーンは自信満々だが、素性の知れぬ危なげなものを一定数ひと所に置き続けるというのは全く褒められたことじゃない気はする……が俺も人のことを言えん。
それにしてもこれは俺が取り上げても扱い切れるものじゃない。見なかったことにしよう。
「俺の私物もここに置いていいかな」
「はて」
「その辺に置いとけん危ないもんがあるんだ」
頭の中に取り扱いに労力を要するいくつかが思い浮かぶ。ここに押し付けられれば、何かあっても誤魔化せるだろう。
「もちろんですとも! 腕がなります」
「腕?」
「ええ。副業でいわゆる魔道具保管師というものをしておりますので」
魔道具保管師がいわゆるで括れる代物なのかはさっぱり理解ができんが、ともあれ残る問題は一つだ。
「あの女は俺が貰い受けようと思うが、あの腕は、何とかならんか」
ハーンは漸く、はて、と眉を顰めた。
「調査致しましたところ、あの闇はもともとはオブスキュラスの、つまり壺の中に入っていた子どもより生じた闇のようなのです。あの壺には闇を封じる作用はあるようですが、封じるにはあの女を壺の中に閉じ込めておくしかなく、そうすれば結局、飢えて死んでしまうでしょう」
「喉元の封印は話せないようにするためか?」
「ええ。素性がわかりませんし、やたらとよく逃げ出すものですから、万一この部屋のことがバレますと色々面倒ですので」
再び見渡す。用法がわかればご禁制以上というものが溢れているのだろう。治外法権とはいえ、手段を気にしない輩もいるのだ。
「俺はな。カジノやりたいんだよ、カジノ」
「カジノ……でございますか? すでにここは賭場でございますが」
「俺はお上には秘密で新地て試用して居留区近辺や県外の客を呼び込もうと思ってたんだがな。ここは丁度新地の鼻先で、しかも治外法権と来た。こんな旨い立地は他にない」
「なるほど……? しかしそのように上手くいきますかな」
「いかせるんだよ。必要なら色々作ればいいんだよ。色々とな。だからお前を部下にしてやろう」
ハーンは首を傾げた。
ハーン邸の賭場に足を向けてから2週間ほど後の昼下がりのことだ。冷泉がまた紫檀楼を訪ねてきた。その日は珍しく夕暮れより前の訪れで、まさに完全防備というような怪しげな格好で日傘をさして足取り軽く現れた。営業間際に居座られれば嬶の機嫌がすこぶる悪いが、さりとて昼間に現れてもよくなるわけでもない。だから一緒に外に出た。日が暮れる前の外出ならば何も言われん。
「結局噂の女は何だったんだ?」
「さてね。梅毒なのかもしれんし、祟られて腕に目が生えたのかもしれん」
「あの異人に渡した模様の書かれたあの札は?」
「借金の証文かもしれんし、妖怪を従える札かもしれんな」
結局、冷泉は俺に話すつもりもないのだ。それに俺が知る必要があるとも思えなかった。
その境目はここではたいして意味がない。酷い梅毒であっても真に妖怪であっても、客が付くならこの新地では同じ遊女だ。
小龍川の畔を二人で歩きながら、冷泉はいつもこうだと思い起こす。
後から考えてある程度想像をつけた。祟られ女で利益を得たのはあの賭場だ。時期を見て女を川辺に立たせて噂をばら撒き、賭場に客寄せをしていたのではないだろうか。それが俺の想像だ。冷泉は俺に女が梅毒患者という偽の噂を流させた。そのあと再び妖怪だという噂が流れたから、当たりをつけてあの賭場に踏み込んだのではないだろうか。
俺と冷泉の腐れ縁は昔からで、頼まれごとがあれば聞く。
目障りな賭場があると言われれば潰しに行く。今回も行けと言われただけで、説明は何もなかった。
「金庫に目を向けさせて先に女を攫ったのよ。手が薄くなると見越したからな」
「ふうん」
得意げに喋るところを見れば、その事情は俺にしか喋れないものなのだろう。そしていつも通り、その話はいつも真偽不確かだ。結論としては、結局俺は全てのハーンの財産を博打でかっぱぎ、冷泉がそれを収用し、それらの上がりは遠くを回って新地の整備や福祉に回される。俺と楼に不利益がなければ俺はいい。女の正体にさして興味はない。
「あの賭場は潰さないのか?」
「賭場自体は必要悪だ。なくならんよ。経済も廻る。俺は少々、外国賭博というものに興味があってな。遊郭にセットならば公営賭場があってもいいと思わんか?」
「公営賭博ねぇ」
俺はそれなりに目端が効き、冷泉はそれなりに心の隙間に入るのが上手い。あの外国人は俺と同様、使い勝手がよいのだろう。治外法権、許認可、収益。そんなことが思い浮かぶ。
「治安が荒れそうだ」
「潰しても雨後の筍だ。それなら官が管理したほうがよかろうとは思わんか」
「早く帰らんと嬶が怒る」
それから暫く後、冷泉の駆黴院に右腕のない新しい看護師が入ったと聞く。梅毒ではないが、口が聞けないそうだ。
Fin
この話はちょっと構成がいまいちなので、そのうち修正します。




