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陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる俺、山菱哲佐の物語 ~明治幻想奇譚  作者: tempp
あけぬ夜はなし 朝を待ちわびる二人の話 明治16年秋 ←エブリスタ執筆応援「執着/独占欲」佳作

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2章 身請けの話

「ここにいるとはどういうことだ」

「申し訳ありんせん。ここがわっちの居所でありんす」

「お前は俺が嫌いなのか」

「そんなことはございんせん。主さんをお慕いしておりんす」

 夕霧はよよと顔を伏せた。弥治郎はその予想外の反応に、困惑した。てっきり身請けするといえば、夕霧が喜ぶと思っていたからだ。格子の前で化け物と呼ばれ、同じように嘲笑される。そんな生活が良いはずがない。

 そう思って弥治郎は夕霧の瞳を覗き込むが、確かに嫌われてはいないとは思えれど、その意味合いはにわかに掴みかねた。

 けれども夕霧は遊女だ。弥治郎にとって色恋というものの機微は、自身には判断はつかぬのかも知れぬとややも不安になった。


「何故だ。何故そのようなことを言う」

「わっちは小さい頃、夜明け前にこの幽凪屋の前に捨てられていたでありんす」

「捨てられて、いた? 売られたではなく?」

 それは弥治郎にとって些か予想外ではあったものの、捨てられたのと売られたのに何か違いがあるのだろうか。

 弥治郎のそのような困惑を見て取ったのか、夕霧は弥治郎の瞳をじっと見つめ、話を続けた。

「あい。物心つくまえのことで、わっちは親の顔も知りんせん。けれども楼主様がわっちを拾ってくれんした」

「その楼主が身請けしてもいいと言ったのだぞ」

「楼主様はどうせ、わっちが頷けば身請けを許すとおっしゃったんでありんしょう?」

 夕霧はわずかに目を伏せ、かぶりを振る。そうして珍しく意思を宿した強い目で弥治郎に臨み、自嘲するように口の端を悲壮に上げた。その表情はいつも見せる芒が揺れるような茫漠としたものと異なる。弥治郎の初めて見るもので、わずかに狼狽えた。

「楼主様は意地悪でありんす。わっちが出ていけんことをようご存じで、そう言いしんす」

「出ていけぬとはどういうことだ」

「わっちは日の下を歩けんせん。そう聞いておりんせんかえ?」

 弥治郎は確かに、幽凪からそのような説明を受けていた。幽凪はそれを不具だといっていたから、実際に日の下に出れば何か支障があるのだろう。


 弥治郎はそう思って色々と伝手をあたった際に、日の下では火ぶくれができるような体質の病があると聞いたことを思い起こす。

「お前もそういう病なのか?」

 それに対する夕霧の反応は、やはり自嘲としか思われなかった。すべてを諦め、笑い飛ばすような乾いた笑いが夕霧の口の端からわずかに漏れる。

「病……病といえばそのようなものかもしれんせん。わっちはここを出ては生きていかれんのでありんす」

「ならばずっと家の奥にいれば良い。表に出る必要はない」

「主さんは、ほんまにわっちを好いてくれんでありんすなぁ」

「何を今更」

 そう述べる夕霧の瞳には、いつものように再び憂いが満ちていた。その移り変わりに弥治郎が逡巡していれば、夕霧はそっと弥治郎の胸に身を寄せる。艶やかな黒髪がはらりと広がった。思わず弥治郎は夕霧の肩を抱き締めると、幽凪の煙管と同じような不思議な香りがした。

「わっちも主さんをお慕いしておりんす。夜明けが近づくたびに、もうこれが今生の別れかという想いが湧き上がりんす。一層のこと一飲みに食べてしまいたいくらいでありんす」

 夕霧が弥治郎を抱く腕にも力がこもり、その滑らかな表面にするりと透き通った涙が伝う。嘘には到底思えぬ。

「ああ、けれども主さん。このままでは駄目でありんしょうか。夜に主さんをお待ちする暮らしを続けるわけには」

「夕霧……せめて理由をに聞かせてくれ」

「そのままでありんす。わっちはここを出られんのでありんすえ」

 弥治郎はそれからも、夕霧に何度か身請けの話をした。けれども夕霧はその瞳に憂いを満たし、幽凪屋を出れば生きてはいけぬの一点張りだった。

 幽凪に再び尋ねても、身請けはその後の話もあろうから二人で相談するように、としか返ってこない。それは確かにそうなのだ。身請けした後にも二人の生活というものがある。むしろ長く続くそれこそが大切なのだ。

 よく考えれば楼主には身請け後の生活など何の関わりもない。破談となっても知ったことではない。なのにそのように述べるというのは弥治郎にとって善意にも思われ、だから幽凪にさらに尋ねるのも躊躇われた。


「白河さん、例えば夕霧さんのご姉妹が同じ幽凪屋にいらっしゃる、あるいはお子さんがいらして幽凪屋で育てている、訳でもないのでしょうね」

 弥治郎は宇吉の問いかけに、回想を打ち切った。

「おそらくそうだろうな。夕霧はいつも自分には身寄りがないという。それに夕霧は幽凪屋の前に一人で捨てられ、親の顔もわからぬというのだから」

「……考えてみればそれも何やら妙ですね」

「妙とは、どういうことです?」

「例えばその両親が金銭の問題で育てられないというのなら、普通は娘は売って金にするものなのでしょう。そして捨てられたのが幽凪屋というのも妙です。新地には他に遊郭はたくさんありますから」

 それは確かに、弥治郎が以前から思っていたことだった。

 幽凪屋は化物楼として有名だ。なぜわざわざそんなところに子を捨てる。ということは、夕霧には何らかの化物たる所以があるのだろう。それがおそらく、日の下に出られないというものなのだろう。だからこそ、弥治郎は該当する病を探したのだ。調べた折には、その病を患う者は陽の光を浴びれば皮膚がただれるとも聞く。その姿はひょっとして、悍ましいものなのかもしれない。けれども弥治郎は夕霧の姿だけを好んでいるのではない。だからこそ、所帯を持ちたいのだ。

 弥治郎は夕霧の両親の考えを思い浮かべた。日の下に出られなければ、確かに普通の仕事は行えまい。けれども遊郭は、そもそも日の下に出る必要がない。それは一つ、道理なのかもしれない。

 けれども何故、幽凪屋なのだ。

「そうですね……青山さんに相談してみてはどうでしょうか。白河さんも夕霧さんを身請けした場合のご祝儀の条項があるのでしょう?」

「……ああ」


 弥治郎も宇吉も青山と店を共同経営をしているが、その契約には目当ての遊女を身請けをした場合、青山は祝儀として店舗の所有権を譲渡するという内容が含まれている。

 共同経営な訳だから、儲かれば青山にも利益が入る。身請けできるほどの金が儲かるならばその利益は莫大だ。その発破をかける意味もあるのだろうが、二人は青山の純粋な善意というものも何故か感じていた。青山の相手が新地一の花魁で、その身請け金が夢のまた夢であることを知っているためもあるのだろう。

「身請けできる金を貯めても断られては元も子もありません。玉藻(たまも)花魁であれば新地の情報を何かご存知かもしれません」

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