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三十時間超えの結末

 無機質な天井に、銀色のカーテンレールが視界を縁取るように垂れている。上半身を起こすと、布団からはみ出た左手に管が刺さっていることに気がついた。それを目でたどっていくと、頭上にぶら下がる点滴を見つけた。

 ガラリと広い空間には綺麗に整ったベッドが五つあり、そのどれもが空っぽで人が使っている様子はない。たっぷりと空気を吸い込むと、人工的で清潔な匂いがした。僕は入院していた。


 西日が差してくる右側から、なにやら物音が聞こえた。音のほうへと目をやると、窓の手前で母親が大きなカバンから衣類やタオルなどを取り出していた。

 僕が起きたことにはまだ気づいていないようだ。なんてことないふうを装って、自然体な口調を意識する。


「ねえ、お母さん。天国ってもっとメルヘンチックな場所だと思ってたけど、案外質素なんだね。なんか病院みたい」


「起きたの。おはよう」


「あ、うん……。おはよう」


「もうこんばんはの時間だけどね。というか、お母さんまで死んだことにしないでくれる?」


 配信後の記憶はまったくないが、いまこうして寝ていることを考えると、結構なおおごとになったんだなと察する。高校生にもなって情けない。

 目を覚ました僕に母はゆるりと微笑みかけてくれた。だが、なんとなく目を合わせるのが気まずくて顔を伏せた。母の優しい眼差しに、申し訳なさと恥ずかしさが入り混じった僕の感情がより一層グチャグチャにかき回される。


 母が言うには、机の下に倒れていた僕をあさがおが見つけ、すぐに救急車で運ばれていまに至るとのことだった。

 医者によると、原因は寝不足による過労だそうだ。動揺する家族をよそに「あー、ただの過労だね。夜更かしでもしたのかな。点滴うって一日安静にしていればすぐに元気になるよ」と、ケロッと言い放ったお医者さんが印象的だったと母は頬を緩めた。


「あとであさがおにお礼言っときなさいね。見つけるのが遅かったらどうなってたかわからないんだから」


「……すみません」


 きまりが悪く、肩を落としてぼそりと呟く。


「で、そのあさがおは?」


「お母さんと一緒に救急車に乗って来たけど、あとから来たお父さんの車に乗って帰ったよ。着替えとかタオルとか持ってこなきゃいけないものがあったから、お母さんはもう一回来たけど」


 カバンから机に広げられたものには下着や携帯歯ブラシなどの他に、気を利かせてくれたのか僕のスマホも持ってきてあった。


「あさがおも一緒に来ないかーって誘ってみたんだけど、お昼寝中だったみたい。安心して気が抜けちゃったんだろうね。あさがお、お医者さんが「問題ない」って言うまでずっと顔を真っ青にしてたんだから。あまり妹を心配させちゃ駄目だよ、お兄ちゃん」


 なにかに押しつぶされるみたいにどんどん背中が丸くなっていく。はい、と捻り出した言葉が太ももの上に落ちる。


 この六人部屋の病室には僕らしかいなかった。静寂をはらんだ空気は、どこかひとけのない放課後の教室に似ている。

 真っ白な布団に夕暮れの空気が染み込んでいる。そっと手を乗せると、手の甲がオレンジ色に染まった。細かい皺に入り込む光をじっと眺めていると、ぬるっと現れた影が日差しを遮った。ゆっくり息を吸う音が、僕の鼓膜にふわりと触れる。


「ちょっといい? 朝陽」


 横を向くと、母がベッド脇にあった小さなイスに座って僕の目を見ていた。ふいに同じになった目線の高さに、思わず唾を嚥下する。

 子供に絵本を読み聞かせるような声が、耳ではなく胸にずっしりと響いた。逆光でどんな表情をしているのかわからない。ただ、真剣であることだけは、その眼差しから感じ取れた。


「朝陽。今回倒れたのはネットでなにかしてたのが原因なんでしょ。お母さんはあまり詳しくないけど」


 息が喉奥でつっかえた。形のない衝撃をくらい、驚いた心臓がバクンと飛び跳ねる。思考が弾け、ごまかすこともできなかった。


「……なんで知ってるの」


「知ってるもなにも、夕ごはん前によくあさがおとコソコソ話してたでしょ。聞こえてないつもりだったかもしれないけど、結構キッチンまで聞こえてたよ」


「あ、あぁ……」


「まあ、兄妹が仲良くどんな話をしているのか気になって、お母さんが聞き耳立ててたっていうのもあるけどね」


 思い当たるふしがあまりにも多すぎる。自分の不注意さに言葉も出ない。


「あと廊下を歩いてるときとかたまに、朝陽の部屋から声が聞こえてきたこともあったね。初めは最近の子はよく電話するんだな、としか思ってなかったけど、いま思えばあれもパソコンでいろいろしてたのね」


 母にはすべてお見通しでもう逃げ道はなかった。ここまで証拠が揃ってしまえば、もう認めるしかない。「うん」と、水飲み鳥の如く首をコクリと縦に振った。


 母は咳払いをすると、控えめな声音で僕へと語りかけた。


「あのね、朝陽」


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