2:00 ここは現実? それとも夢?
地響きが聞こえてくる。その音が自分の喉から出たうなり声だととろけた脳が認識したのは、少し遅れてからだった。
パソコンを見つめる目線の高さが、だいぶ下がったように感じる。一日以上座っていたせいで、重力に押し付けられた座高が縮まったのかもしれない。
そんな馬鹿げたことを考えながら、四十五度に曲がった腰をさすった。指で強く押すたびに、固まった筋肉が悲鳴を上げている。
織部あてなの登場から数時間が経過した。僕を置き去りにするように周囲はすっかり暗くなり、とうとう二度目の深夜を迎えてしまった。
あれからコメント欄は荒れることなく穏やかな状態を保っている。ただそれは織部あてなのおかげであることは間違いないのだが、リスナーたちが本気で心配し始めたのがそれ以上の要因だった。
【おい大丈夫かよ】
【え、これ本当に終わるの?】
【やばくなったらやめてもいいんじゃないか】
【逃げるが勝ちって場面もあるぞ】
空元気を振り絞りながら、コメントに一つずつ感謝の言葉を返していく。しかし、このかすれ切った声では、ちゃんとマイクに音が届いているのかわからない。自分を形づくる輪郭が水に溶け出す絵の具のようにぼやけていき、空気との境目が曖昧になる。
もしかして、僕は明晰夢を見ているんじゃないか。いま置かれている状況はすべて夢で、次の瞬間にはベッドの上で目を覚ましているかもしれない。
そんなことを考えていたら、おでこにガツンと強い衝撃を受けた。目を開けると、視界の端から端を机が覆い尽くしていた。どうやらまたしても頭を机にぶつけてしまったようだ。鈍い音が骨を伝って内側から響き、意識が現実へと連れ戻される。
「……ごめん。また気を失ってた」
もう何度目だろうか。やる気は満ち溢れているのに、身体がまったく言うことを聞かなくなっている。このチグハグさにフラストレーションは溜まっていく一方だった。
もがいてももがいても手のひらに伝わる感触は軽く、ゴールに近づく気配がない。まとわりつく焦燥感に、いまにも溺れてしまいそうだ。
「あー、もうダメだ! 顔洗ってくる!」
マイクに向かって投げやりに言葉をぶつけた。頭を左右にふって眠気を追い払う。
ふんっ、と反動を使って勢い任せに立ち上がると、身体中から若者らしからぬ音がなった。きっと、関節が錆びついてきている。
ドアに向かって足を踏み出すと、なにもないのに膝カックンされたみたいに力が抜けた。転びそうになる身体をもう片方の足でなんとか踏ん張り、よろよろと歩き出す。自身のあまりのズタボロさに、悲しみが込み上げてくる。
本当に、この企画は終わるのだろうか。
◇
真っ暗な廊下に怯えながら、一階の洗面所にたどり着いた。ヘンゼルとグレーテルの目印みたいに、僕の来た道だけが暗闇のなかで明るく浮かび上がっている。
普段は陽の光が入ってくるこの場所もいまは闇に囲まれ、時間が止まったみたいに静寂がぎゅっと詰め込まれている。蛇口をひねる音。水が跳ねる音。顔を洗う音。一つひとつの音がやたらと響き、その都度僕の恐怖心が煽られる。勘弁してくれ。臆病な自分に呆れながら冷水で顔を引き締めた。
タオルに顔をうずめて水気を取っていると、背中に軽い衝撃を受けたと同時に、見えないところから人間の声が降りかかってきた。
「わっ!」




