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陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる俺、山菱哲佐の物語 ~明治幻想奇譚  作者: tempp
閑話 桜散る夜 大正6年春

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桜の此方

 春。はらはらと桜が流れていた。

 流れている、というのはいささか叙情的な表現だと我ながら思うが、その穂赤(ほあか)の湧水が表流し、そして再び伏流するまでのわずか5メートルほどの川とも呼べない短い流れの両側には美しい桜が立ち並んでいる。それが風に吹かれるたび、たくさんの花びらが空に舞って川面に落ちていく。その近辺だけ、真っ暗なはずの世界は薄紫色と化していた。

 ここに来るのは通常では難しいのだろう。薮を掻き分け道なき道を進んだ先にある場所だ。人の訪れを拒むように、年々来るのが困難になる。そしてそもそも、桜が咲く季節出なければ、ここに来ることができない。

 私は桜の季節になれば、毎日ここを探して散歩に来る。

 散歩。

 確かにこれは散歩だなと思い返す。目的地はあるものの、そこまでの間は当て所もない道行だ。

 ここに来る目的はある。けれどもそれもずいぶん昔の話で、本当にあったことなのか、全てが定かではない。それが真実であると思い起こさせるのは、この不自然な私の体だけなのだ。


 あれはまだ私が真実12ほどの年だったころだ。

「おや? 君はどこから来たのかな?」

 晴夜(はれよ)と名乗る美しいその人は、突然私の目の前に現れた。その儚さに、一目で心を奪われた。

「どこって、道を歩いて」

 そう答えて振り返り、困惑した。歩いてきたはずの道がみつからなかったのだ。

「迷い子か。困ったな、早く帰らねば帰れなくなってしまう」

「帰れなく?」

「ああ。浦島太郎のお話は知っているかな。あの竜宮城と同じで、ここに長くいれば元のところへは帰れなくなってしまう」

 竜宮城。

 幼少時に寝物語できいたその荒唐無稽な話は、その名の通りの美しい月が揺蕩う夜の下、この美しい人から漏れ出ると、真実のように思われてしまう。

「では人がいるところまで送ってあげようね。おいで」

 その人は私に手を伸ばした。けれどもこの手を取れば、またあの場所に戻ってしまう。そう思えば、その手を取ることは躊躇われた。

 晴夜は困ったように私を見た。

「帰りたくはないのかい?」

 私はその時、確かに頷いたのだと思う。

「けれどもここには、もうすぐ誰もいなくなってしまうんだ」

「どこにいくの?」

「さて、ここではない世界に行くのさ」

 まるで答えになっていない。

「どこ」

 再びそう尋ねれば、世界がどくんと揺れるようにわなないた。思わず見上げる。たくさんの桜がざわざわと揺れている。

「何?」

 晴夜も空を見上げ、様子を伺う。

「今、ちょうど世界が割れるところだ」

「世界が、割れる?」

「そう。私たちはこの世界にはふさわしくなくなった」

「どうして? 綺麗だから?」

「綺麗? 私が?」

 晴夜は一瞬目を丸くした後におかしそうに笑う。

「違うよ。私が化物だからさ」

 その時、強い風が吹いてたくさんの桜の花びらが舞い、私と晴夜の間を分け隔てた。私と晴夜が違うものだとでもいうように。

「化物?」

「ああ、そうだ。だからこの世界にはもう住めなくなってしまった。だから世界が完全に私を拒絶する前に、私が世界を拒絶するんだ」

「どこにいくの?」

「友人が引っ越し先を見つけてくれてね。今からみんなでそこに引っ越しをする」

「みんなで?」

「そう。私と同じように、この世界にいれなくなった者が複数いる。まとめて移住するんだ」

「私も一緒にいってもいい?」

 咄嗟にそう告げると、晴夜は困ったように眉をひそめた。

「何故? 一緒に行くと、もうここには戻れなくなる」

 何故。それは私がここに、この世界にいたくないからだ。

 私は親に売られた。一度入れば抜けられないという花街に。そして受け入れ先の妓楼が決まる直前に、隙をついて逃げ出してきた。そんなことを訥々と語れば、晴夜は私の頭を優しくなでた。

「そうか。君は新地の子なんだね」

「新地?」

「ああ。神津新地だ。私もいっときそこにいた」

 晴夜は透き通るように美しかった。この世のものじゃないように。そしてふと、呟いた。


「そうすると身寄りはないのか」

 晴夜は考え込むように腕を組んだ。

「けれども私たちが向かう先も苦界かもしれない。あっという間に死んでしまうかもしれないよ」

 晴夜の囁く死という言葉は、酷く現実感がなかった。

「なのに行くの?」

「ああ。私たちは既にこの世界にはいられないから」

「いられないと、どうなるの?」

「さて、ぎゅうぎゅうに押し込められて押しつぶされて死んでしまうのかも」

「私も……」

 縋るように述べても、晴夜はただ優しく微笑むのみだ。

「君は私たちほどこの世界に拒絶されていない」

「でも」

 この世界に一体何の希望があるというの。

 花街ではたいていの女は20半ばまで生きられない。そう聞く。桜の嵐はますます強くなり、既に晴夜を半ば覆い尽くし、私から奪おうとするばかりだった。だから私は晴夜に手を伸ばした。

 その時、晴夜を覆うものが花びらだけではないことに気がついた。その花びらの隙間に、無数の小さな腕が現れて晴夜を掴もうとしていた。

 化物。

 私は思わずぎょっとして、身を離す。そうすれば晴夜は僅かに悲しそうに私と見た。

「私たちはこのようなものだ。君とは違う。あぁ、迎えがきた。もうお帰り。せっかく会ったのだからこれをあげよう。もしどうしても全てに耐えられなくなった時には、数回にわけて齧るといい。少しだけ、気が楽になる」

 晴夜はぽきりと右手薬指を折り取り、私に手を伸ばす。

「今ならまだ、帰れるから。全部一度に食べちゃ、駄目だよ。それこそどこにも行けなくなってしまう」

 混乱しながらおそるおそる、その美しい指を受け取った次の瞬間、世界はザワリとざわめき晴夜は完全に桜に覆われ、そして風が全てを吹きちらした後、晴夜の姿はすでになかった。

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