化け物の家族
「何と告げたのだ?」
「夕霧の不具は日に当たれぬこと。他は人と代わりません。ですからお泊まり頂いても、夕霧は大階段までしかお見送りできません。違いましょうか、白河様」
「い、いえ、その通りです」
突然に向けられた静かな質問に、弥治郎は思わず慌てた。
「御内儀。私はこれ以上、白河様に夕霧のことを申し上げるつもりはございません。それはお二人で話し合う筋合いのことです。御内儀であればお分かりいただけると思いますが?」
「ふん。それは正しいのだろう。お越し頂き誠に申し訳ない。玉藻に預けた金子は受け取ってくれ」
「いいえ。ご要望にはお答えできそうにありませんし、これは私も興味本位でお伺いしたものですから、貸し借りなしです。足代としてお菓子を頂戴してお仕舞に致します」
そう告げると、幽凪は脱ぎ捨てた羽を纏って鳥の頭を被ってくるりと回ると既に美しい瑠璃色の鳥の姿で、ふわりと離陸して本物の鳥のようにくるりと二人の頭の上を羽ばたき、そしてその二本の鉤爪で器用においりの袋を一つ引っ掛けて窓から飛び去った。
その間、弥治郎はただ、あっけに取られるばかりだった。
「青山様、今のは幻覚か何かなのでしょうか」
「あれこそが化物の仕業だ。人は鳥に変化し空を飛ぶことはない」
「けれども幻術と言っていました」
「将来その絡繰がわかるのかもしれないが、少なくとも幽凪殿は現在時点において他覚的自覚的に化物の所業を行っているのだから、化物と言われても否定しないだろう」
弥治郎の頭は未だ混乱していた。
自覚的に? 自覚に行えば化物になるのだろうか。
思い返して、けれどもそもそも、幽凪がもたらした情報に新しいものはないはずだ。
「夕霧の年齢は知っているか?」
「いえ、ですが二十そこそこでしょう」
「少なくとも五十は超えている」
今度こそ、弥治郎の表は驚きに歪んだ。
「そんな、馬鹿な。夕霧は幽凪屋の前に捨てられていて……」
「それはどの幽凪屋の話だ?」
そこで弥治郎は混乱した。
神津新地は7,8年前に官製で整えられた遊郭街だ。とすれば夕霧が物心つく前に捨てられたというのは、この新地でのことではないのだろう。この遊郭街はもともと神津にあった遊女屋を集めたものと聞く。
青山が調べたところでは、元々の幽凪屋は和早山の麓あたりでひっそりと営業していたのだそうだ。そして少なくとも40年ほど前からは、夕霧はその格子の内に座っていたそうだ。
弥治郎は絶句した。時系列的に、少なくともこの新地に捨てられたのではないことは理解したが、あの夕霧の張りのある肌はとても五十とは思えない。
「そんな、馬鹿な」
「夕霧は人ではない」
「いえ、そんなはずはありません。仮に五十であっだとしても、それはただ、若く見えるだけでありましょう」
弥治郎は必死にそう、言い繕う。
「先程幽凪は夕霧を『他人』とではなく『人』と代わりないと言った。それは人ではない存在と比べる言だ」
「言葉の綾ではないのですか」
ふいに歓声があがり、太鼓が打ち鳴らされる音がした。もうすぐ玉藻太夫の道中が始まる。そう思って外を見れば、空は既に深い群青色に染まっていた。
青山もゆっくりと窓の外を眺め、その顔は淡く藍色に染まった。
「玉藻も人ではない」
「はい?」
「俺は玉藻が化物かどうかなど気にはしないが、化物であることは否定し難い。否定しようとも思わないがな。だから幽凪殿は俺であればわかると言ったのだろう。人の身で化物と添い遂げるのは通常の身請けと異なる様々な検討事項がある。それでお前は夕霧が化物であれば、身請けは取りやめるのか? 仮にそうだとしても今まで通り支援は継続しよう」
その夜。
美しい玉藻大夫の道中を横目で見ながらその傍の歩道を通り過ぎる。行き交う一瞬、僅かに大夫と目が合ったが、その表情は氷のように全く動かぬままだ。花魁は特別だ。現世とは隔絶した高嶺の花だ。この現世など一切気にかけることすらなく、澄ましきったまま往来を練り歩く。
狐の柄の豪奢な打ち掛けを羽織る玉藻大夫は、この世のものとも思えぬほど美しかった。全ての空気と全ての色を従えるようなその行程は、たしかに化物じみた美しさともいえる。さりとて弥治郎にとっては真の意味での化物とは思えなかった。
幽凪屋の格子に回ればたくさんの異形が蠢いている。よくみれば一人一人異なり、それぞれに確かに表情があり、それぞれに何かを考えているように見える。
これが病だと言うのか。
弥治郎にはどこまでが病で、どこからが化物かはよくわからなかった。これが人であるとすれば、化物ではないとすれば、これが夕霧の家族なのか。夕霧にとっては自らと同じ存在で、夕霧にとって俺より大切なものなのだろうか。
けれども一つだけわかることがある。それは夕霧が弥治郎にとって特別であるということだ。夕霧は弥治郎には格子の中でひときわ美しく、先程の玉藻大夫と比べても遜色ないほど特別に見えた。
夕霧は格子の外の弥治郎には気が付かず、やがて内から呼ばれて格子から出た。表に回って暖簾をくぐれば番頭が現れ、夕霧の用意ができたと言う。大階段を登ろうとすれば、その広間に座り煙管から煙を吐く幽凪の傍にはおいり菓子の袋が見えた。
「主さん、お待ちしておりんした」
「俺もだ。一時も離れたくはない。今日は弁当を持ってきたよ」
夕霧はいつもどおり儚げな笑顔を浮かべていた。
青山はどうせ食い切れぬからと、桔梗屋の飯を折に詰めて弥治郎に持たせた。それはとても美味かった。けれども冷たかった。幽凪屋で出る仕出しも同じだ。仕出し飯というものは冷たい。幽凪屋で温かいものを食べるには内用につくる食事を求めるしかない。あの他の異形と同じものを食べるしか。
「夕霧。俺はお前と家族になりたいのだ」
「家族」
「家に帰ればお前が待っていてくれる。そして一緒に暖かい飯を食いたい」
「主さん。わっちは料理など」
「料理は女中にでも作らせれば良い。日の下に出られぬなら奥にこもって居れば良い。けれども一人はつまらんかな。ここならいつも『家族』がいるものな」
夕霧は複雑な表情で、同じく自嘲を込めた複雑な笑みを浮かべる弥治郎と仕出し弁当を交互に眺める。弥治郎も夕凪を見つめたが、化物であるとは到底思えなかった。そして五十を超えるようにも。




