朝の訪れ
「哲佐君、金には困っていませんか」
「お前、わかってて言ってるんだろう?」
長屋の戸口のカラリと開く音で目を開けると、鷹一郎がやけに清々しい笑顔で立っていた。裏長屋の陽当たりは悪い。じめついた冬の早朝にひどく不釣り合いな男だ。
褞袍を引きずりなんとか身を起こしたところに強烈な頭痛だ。昨日しこたま博打で負けて、家に残った僅かな酒をかっ喰らってふて寝したことを思い出す。目覚めとしては最悪だ。だが頭が割れるように痛いのは、酒のせいばかりではないだろう。
虫の知らせだかなんだか知らねぇが、こいつが現れる時はいつもこんなタイミングだ。奇妙奇天烈な事件が起きて、俺に金が無い時。いや、俺に金が無い時に奇妙奇天烈な事件が起きてるのか?
……そんな馬鹿な。それじゃぁまるで俺が事件を招いているようだ。
ともあれ鷹一郎はその日の朝一番、明け六つより少し早い時間帯に俺の下宿にやってきた。
金を持って。
俺は時折鷹一郎に雇われる。
鷹一郎の給金はいつも破格にいい。今回も日当換算でその辺りの日雇いの少なくとも倍、終了時には3ヶ月は遊んで暮らせるほどの金。
だからというわけじゃねぇが、俺は今も下働きのように米を炊いている。しゅうしゅうと釜から音がして、米の炊ける独特のすえた香りと共に、その釜戸の熱が巡り巡ってこの狭い部屋がようやく暖まり出す。
「さて、私もおかずを調達して参りましょうか」
壁にもたれて何やら手紙を広げる鷹一郎に非難がましい視線を向けていると、悪びれもせずそのような声がして、『なっとなっとうーなっと』という納豆売の声が聞こえた。
この裏長屋の辺りには、朝になるといつも納豆売や豆腐売りをはじめ、様々な物売りが桶をかついでやってくるのだ。それでようやく朝。
ほかほかのご飯が炊きあがるころには表通りはすでに賑わい始めていた。
「それで今回の仕事は何だってんだ」
「人探しですよ」
「人探し? なんでそれをお前に頼む」
「さらったのが人じゃないからです」
さらったのが人ではない。しれっと言うことではないが、鷹一郎は陰陽師だ。だから、そういうことなのだろう。
朝の一番には随分不穏な話題だ。納豆をかき混ぜながら話すことじゃぁない。
鷹一郎に依頼の手紙を見せてもらったが、どうにも要領を得ない。茶屋で働く千代という娘がいなくなった。それは逆上村の奥にある妙な林だか森だかのことらしい。逆上村というとここから歩いても小一時間もかからない。
「これからその逆上村に探しに行こうっていうのか?」
「いいえ。そもそもこの手紙の通り、相手が何なのか知れません。いきなり行って危険なものだったら? 困るのは哲佐君でしょう?」
困るのは、俺。
「だから最初は下調べです」
「下調べ?」
「そう。最初の不審な点です。この千代という娘は生まれ育ったはずの村で『存在しない』ことになっている」
「そりゃ、その赤矢という男を追い返そうとしたんじゃないのかい?」
鷹一郎は酷くつまらなさそうに俺を眺めた。
「さてね。だから私は本当に『存在するのかどうか』を調べてきます。その間に哲佐君には買い出しをお願いします。はいコレ」
存在するのかどうかを、調べる?
そんなことは行ってみりゃすぐわかるだろ。けれども下手に首を突っ込めばろくなことにはならないもんな。そんなことは確かに身をもって知っていた。
まずは、何が起こったのか、か。勘違いは生兵法のもとだ。
そう思って手渡されたリストを見て、うんざりする。
いずれもこの近辺で手に入るものではあるが、合わさると重量物だ。確かに俺が買い出しを担当する方が合理的ってやつだな。
鷹一郎の細っちろい腕を見てそう思う。
「それで八つ半に件の二東山の峠茶屋で待ち合わせしましょう」
そう言い捨てて、鷹一郎は戸口の水場に茶碗を片付け、振り返りもせず立ち去った。既に金を受け取った俺に決定権なんてものはなかったのだ。




