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騒がしい日々は、これからも

 病院の帰りに母とファミレスで昼食をとり、帰宅したのは午後二時過ぎだった。


 シャワーを浴びてから戻った部屋は、たった一日空けただけなのにずいぶんと久しぶりのように感じた。イスが遠くに投げ出されている。結構な勢いで後ろに飛ばしたんだなと一日前の自分に思わず鼻で笑った。キャスターを転がしながらもとの位置に戻す。


 パソコンの電源ボタンを押すとモーター音が鳴り、生ぬるい風が肌をかすめた。モニターに明かりが灯る。どうやらあさがおは電源ボタン長押しによる強制シャットダウンをしたようだった。配信の切り方なんて知らないだろうし、最善の選択だと言える。


 イスに腰を下ろし、ヘッドホンを頭にかける。鼻から息を吸い込めば、まだほのかに香る昨日の余韻に身体がうずいた。

 アーカイブを開くと、委員長の指示どおりシークバーを終わり付近まで移動させた。ここら辺だろうか。再生位置を調整すると、過去と対面するような気持ちで再生ボタンを押した。


――ゴゴゴゴッ!


 突如、耳をつんざくような突風に襲われた。なにごとかと慌てて窓のほうへと首を回す。しかし、窓は開いていなかった。微動だにしていないカーテンが、我関せずといった様子で僕を見つめ返している。


 突風の正体は、僕の息だった。


 ゴウゴウと繰り返される呼吸音が、鼓膜を強引に揺らす。お腹をすかせた猛獣みたいな荒々しさに、僕は頭を抱えた。

 これを数百人の前で披露していたのか。マイクの高性能さも相まって鮮明に聞こえてくるから、より恥ずかしい。


 己の醜態にうなだれていると、ゲームのほうは生存者があと二人の場面になった。シークバーの残りもあとわずかになっている。


 そう言えば、この辺りで流れてきたコメントのおかげで勝つことができたんだっけ。そんなことを、画面のなかでキョロキョロと索敵している過去の自分を見て思い出す。

 あのコメントがなければ確実に負けていた。勝てないまま倒れ、目標を達成することなく配信が終わっていたことだろう。

 図らずとも数的不利を押し付けてしまった相手のプレイヤーには、多少申し訳ない気持ちがある。だが、三十時間以上もプレイしていたのだ。その行いに免じて許してくれたらと心のなかで願った。


 最終局面ということもあってあまりコメントを見ることができていなかった。見逃しがないようにじっくり読んでいると、例のコメントがパッと現れた。



【左奥十一時の方向の岩の裏にいる! 決めろ!】



 そうそう確かこんな文だったと、目で追いかける。この人が命を救ってくれた救世主だ。崇めるような眼差しを向けていると、その横に書かれた名前に気づき息を呑んだ。



【ゴッドアフロ】



 ああ、そうだったんだ。


 自然と頬がほころんでいく。


「ふふ、ありがと」


 ぽつりと吐き出した言葉は、無意識だった。笑みを含んだ呼吸が妙に熱い。それは真夏の暑さのせいでも、シャワーを浴びて火照っているせいでもなく、きっと嬉しかったのだ。最後のきっかけがあさがおだったことが。

 照れに似た心地のいい感情が、僕の内側に充満していく。なんだかウズウズして、コップの水を一気に喉の奥へと流し込んだ。熱を内包する身体のなかで、通り抜けていくその冷たさがはっきりと際立っていた。


 パァンッ! と最後の銃声が鳴り響き、試合が終了した。僕が一位になったことをゲームの画面が示している。そしてそのすぐあとに、けたたましいキャスターの音が響き渡り、思わず目を伏せてしまうような鈍い衝撃音が二回鳴った。背中と頭をぶつけたのだろう。痛みがフラッシュバックして、背中をさすった。


 僕に向けられていた称賛や労いのコメントが、悲鳴や動揺の声へと熱量そのままに移り変わっていく。リスナーの声であふれかえったコメント欄は、もはや目で追えそうにないスピードになっていた。


 画面の向こう側からは一切の動きがなくなった。人の気配が消えた突き刺さるような静寂が、ヘッドホンを通して過去から現在へとなだれ込んでくる。息をするのも憚れるような緊迫した空気に、鼓膜がキンと痛む。


 想像以上の結末に苦笑いを浮かべるしかなかった。自分がリスナー側だったら、きっと同じように慌てふためいていただろう。みんなには申し訳ないが、倒れた側でよかったかもしれないと思った。そっちのほうが気楽だ。


 やっぱり委員長の言っていた「いいもの」とはこのことだった。これ以上はもういいかな、と右上の赤いバッテンにカーソルを合わせる。

 その刹那だった。

 ドドドッ、と得体の知れない打音が飛び込んできた。だんだん大きくなる音に、マウスを握った手が動かない。迫ってくるそれが足音だと気づいた直後、壊れるくらいの勢いでドアが開かれた。雷のような叫び声が、部屋中に轟く。


「お兄ちゃん!」


 あさがおの声だ。いままで一度も聞いたことない声だったが間違いない。倒れ込むような音が鳴る。床の上の僕に駆け寄ったのだ。マイクに近づいたせいで、そのえぐるような叫びがはっきりと鮮明になっていく。非常に緊迫した状況だということが、彼女の乱れた呼吸から伝わる。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん! ねえってば! しっかりしてよ!」


 なんどもなんども、あさがおは呼びかけていた。そのたびに胸が張り裂けそうになる。

 だが、過去の僕が返事をすることはなかった。


 次第にその叫びは弱々しくなり、そして嗚咽へと変わっていった。震える呼吸に混じって、鼻を啜る音が聞こえてくる。


「お母さん! お兄ちゃんが!」


 マイクとは反対方向に向かって声が放たれる。自分ではどうすることもできないと悟ったのだろう。そして「あっ!」と短い悲鳴を上げたのを最後に配信が終了した。ここで電源ボタンが押されたのだ。


 アーカイブが終わった。瞼は見開いたまま固まり、画面から目を離すことができなかった。ドクドクと早鐘を打つ鼓動の音が、ヘッドホンに塞がれた耳のなかで反射している。それ以外の音はもうなにも聞こえなかった。


 心ここにあらずだった。頭が真っ白で、なにも考えられない。どっと力が抜け、手足が下へと垂れる。そのまま後方に体重をかけると、傾いたイスがギイと苦しそうにきしんだ。


 まったく知らなかった。裏でこんなことが起きていたなんて。白い天井を虚ろに眺めながら、そんなことを考える。

 小学校が終わったのだろうか。黄色い帽子をかぶったような子供の声が、窓の外から聞こえてくる。弾んだ声音が和やかに頭の上を通り過ぎていく。現実味がさらに薄くなっていく。


 なんだか不思議な感覚だった。さっきの出来事はすべて自分のことであるはずなのに、僕はその自分を知らない。自我が曖昧な寝起きの脳で、夢での出来事を思い出しているときに似ている。微かな実感はあるのに、どこかよそよそしい。

 でもこうして形に残ってる以上、これは紛れもない事実だった。ジリジリと騒いでいる蝉の声がガラスを通り抜け、僕を現実へと引き戻す。外の世界は鮮やかな水色に満ちていて、それをめいっぱいに吸い込めば暑い季節の匂いがした。


「それにしても、」


 脳内でつぶやいた言葉が、ふと表に吐き出された。紡いだ唇が、ゆるりと弧を描いていく。


「それにしても、めっちゃ叫んでたなー」


 耳をかすめた声はとても静かなものだったが、喜びがにじんでいるのが自分でもよくわかった。あんな必死に心配されていた事実が、無性に嬉しい。あさがおの行動を決して忘れることがないように、言葉を宙に刻み込んだ。


「あーあ、これは大変なことになったなー。プリン何個で許してもらえるんだろう」


 わざとらしくため息を吐いてみる。


 あさがおは、このアーカイブのことを知っているのだろうか。


 これを見せたらどんな顔をするんだろうか。


 すねてしまったら、また一緒におでかけすることになるかもしれない。


 早く学校から帰ってこないかな。すぐにでも見せてあげたいと、年甲斐もなく胸が躍る。



 走馬灯のように思い起こされる、あのオフ会事件からの騒がしい日々。


 お互いにもうそろそろ落ち着いてきたかなと思っていたけれど、まだまだ続きそうだなと大きく伸びをした。


これにて8章終わり。あともうちょっとだけ(5話)続きます。引き続きよろしくお願いします。


1~8があってこそですが、次の第9章は個人的に一番書いてて楽しかったお気に入りの章です。

明日いつもの時間に投稿します。


ですがその前に、一回プロローグを読み直してみてはいかがでしょう。

そろそろ完結なので、始まりはどんなだったかなーと振り返ってみるのもいいかもしれません。

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