夜半の暗闇
部下の入江に命じた調査報告を一通り流し読めば、何が起こっているかなどおおよそわかるのだ。
外国人は治外法権だが、一人で畑作って食ってるわけじゃない。掏摸の件を傘に来て倉橋に見張らせて出入りの業者を割り出し、その業者の営業状況を入江に調べさせた。なにせ俺は租税官吏だ。しかも新地一体は俺の遊び場だ、その中の資金繰りなぞ、無理をすれば調べられぬことなどない。無理をするのは入江だから俺は関係ない。
ハーン邸では賭場が開かれ、金が唸っているらしい。賭場に売上の申告などはなされるはずもないが、俺にも俺なりの伝手はある。この辺の総元締めの絆赫会にも手は入れてある。だからおおよそ、賭場の儲け具合など推測も容易い。
「骨董、青磁、機械時計。俺と趣味が会いそうだ」
「冷泉課長、これ、外国人だから脱税にはならんのですよねぇ」
「治外法権だから仕方ないな。俺も似たようなもんだ」
ハーン卿は骨董、というより珍品集めが趣味のようだ。儲けた金は湯水の如く、そこに打ち込まれているらしい。そのことは別にどうでもいい。無法な賭けをしているようでもない。賭場というものは1つ潰しても他で湧くだけで、人が集まり金を回す。その素性が明らかで、優良な賭場なら残したほうがよい。問題は祟られ女だ。奇妙なものは好きだが、素性のわからぬ妙なものは、それがわかるか、わからないなら居留区か三春夜あたりに追い出すのがよい。俺は手がかりを探している。
この祟られ女の一件で、一番もうけているのはハーン卿だ。なにせ目の前の小龍川に現れる謎の女をみれば、運気上昇というのだ。だから女を見た客は一攫千金を想像する。つまり博打だ。そんな目的であの辺に現れるのならば、会えなくてもその足は賭場に向かうだろう。
ハーン卿は多分馬鹿なのだ。
いや、ヤクザと違って真っ当なのだろう。だから隠しもしていない。確かにハーン卿の行為は、賭博がこの日の本で禁止されていることを除けば、クリーンなもののように思える。だから自分の名前であのハーン邸を所有しているし、様々な文物の購入もちっとも隠しちゃいない。
だから真実、主観的には後ろ暗いところはまるでないのだろう。
揺さぶりのために手紙を出してみれば、案の定、金目でないものは運び出され、金目のものは一番厳重なハーン邸の地下深くに隠されたようだ。ハーン邸の地下には厳重な金庫がある。まさに難攻不落だ。あれをあけるのは一個正体でも不可能だろうな。それがハーン邸から依頼を受けた金庫職人から聴取した話の結論だ。けれども問題ない。俺の目的はつまり、その金庫の中にはない。
一通りの準備が整った夜。再び東司を尋ねた。
俺はこの新地が好きだ。女を買おうとは思わんが、ここは実に馬鹿馬鹿しい場所で夜でも明るい。それに少なくとも表面上は俺を歓迎する。勝手知ったる紫檀楼の階段を登って、一等良い部屋に陣取る。ここはもともと玉藻花魁のために用意された部屋だが、花魁はいつも桔梗屋に向かう。だからここが使われることはない。だから俺が使ってやったほうが部屋も喜ぶというものだろう。
「丈、最近来すぎだ。嬶の機嫌が悪くなる」
「相変わらず尻に敷かれてるな」
「何の用だ」
「大凡の事態は把握したからな。助けろ、東司」
「……何をすればいいんだよ」
俺と東司はここの幼なじみだ。お互い碌でもない幼少を潜り抜けてきた仲だ。頼めば大抵の無理は通るし、結局のところ、俺がここで真実信用できるのはこいつだけなのだ。
「いつも通りだ。ハーン卿をもらい受ける」
そう告げれば、東司は仕方ないと言った風情でのそりと立ち上がる。
「夜にここを開けると嬶が怒るんだがな」
「奥方にもお裾分けするさ。好きだろ、宝石」
その夜はお誂え向きに雲が湧き上がり、星はすべて隠された。
ハーン卿は本当にその所有を隠さない。だから入江に土地台帳を改めさせれば、その所有地を見晴らせた。だから俺の目的がいるのはおそらくハーン卿が所有している外国人向けの娼館なのだ。そこ以外は倉庫やら何やらで、人を囲うには難しい。
そうして倉橋がしょっぴいた女衒が吐いた情報で、その新地にもほど近い娼館が数日前に新しい遊女を囲ったのに、ちっとも表に出さないという噂を聞いた。つまり俺の目的は、その妓楼の前に生えてる木の上からまっすぐ先に見える、この部屋にあるわけだ。そしてその娼館の建築図面も既に建築屋から手に入れてある。つまり目の前の、内部からは隠し部屋となっている目の前の部屋にいる。
そしてその窓から女がひとり佇んでいるのが見えた。
「冷泉課長。行くならとっとと行ってほしいんですけど?」
「入江。もうすぐ止まりの客以外は捌ける。その時が一番都合がいい」
「ここは新地じゃないから大門はありませんよ?」
「聞いた情報ではここのシステムもだいたい同じだ。ハーンが遊郭の人間を雇ってまわさせてんだろ」
「……一体どこから仕入れてくるんですか、その情報」
しばらくすれば、ざわざわと階下が騒がしくなる。おそらく帰りの客だ。そうして妓楼の扉は綴じられ、後は泊まりの客のみとなる。そうしてお誂え向きに、眺める部屋の灯りが消えた。遊郭のシステムからしても、この時間に客を取っていなければ朝まで誰も来ないはずだ、おそらく。
「おし、そんじゃいってくるから橋を渡せ」
「ご自身でやれば良いじゃあないですか」
「目が効かんのだよ」
そんなことは当然知っている入江は、俺の返答を待たずにすでに洋弓銃を構えていた。俺には既にわからぬが、目前の窓の桟にでも狙いをつけたのだろう。この洋弓は軽量化した洋弓銃に滑車をつけ、多少明るければ非力な俺でも簡単に引けるようにしたものだ。滑車の分重くなるのが難点だが、運ぶのは俺じゃない。
シュルという風を切る音に続いてストンという木に刺さる音がする。矢の尻に設えた糸を引き、ロープを張り、反対側を木にくくりつける。
「んじゃ行ってくる」
ご武運をというつまらなそうな入江の声も待たずにロープの上を渡る。俺は無駄に身が軽いから、足場さえできれば移動なぞ容易だ。覗き込んだ部屋は、月明かりのある外より尚暗かった。
耳を澄ませば、しくしくと鬱陶しく泣く声がする。その声は止みそうにない。
……このままじゃ埒があかん。
窓を開けて忍び、驚く女の口を塞ぐ。
「静かにしろ。俺はお前を助け……ようかどうか今思案中だ」
「!?」
正直に言ってはみたが、対象、つまりこの腕の中の女が何者かわからぬ以上、なんともいい難い。
けれども俺は黒ずくめ、どこのだれだかわかるまい。最初は逃れようと藻掻いていたが、しばらく拘束すればいずれその気力も失せようし、俺が力付くではないことも理解するはずだ。
「俺はお前をどうこうしようとは思っちゃいない。大人しくするなら手を外す。いいか」
女は僅かにうなずいた。慎重に、すぐに再び拘束できるようおそるおそる手を外せば叫んだりはせず、不安そうに俺を見た。巷の噂では仮面をつけていると聞いたが、その手袋越しの表面はカサつきも膿ただれてもいない。鼻もきちりと憑いている。……そうすると梅毒じゃない。
目玉に見えるほどの梅毒であれば顔だけ無事ということもなかろう。
「お前さんはどういう素性の人間なんだ?」
けれども女はぱくぱくと口を動かすのみだ。喋れんのかな。
そう思っていると女はスルリと袖を持ち上げた。そこには確かに白い腕の表面に黒々とした何かが浮かんでいる。墨かなにか、というわけではないのだろう。
「俺は目が効かんのだ」
そういえば女は僅かに首を下げ、そして再びパクパクと口を開く。
「口がきけんのか?」
女は確かに頷いた。困ったな。ここで明かりをつけるわけにもいかんだろう。万一にバレるとまずい。そうすると、入江に見せるしかない。
「あんた。ここを出たいか?」
女は必死に頷く。窓外を見れば俺には暗がりしか見えんが、触れば未だロープは然と存在した。小さく口笛で呼びかければ、僅かに闇の濃淡が蠢く。落とすから受け止めろと手信号で伝えれば、闇が動く音がした。入江は俺と違って夜目が効く。
「女、俺の部下がいるから飛び降りろ」
多少は躊躇うかとも思ったが、女の動きは素早かった。よほど逃げたかったのかもしれぬ。
ロープを外して俺も飛び降り、ハーン邸へ向かう道すがらに寄った新地の詰め所で女を改めた。




