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陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる俺、山菱哲佐の物語 ~明治幻想奇譚  作者: tempp
あけぬ夜はなし 朝を待ちわびる二人の話 明治16年秋 ←エブリスタ執筆応援「執着/独占欲」佳作

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   幽凪屋の楼主

 弥治郎はその日、少しだけ早く仕事を切り上げて新地の桔梗屋(ききょうや)に向かった。道中を練り歩く最も高級な遊女、花魁と遊ぶには、新地外の揚屋で花魁を呼び出さなければならない。その間、揚屋では宴会が繰り広げられ、そこにも莫大な金を要する。そして桔梗屋はこの新地で最も高級な揚屋だ。

 青山は新地一の花魁を新地一の揚屋に毎日呼び出している。だから青山はその日一日稼いだ莫大な金子を、全てその夜に使い切ると噂されていた。

 その相手である玉藻太夫も、夜見世(夜営業)の始まる暮六つ(午後六時)の鐘がなると同時に、新地と現世を隔てる大門を潜って道中を練り歩き始める。一刻も早く青山に会いたいとでも言うようにだ。

 そのように思い合っても身請けはかなわぬものなのだ。

 そして毎日の道中を見物するために、既に人集りができていた。この神津新地はおよそ7,8年ほど前に官製で作られた遊郭街だ。だからその見物用に歩道は広く取られ、花魁道中は新地の名物となり、人を集めていた。


 この世の全ての絢爛が集約される桔梗屋の、その豪華な二階を弥治郎が見上げれば、その欄干にもたれ掛かる青山とふと目が会った。青山の上がれというような仕草に従い、場違いだと思いながら桔梗屋の暖簾をくぐれば、やはりその美麗荘厳さは正しく別世界だった。

 けれどもいくつもの賑やかな宴席を通り抜けた先の青山の待つ部屋は、どの部屋よりも広く豪華そうであったのに、最も静かだった。大量の酒食は並べられているものの、芸妓などはいなかった。少しの豆菓子だけを手元に引き寄せ、脇息(腕を置く枕)に半ば寝そべりながら外の景色を眺める青山だけが、その広い部屋で唯一動く者だった。いつものキチリとスーツを着こなす姿とは随分違い、弥治郎は些か戸惑う。

「芸妓代は支払いさえしておけば断れるんだよ。落ち着かないからな」

 青山は外を見たまま、そう呟く。

「それで何か用か」

「少しご相談したいことが御座いまして」

「制帽のことか? 上手くいきそうだとは聞いていたが」

「いえ、その事ではなく、……夕霧の身請けの話です」

 弥治郎がそう告げると、青山は漸く弥治郎の方を振り返り、ジッとその目を注視しながら、先を促す。

「幽凪屋に身請けの打診を致しましたら、その金額はおよそ青山様の予想通りでした。けれども夕霧が身請けを了承しないのです。しばらく説得はしているのですが、如何ともし難く」

「そうか」

「私は生憎遊郭に詳しくはありません。何か満たさなければならぬ条件などがあるのでしょうか」


 青山は欄干に頬杖をつき、わずかに首を傾ける。その首筋は妙に細く、赤く暮れなずむ窓の外の茜色を帯び、妙に色気じみていた。

「幽凪殿は何と言っている?」

「身請け金を支払えば、店として身請けに反対はしない。けれども夕霧が同意しなければ許さない、というお話です」

「夕霧が断るのか?」

「ええ。その理由が皆目検討がつきません。自分は幽凪屋を出ていけないとばかり言うのです」

 青山は僅かに目を細めた。弥治郎には見えぬ何かを推し量っているのだろう。

「幽凪屋の楼主は人品に欠けるところがあるからな」

「人品に欠ける……でしょうか」

「ああ。あの御仁は人が苦しむことに拘泥しないのだ。だから無理難題を押し付けることがある」


 今度は弥次郎は首を傾げた。そのようには見えなかったからだ。思い浮かぶのは柔和そうな表情ばかりで、言われてみれば、多少は確かに観察されているような心持ちが生ずることもなくはない。けれどもせいぜい、その程度だ。

「気づかなかったか? あれは常に人を値踏みしている。あの御仁にとって大切なものは幽凪屋だけなのだ。だから通常は俎上にも登らないような嫌な提案を平気でしてくることがあるそうだ。なんなら俺が少し、探りを入れてみよう」

 それは弥治郎にとっては渡りに船の提案だった。

「誠にありがとうございます」

「それよりそろそろ帰れ。玉藻がもうすぐ到着する。お前も夕霧のところに行くのだろう?」

「はい。では失礼致します」

 桔梗屋を出ればまさに人だかりで、玉藻大夫はあと少しで桔梗屋に辿り着くところだった。それでも、後少しと言ってもまだしばらくはかかるだろう。花魁道中は黒塗三枚歯の高下駄で足を八の字にくゆらせながら、三メートルの距離を一分ほどかけて練り歩く。

 そして悲鳴が上がった。

 見上げれば桔梗屋二階の欄干から青山が軽く手を振り、花魁がその氷のような表情をたちまち崩して僅かに微笑んだのだ。花魁とは、通常人のように笑ったりせず、氷のように取り澄ましているものだから。

 その姿を見るに、弥次郎の頭に浮かんだのは夕霧だ。

 夕霧も弥次郎が会いに行けば、あのように嬉しそうな顔をする。一刻も早く夕霧に会いたくなった。弥治郎は未だ人集りの只中にある玉藻太夫の脇をすり抜け、大門に向かう。他の楼から新しい花魁が道中を始めるようで、新たな人集りができていたが、それには目もくれず門をくぐる。そうして更に薄暗い中を奥に抜けたところにあるのが幽凪屋だ。

 最近の弥次郎は格子にはまわらず、いつも直接楼の暖簾を潜っていた。一刻も早く夕霧に会いたいからだ。けれども今日は、大勢の人の中を堂々と歩く花魁を見たせいか何とはなしに気が向いて、張見世の側に周ってみた。


 そこにもやはり人集りが出来ていた。

 けれどもその人集りは花魁たちの派手やかな美しさに対する称賛とは異なり、異物をへの嘲笑に満ちていた。

 弥治郎は思い出す。この楼閣の名前を。

 化物楼。

 ここはやはり普通の遊女屋とは違うのだ。弥次郎はすぐに嫌な気分になって、早く夕霧に会おうと幽凪屋の表に向かおうとした。その時ふと、気が付いた。

 何故だか楼主が格子の中にいたのだ。戯れか何かだろうか。楼主は素晴らしい腕前で三味線を弾き、周囲の様々な異形の遊女と楽しげに語らっていた。

 先程の青山の言葉が思い浮かぶ。その親しげな姿は確かにその格子全体が家族のように思わせ、そして何故だか弥次郎を酷く苛つかせた。そのような弥次郎の視線に楼主が気づき、ふいにこちらを向いてにこりと笑い、夕霧を促して奥に下がらせた。弥次郎のために格子から下げたのだろう。

 そうして夕霧がいなくなった格子の中は、不思議とすんと色をなくしたように見え、気づくとその内側に対する苛立ちも、何故だかつるりと雪のように溶けていた。その心持ちの変化に、弥治郎は首を傾げた。

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