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陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる俺、山菱哲佐の物語 ~明治幻想奇譚  作者: tempp
諸々の目 小瀧川で佇む妖かし女の噂 明治16年秋

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遊郭の客

「楼主、冷泉(れいぜん)様がお待ちです」

「まじかよ」

 にじり寄った番頭から、腐れ縁、冷泉儀仗太(ぎじょうた)の来訪を耳打ちされた。俺はこの大籬(最上級の遊女屋)紫檀楼(したんろう)の楼主で、神津新地(こうづしんち)遊郭組合の集まりから戻ったばかりだ。漸くこの思ったるい羽織袴を脱いで茶でも一服と思っていたいたところだが、仕方ない。立場上、俺は冷泉に頭が上がらん。それに勝手知ったる冷泉が傍若無人にここを彷徨(うろつ)けば、(かかあ)の機嫌が悪くなる。

 ヤレヤレと思いながら向かった一等上等な部屋の襖の奥では予想通り冷泉が窓を開け放ち、白茶けた髪を風に揺らして赤く暮れゆく往来を眺めていた。いつも通りの襟を大きく立てた体に沿った派手な上下からは、その細さが否応なく浮かび上がる。


東司(とうじ)、待ってたぜ」

「お前、陽にあたるぞ」

「そろそろ夕暮れだ。この部屋は庇が長い。この位なら良かろう」

 冷泉は手元の徳利を空の猪口に傾け、並々と注がれたそれを俺に寄越す。口をつければ予想通りの甘苦さに、思わず顔を顰めた。酒に見えるがこれは甘くした薬湯だ。よくこんな甘くて苦いものが飲めるものだ。だがここでは飲み物を勧められた以上、干さねば話が進まぬという仕来りだ。

「それで今日は何の用だ」

「小龍川の祟られ女の噂は聞いてるな?」

 先程の会合でも話題に出た。怪しげな女が出るらしい。

 (あやかし)が悪さをしたのならいつもの陰陽師に調査や祓いを頼む所だが、新地の客に被害が出たわけでもない。せいぜい|格子女郎《道沿いに並んで客を取る遊女》が見物に行った馴染み()から、掏摸(すり)にあって金が無いと言われる程度だそうだ。だから警察に巡回でも依頼するかという話で纏まった。

「それがお前に何の関係がある」

「あの辺の治安が乱れててよ。有象無象が集まって、掏摸は出るし喧嘩も増えた。シマを荒らされるのは気に食わん」

 冷泉はこんな成りだがこの神白(かじろ)県の租税課官吏だ。

 県政というものは俺にはわからんが、冷泉はこの神津南一帯を掌握して、公共投資、つまり土木建築の権能を有している。この神津新地は元々田畑であった区画を整理し、神津一帯に散らばる遊女屋をこの新地に集め、開港神津港を訪れる外国人をもターゲットとした観光地も兼ねて作られているが、絵を描いたのは冷泉だ。

 整えた箱庭を荒らされるのが癪に障るのだろう。


「噂は知ってるが会ったことはない。俺は夜はここから出れんからな」

 楼主というものは楼が回っている間はその一階で目を光らせるのが仕事だ。

「その女の心当たりを聞きに来たのよ。出始めは半月ほど前だ。その頃以前に鳥屋について(梅毒にかかって)且つ廓を出た女の話は聞かないか」

 冷泉の推測に成る程と思い至る。

 噂の女は面で顔を隠すという。

 (梅毒)が進めば顔は大きく膨れ上がって鼻が落ちる。全身に赤い発疹が大量に生じる。その発疹やら(そう)が、提灯やらの(かそけ)き灯の下では目玉に見えたのかもしれん。

 その姿は通常忌避されるものだから、人が増えて灯が増えれば現れぬのかもしれん。

 面倒なことに、一度瘡にかかった遊女は病気にならぬという古臭い言い伝えが遊郭にはあり、それは未だに根強い。瘡の女を買えば運気が上がるという噂まであるほどだから、幸運が訪れるという噂も案外そこから来たのかも知れん。

 けれども俺にとってはそれは迷信だ。

 (りん)や瘡は遊郭の業病だが、今は治療ができる。お上(明治政府)7年前(明治9年)、全国の遊郭に性病検査を行う駆黴院(くばいいいん)を設置した。この神津でも冷泉が立派な駆黴院を建て、保守管理だといって遊郭からの上がり(税収)で無料で治療を行っている。

「うちに心当たりはない。お前の院はどうだ」

「ないな。見当違いか」

「……瘡の女を客に出す楼もあるからわからんな」

「伝染るじゃねえかよ」

 冷泉は馬鹿にするように言うが、遊郭では理屈というものはなりを潜める。

「治りかけの髪が抜けた女を縁起が良いと有難がったり、色々欠けた女が好きな奴らもいるからな。ここはあいもかわらず苦海(地獄)なのさ」

「文明が明けたってのに業が深いねえ」


 祟られ女、か。

 (ちまた)ではそれは珍しいのかもしれないが、そんなものはここでは有りふれている。大抵の女が売られるか奴隷として新地に落ち、年季明け(28歳)より遥か手前で死んでいく。使い捨てだ。

 そろそろ外に闇が増える。夜見世(営業再開)で賑わう時間帯だ。眼下ではうちの花魁がシャナリシャナリと道中を始め、人集りがざわめいた。ほんの僅かな花魁だけが綺羅(きら)びやかに身請けされる。そこに到達する女は極めて少ない。仏が垂らす糸に群がることはできても、登ることは極めて困難なのだ。

 それでも冷泉が建てた駆黴院の検査や治療によって僅かにその可能性が増え、官営孤児院の設立によって殺される嬰児が僅かだけ減った。この新地は他の遊郭街よりは遥かにマシな地獄ではある。

 暮れ六(午後6時)の鐘が鳴り響く。楼の夜見世の始まりだ。遊女が客を取る二階が慌ただしくなる前にと階下の広間へ降りれば、近くの楼の張見世(道に面した格子部屋)からか、既に三味線の音が響いていた。

 営業の準備は整い、嬶が俺を睨んでいる。

「あんたがここに座ってなきゃ格好がつかないだろ」

「悪ぃな母ちゃん。月末の祭りの打ち合わせなんだよ」

「あの武左(居丈高な男)ももっと早く来りゃいいのに」

「それより最近、酷い瘡の女が年季を明けた話を聞いたか?」

 嬶が妙な顔をした。

 楼主は店が始まれば内証(広間)で睨みを効かせるが、楼の管理は花車(楼主の妻)が行う。だから遊女に一番詳しいのは嬶だ。

「酷い瘡だって? うち(紫檀楼)じゃあんたが淋や瘡と見りゃすぐ院に送っちまうけどね、普通は行燈(あんどん)に押し込んで終いだろ」


 行燈とは妓楼で最も奥まった場所にある物置で、病の遊女を閉じ込め、大抵の妓楼は死ぬまで放置する。治って再び客が取れる見込みがなければ、生かしたって仕方がないのだ。生きてるだけで金がかかり、借金が膨れ、返す宛もないとすれば行く末は知れる。

 それにしても眼にまごうほどの瘡か。

 酷い瘡は中心部は黒く壊死し、周辺は黄色く膿み爛れ、外縁の皮膚は赤黒く硬化する。大きさは時には鶏卵ほどにも至るから、夜目には目にも見えようか。

 小龍川のあたりの夜鷹(流しの遊女)は鼻の落ちたのもいるそうだから、その女はもとより夜鷹なのかもしれない。けれども客をとる節もなく、ただ祟られたと述べるだけで、客が驚いているうちに姿を消す。客を祟るわけでもない。

 何故そんなことをする?

 祟れていることの喧伝。祟られたというからには原因があるのだろう。祟った者を探しているのか?

「それにしてもあんた、今日はいつも以上にぼーっとしてるねぇ」

「五月蝿ぇ」

 目を上げれば、妓夫(ぎゅう(男の使用人))がせわしなく客を案内している姿が見えた。

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