元ガチ恋勢は物思いに耽る
~~side あさがお~~
人生においていちばん幸せな時間って、もしかしたら皮算用をしてるときかもしれない。
そんな夢のないことをまだ中学生の私が思ってしまうのは、全部あのオフ会事件のせいだった。
私はたぶん本気で恋をしていた。ディーテという配信者に。
オフ会を開く。そう彼が配信で発言したとき、私は短い悲鳴を上げた。やっと会えるんだと。飛び跳ねたい衝動が胸の内側で暴れ続けて、その日は眠れなかった。いつまでもニヤケが治まらず、そしてそんな自分すらもおかしくて、ずっと布団に顔を埋めて笑っていた。
それからの毎日は本当に幸せだった。登校中に目に入る景色、友達とのおしゃべり、いつも眠気を誘ってくる歴史の授業。日常を形成するなんてことない一つひとつのことががらりと色を変え、どれも特別なもの思えた。
大人っぽい印象を与えたいと、事情を知る友達の悠に相談したら一緒に服や髪型を選んでくれた。
あさがおは絶対これが似合うよ。そう勧められて買った青のフレアスカートと、控えめなフリルに大きな襟がかわいい白のブラウス。
悠を家に呼んで試着してみると、鏡に映る自分を見て勝手に背筋が伸びた。悠が編んでくれた髪はサイドが三つ編みになっていて、横を向くと動きに合わせて小さく揺れた。知らない自分との対面に、胸の奥がむずむずした。
凛とした姿に嬉しくなり、「どう?」と格好つけて流し目で尋ねる。「大人っぽい服を着たからって顔まで大人っぽくしなくてもいいよ」と悠は笑った。あさがおは笑ってるときがいちばんかわいいよ。そう彼女は言ってくれた。
来たる日が近づくに連れて、想像はどんどん膨らんでいった。
どんな人かな。どんな話が好きかな。普段はなにしてるんだろう。話し方的に若い人っぽいな。年が近いといいな。どこに住んでるんだろう。もしかして近所だったりして。
――私を見て、どんなふうに思ってくれるのかな。
そして、オフ会当日。
私の初恋は、見るも無惨に砕け散った。
私は自分を恨んだ。こんなことになるのなら初めから恋なんてしなければよかったと。あれだけ幸せに思えた日々が、急に陳腐なものに見えた。
そもそも、一度も会ったことがないのだ。そんな人相手に都合のいい妄想を膨らませて、有頂天になっていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。
そして、勝手に期待してたくせに裏切られた気持ちになっている自分も嫌だった。
あの日のことを思い出すたびに、心に黒い影がぽつりと落ちる。舌の裏にざらりと残る感触は、きっと夢見がちで未熟だった自分に対する苦さだ。もう一生立ち直ることはないと思ったし、立ち直らなくてもいいと思っていた。
だけど、そんな考えがいまはちょっと変わりつつある。見るものすべてがくすみ、わずかな光さえ感じない絶望から始まった今日までの日々。振り返ってみれば、なんだかんだ言って楽しかったような気がする。
映画館に行き、凸待ちに参加して、コラボに乱入したり……。
「あなたはお兄ちゃんにマイクをプレゼントするよ。しかも高いやつ」。そう過去の私に教えたら、いったいどんな顔をするんだろう。驚くかな。でも逆にほっとするかもしれない。仲直りできたんだねって。
こんなふうにまた日常を明るく過ごせるまでに立ち直ることができたのは、兄のおかげだと思う。なんだか癪だけど。
あの日、きっと兄にも辛いものがあったはずだ。それなのにそんな素振りを私に一切見せなかった。どんなに拗ねても、どんなわがままを言っても、素直になれない私を全部受け止めてくれた。
兄はいまごろどうしているのだろうか。今日退院するってお母さんが言ってたけれど、大丈夫なんだろうか。
「ねえ、ねえってば。あさがおさーん、帰ってきてー」
プロローグと第9章の語り手は同じ人です。




