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陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる俺、山菱哲佐の物語 ~明治幻想奇譚  作者: tempp
あけぬ夜はなし 朝を待ちわびる二人の話 明治16年秋 ←エブリスタ執筆応援「執着/独占欲」佳作

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   制帽とはにかみ

「どうした、(ぼう)として」

 青山の声に、弥治郎は回想を打ち切る。男にしてはやや小柄で体にすっきりと沿った洋装を身にまとう青山は、すでに本日分の帳簿の確認を終えたようだ。その長い前髪で隠されていない方の左目が、じっと弥治郎を見つめていた。

「……果たして見請けなど叶うのかと思いまして」

「そんな弱気でどうする。俺はお前の熱意を前提に金を貸したんだ」

 弥治郎はおそるおそる青山を見上げるも、青山の様子は変わらない。

「いえ、けれどもそれは見果てぬほど遠いように思われて」

「夢とは掴み取るものだ。もとよりお前の試みは、見果てぬ金を積み上げる作業だよ。よもや諦めるつもじゃないだろうな」

「まさか。もちろん夕霧を諦めるつもりなど毛頭ありません。……諦め切れるものなら、どれほどよいでしょう」

「ならば良い」

 青山は帳簿を弥治郎に突き返す。

 弥治郎は噂を思い出していた。青山自身も遊女に惚れている。新地で一二を争う紫檀楼(したんろう)の花魁だ。その身請けには夕霧よりよほど莫大な金額が必要だ。

「ところで今日は商談を持ってきた。神津警察の制服を一新する計画がある。お前、制帽を作らないか」

「制帽、でしょうか」

「ああ。山辺(やまべ)洋装店が制服を作るから、お前は制帽を作れ。だいたいの参加者は制帽も制服も同じ業者が作るようだが、分けても支障はあるまい。お前は山辺とも親しいのだろう?」

 山辺宇吉(うきち)は弥治郎と同年輩で、弥治郎より少し前にこの新興区に洋装店を構えた男だ。同じ商店会に所属しているが、特に誰とも親しくしていないようにも見えた。それは弥治郎にとっても同じで、親しいかと言われると困惑が勝つ。

「採用されれば一度に何百という注文が入るぞ。毎春には定期的にな。官が相手だから値引きの必要もないだろう。身請けも少しは現実味を帯びる」

 弥治郎はその話に目を見張った。

 現実味どころではない。弥治郎が頭の中で軽く試算をしてみても、莫大な金が動く。その金であれば、夕霧を見請けできるかもしれない。その期待に弥治郎の胸は高まった。けれども同時に、夕霧の儚げな表情が胸に浮かぶ。

 青山の引き合わせで改めて会った山辺は商店会で会うのとは違い、弥治郎の目には思いの(ほか)情熱的な人間にうつった。制服採用に向けての気概が漲っていた。聞けば宇吉の思い人も遊女なのだそうだ。何としても選ばれて、見請け金を貯めると息巻いていた。

 それが弥治郎にはなにやら眩しく思えた。


 山辺も汎用的な服を作るのは初めてだというが、弥治郎も初めてだ。色味を統一し、日毎にいくつかのサンプルを持ち寄り、検討を重ねる。

「白河さん、ケピ帽というのは不思議な帽子ですね」

「仏国の軍隊で使用されているようですね。このように円筒形で短いツバがある」

風光堂(ふうこうどう)の焼き菓子の缶のようです」

 風光堂は同じ新興区にある洋菓子屋で、昨今贈答に人気がある。確かに中の菓子を除いて逆さにかぶれば、似たような姿にはなるかもしれない。

 宇吉はともすれば、子供のような笑い方をする。その目的にのみ焦点を合わせた曇のない目は、弥治郎にはひどく眩しく写った。

 もともとの神津警察の制帽もケピ帽であったが、カフェーで眺めてはツバの始まりの位置が内に寄って不格好だと思っていたところだ。もともとのデザインは西洋人の頭の形に合わせたもので、頭が横に広い日本人であればよりツバの両端を広く取るべきだろう。

「なるほど。さすがは白河さんです」

「いえ、山辺さんこそ素晴らしい。威厳の出し方など、服にも目的に応じた型というものがあるのですね」

 そう率直に述べれば、宇吉はやはりひどく嬉しそうにはにかんだ。

 弥次郎と宇吉は時にはその生活をほとんど同じくし、意見を取り交わしながら縫製や裁断をする。そうした工夫は互いに得難いものとなり、日を重ねるごとに信頼感は増した。同じような境遇であることから、いつしか仕事以外のことも話題に上がるようになる。

 だから、弥治郎は思い切って宇吉に尋ねることにした。

「山辺さん。身請けを喜ばぬ遊女はいるのでしょうか」

「……どうなのでしょうね。普通は喜ぶと思いますが。喜ばれないのですか?」

「それがどうもわからぬのです。自分はこの楼を離れられないとのみ述べるのです」

 宇吉は心配そうに、僅かに首を傾げる。

「見請け金が莫大であるのを遠慮されているとか」

「それが金額の問題でもないようで」


 弥次郎は幽凪に身請けを申し出たときのことを思い出していた。

 遊女を身請けするにはまず楼主に伺いを立てねばならない。あれも薄暗い夕暮れのことだった。幽凪屋の暖簾を潜り、番頭に楼主に繋いでもらう。丁度青山と出会い、帽子店を始めることが決まった頃合いのことだ。

「楼主様、夕霧を身請けするにはいくら入用でしょうか」

「おや。お客人、本気仰っしゃられているのです?」

「まだ目処は立ちませんが、新しく仕事を始めましたのでいずれは、と考えております」

「へぇ。そうですね。夕霧の借金はいくらで御座いましたかな、おい」

 番頭が運んできた帳簿を、幽凪は煙管を燻らせながらペラペラとめくる。その時間をただひたすらにじっと待つ。やがて示された金額は、青山の予想した金額とそう変わらなかった。いずれ自分にとっては途方もない金額だ。聞いた話では、これに祝儀金やらなにやらもかかるらしい。

「うちはこれだけ払ってもらえればよう御座います。相場外れの額じゃ御座いません。後は夕霧とご相談ください」

 嗄れた幽凪の声に弥治郎は困惑した。なぜなら、見受けの話は通常楼主とのみ行うものだからだ。遊女に相談するなど聞いたことがない。

「夕霧に?」

「ええ。うちは家族みたいなものですから。本人の意思が肝要です。夕霧に出ていくつもりがないのでしたら、身請けに応じることは致しかねます。これはあの子の借金でございますからな」

「それは確かにそうなのでしょうが。その、何かあるのでしょうか」

「さて。それは直接夕霧に聞いてごらんなさい」

 幽凪はそう述べて目を細めた。

 身請けというものは遊女の借金を肩代わりするものだ。それであれば遊女が拒めば為せぬのも道理なのかもしれない。

 けれどもその時、弥治郎は断られるはずがない。そう思っていた。格子の前に見せ物の如く並べられ、春をひさぐ暮らしは碌なものに思えなかったからだ。

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