3章 化物楼
「幽凪屋は化物楼だ。だからあそこにいるのは基本的に、みんな化物だ。その化物には奇形、病持ち、そして化物が含まれる」
「はい」
「弥治郎、化物というものは存在すると思うか?」
「えぇ。その中から夕霧を救いたいのです」
ある日の朝、青山は帳簿に目を落としたまま弥治郎にそう尋ねた。そして弥治郎の答えに、僅かに息を吐いた。
化物。弥治郎にとって、化物というなら、あの格子の内は化け物しかいない。鱗の生えた人間、3メートルはあろうかという女。一つの腰から二つの体が生えた女。この世のものとも思えないそれらの存在が、夕霧と親しく語らっている。そしてそれらが夕霧の家族であるという。その頃の弥治郎にとって、彼らの姿は何故だか身震いがするほど恐ろしく、不快だった。
「弥治郎、幽凪屋は幽凪晴夜の囲う見せ物小屋だ。あの妓楼の経営というのは奇妙でな。楼主の身売りで成り立っている」
「楼主の身売り、ですか?」
「ああ。幽凪屋の遊女のほとんどは知らぬのだろうが、幽凪屋の楼主もまた、他の遊女と同じく化物なのだ。そして極たまにそれを極めて高値で買う奴がいる。そういう客のために、買われてもよい日は楼主も格子に入り、その合図にすががきに興じる」
「先日確かに格子に入っておりましたが……」
そして夕霧や他の連中と話していた。
思えばあの三味線の音色は一線を画す名人芸の域にあったと思う。あれであれば、何かの合図にするにも良いのかもしれないと、弥治郎は想起した。
「楼主が買われる夜は、新地の全ての遊女が一晩買えるほどの大金が動くらしい。だから極論を言えば、幽凪屋の遊女の上がりなど幽凪殿にとって何の意味もない」
「そう、なのですか?」
弥治郎は困惑しながら幽凪を思い浮かべた。確かに整った顔をしているが、それほど飛び抜けた価値は感じられなかった。いや、それをいえば夕霧以外の遊女を買うのは正気の沙汰ではないように思われた。それに比べればというところはあるが、それにしても物腰の柔らかな華奢な男にしか思えない。つくづくあの妓楼は通常とは異なる価値観で動いているのだと思いおこす。
「だから本来、幽凪屋は幽凪晴夜一人がいれば成り立つ。けれどもあいつは似た境遇の者を拾って身を売らせている。俺の知り合いで幽凪晴夜と仲のいい楼主がいてな。昔、何故化物ばかり集めるのかと聞いたそうだ。幽凪殿は化物でも他の遊女と同じように普通に身を売れるのだからと言っていたらしい。幽凪殿にとっては遊女が売れても売れなくてもどちらでもよいのだろう。だから身請け金も相場を提示する」
「お伺いするところでは人品に欠けるようには思われませんが。むしろ」
青山は帳簿を閉じて弥次郎に返し、左右を見回す。昼四つの白河屋の店内は明るく、二人ほどの客が番頭と話をしていた。
「お前はこの間、宇吉に夕霧を身請けせずに年季明けを待とうかと、そう言ったそうだな」
「はい。夕霧が身請けを了承しない以上、他に方法がありません。駄目でしょうか」
「幽凪屋には年季明けという概念がない」
「ない……? どういうことです?」
通常、遊女は17,8ほどから客を取り始め、十年働けば借金が帳消しとなって遊女屋を出られる決まりではないのだろうか。遊女はそれを頼りに生きている。願いが叶わぬ事が大半であっても。
「新地ではいくつかの基本的なルールがある」
青山が述べるルールとは、このようなものだ。
単純な遊女の扱いのルールについては、年季明け、遊女に飯を食わせることが定められている。
遊女屋のルールについては、遊女に遊女屋内の風呂や新地内の銭湯を利用させて遊女を清潔に保つこと、定期的に駆黴院で瘡や淋の有無を検査し、発見されれば治療を行うことが定められている。
新地のルールについては、遊女は大門の外に出られず、大門が閉まっている間は基本的には誰も出入りが出来ぬことが定められている。
これらは遊女を守るためのルールだ。それは弥治郎にとっても既知で、当然のように思われた。
「他にも色々とあるが、幽凪屋はそれらの決まり事は、新地に関すること以外は免除されている。何故なら幽凪屋は遊女の扱いについては自前で破格の待遇を確保しているし、医者や風呂も自前で用意している。幽凪屋の遊女を銭湯や駆黴院につれていけば騒ぎが起こる。だから官憲も見逃している」
確かに銭湯にあの化け物どもが押し寄せれば大騒ぎになるだろう。それに駆黴院は一般的な病を診るものだ。幽凪屋の遊女は特殊すぎて、診察以前の問題かもしれない。だから医者については定期的に幽凪屋が呼んで診せているらしい。
病。そうだ病だ。夕霧が身請けを了承しないのは医者の問題もあるのかもしれない。日に当たれないのであれば、それは特殊な病だろう。
「医者を紹介して貰えれば身請けに応じてもらえるでしょうか」
「そういう問題でもないな。そうだな、今夕、桔梗屋に来い。ここでは憚りがある」




