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人騒がせ野郎に集まる、いくつもの声

「あのね、朝陽。朝陽は相手の気持ちを第一に想い、寄り添い、尊重できる優しい子だけど、少し卑屈っぽいなってお母さん心配になることがあるのね。だから、相手を気遣う気持ちの一部でも自分に向けてほしいなってよく思うの」


 僕を包み込むような声音が、静寂をはらんだ空気になじんでいく。頬を緩ませて、母は続けた。


「勉強の面はちょーっとだけ不真面目だけど、朝陽は物知りでネットの怖さとかマナーとかお母さんよりよっぽど詳しいだろうし、時間帯や周囲のことを気にかけて節度を守りながらやってるんだろうなって信頼してたから、いままでなにも言わなかったのね。でもね、こうやっていちばん肝心な自分自身のことを傷つけるようなことを今後もするんだとしたら、お母さんはもう二度と朝陽がやってることをやらせたくないなって思う、かな」


 本能がそうさせたのか、無意識のうちに聞き入っていた。おおらかな声音だったが、その奥には決してブレない芯のような力強さがあった。

 母は言いたいことを言い終えたのか、僕にニコリと微笑んだ。もしかしたら、深刻になりすぎないように気を使ってくれているのかもしれない。強い言葉を使わなくても伝わるだろうと、母は僕を信頼してくれている。


 母の言葉が頭のなかを飛び交って、それ以外のことをなにも考えられなかった。こうして普段見ない『母親』としての一面をまじまじと見せつけられると、いますぐ逃げ出したい衝動に駆られる。胸がむずむずと疼き、気恥ずかしい。

 ただ、同時に謎の安心感もあった。不思議な暖かさが僕を呑み込み、力を抜かれていくのがわかる。この空間にずっといたい。そんなことを思う正反対な自分も、確かに僕の内側に存在していた。


「……ごめんなさい」


 耳が捉えた声は、自分が想像していた以上にか細かった。喉は燃えるように熱く、息をコントロールできないほどに震えている。

 これ以上話そうとすると、なにかが決壊する予感がした。それだけはなんとしても避けたく、感情があふれないように唇を軽く噛んだ。


 荷物を整え終わると、母はペシャリとへこんだカバンを肩にかけた。


「じゃあ、お母さん帰るね。明日の昼ごろ退院だから、そのときまた来るね」


「うん。ありがと。あと、ご心配おかけしてすみませんでした」


 ベッドの上で芝居じみたお辞儀を深々とすると、僕の頭に母がポンと手をのせた。


 出口へと向かっていく母の背中をぼーっと見つめていると、心にぽっかりと穴が空いたような寂しさが唐突に顔を出してきた。さっきまでなんとも思っていなかった病室の空気が急に寒々しく感じ、意味もなく布団を握りしめる。


 すると、僕の内心を読み取ったかのように、母がピタリと足を止めた。その場でこちらに振り向き、僕を見つめる。

 まさか、心細いと思ったのがバレたのだろうか。焦った僕は、思考を見透かされないように慌てて心臓を手で覆い隠した。なにか思いついたように、その口角が吊り上がる。


「あっ、もし一人でいるのが寂しいんだったら、ずっとここにいてあげようか」


「やだよ。勘弁してくれ」


 笑み混じりに突っぱねると、「なんだ。残念」とふてくされたように言葉を投げ出した。

 その大きな瞳は嘘みたいに、緩やかな弧を描く瞼の裏に消えていた。


  ◇


 病院の廊下は学校の廊下に近い生活感があった。食事や医療器具を運ぶためかあまりものが置かれてなく、等間隔で設置されたドアは教室の入口のようだ。自由に歩いている患者さんとその様子を見ている看護師さんが、だんだん生徒と先生に見えてくる。

 でも、時が来るまで絶対に外の世界に出ることができないこの閉塞感は、病院特有の空気だった。


 点滴と手をつなぎ、カラコロとやる気のない音を鳴らしながら休憩スペースに向かう。木目調のテーブルとイスがいくつも並んだ空間には、数人の患者がテレビや新聞を見ながらくつろいでいた。

 人間の存在にほっと安堵する。やはり六人部屋の貸し切りは落ち着かなかった。


 窓際の空いてる席に腰を下ろす。窓の外はすっかり夜色に塗りつぶされ、真っ黒なガラスに反射した貧相な男と目が合った。なんだか僕に似ているような気がするが、そんなことはないと願いたい。


 SNSを開くと、リスナーたちから心配の声がいくつも届いていた。その慌ただしい文面から読み解くに、あの配信の幕切れはさぞかし劇的だったのだろう。

 彼らのなかでは、僕はもうこの世にいない存在になってるかもしれない。早く生存報告をしておかなければと、文字を打ち込んだ。


『心配かけてごめん。一位とった瞬間そのまま寝ちゃったみたい!』


 おおごとになるのも説明するのも面倒くさく、とりあえず元気なことだけを伝える。救急車沙汰になって入院しているなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかった。


 特にすることもないためなんとなくテレビを眺めていると、唐突にスマホが震えだした。画面には『西宮紗宵』と表示されている。委員長だ。


「ねえ! 大丈夫なの?」


 電話に出ると、耳元に威勢のよい第一声が飛び込んできた。その語気の強さから、だいぶ溜め込んでいたことがうかがえる。


「うん。全然大丈夫だよ」


 明るい口調を心がけて告げると、委員長は「そうなんだ。よかった」と弱い息を吐き出した。


 委員長には隠さなくてもいいかなと、事の顛末を説明する。全部聞いた委員長は、電話口の向こうで「ごめんなさい」と申し訳なさそうに謝った。


「やっぱり、あの日私がとめておけば」


「いやいや、なんで委員長が謝るのさ。委員長の忠告を振り切ってやったことだし、自業自得だよ。それに倒れはしたけど、やらなきゃよかったなんて全然思ってない。むしろやってよかったと思ってる。リスナーとの時間もたくさんとれたし、一位も取れたから満足してる。だから謝らないでよ」


 自ずと必死になったせいで、声が大きくなってしまった。周りからの視線を微かに感じ、スマホに口を近づけて響かないように手を添える。


「なんだったら委員長には感謝してるんだよ。コメントしてくれてほんと助かった。ありがとう」


「感謝されるようなことじゃないよ。私はただ見てただけだし」


 しっとりと紡がれた謙遜の言葉は次第に音量を失い、電波の向こうに隠れていく。委員長のその声音は、なにかを抑えているようだった。


 初めは心配そうにしていた委員長も、次第にいつもの調子に戻っていった。話しているうちに、本当に大丈夫なことがわかったのだろう。

 よかったよかった。そう安心していたのもつかの間、その声音はいつもの調子を通り越し、だんだん大きくなっていった。


「というかさ、元気ならライン返してよ」


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