14:00 配信破壊ビーム発射準備完了
「あ゛ぁーー」
重力に負けた下顎がガクンと落ち、開かれた喉奥からは体力が空っぽになった音が聞こえてきた。空のいちばん高いところに昇った太陽が外の世界をギラギラと照りつけている。ガラス越しに見えるその眩しさがうっとうしく、追い払うように目を眇めた。
ワンキルできたことで希望が見えた深夜帯。しかしそれ以降は特に進展もなく、気づいたらお昼を過ぎていた。
試合に負け、ホームに戻り、そして再び戦場へ向かう。もう何度も繰り返したせいでこの一連の動きからは一切の無駄が省かれ、もはや洗練されつつあった。画面上を這うカーソルには、プログラミングどおりに動くロボットのように感情がない。瞼は鉛のように重く、開こうとするも気を抜いたらまたすぐ落ちようとする。
企画中だからと急いでお腹に詰め込んだ昼食のナポリタンが消化され始め、睡魔がより一層力を増した。視界端にちらつくベッドの上で「こっちに来なよ。ふかふかで気持ちいいよ。そんなことやめて早く早く」と、彼らがささやいている。ああ、お父さんお父さん。睡魔が手招きしているよ。
日が昇るにつれて日常が動き出し、それに伴って来場者の数が伸びていく。起床したり、暇を持て余したリスナーが遊びに来てくれたのだ。それは配信者にとっては本来嬉しいことなのだが、その数字に反比例するように僕の体力は減っていった。
数時間も代わり映えしない映像に、集中力はとうの昔に消えていた。そのためか、話す内容は自ずとゲームとは関係のない雑談が多くなる。まるで本当に戦場にいる兵士のように真剣にしていた操作も、いまや緊張感のないただの作業に変わっていた。
ゲームの腕前はそれなりに成長した。やはり勝たないと終われないという危機感のもとで約二十時間も同じことを繰り返していたおかげだろう。経験値ゼロだった僕も、いまや一般的な立ち回りくらいはできるようにはなっていた。
しかし、その成長は同時に、面白い動きをしていた初心者がただの下手くそな経験者になってしまったことを意味していた。僕の動きには、もうなんの珍しさも残っていなかった。
あれほど盛り上がっていたコメント欄も、いつしか少々の荒れ模様を見せ始めてきている。
【さすがに下手すぎない?w】
これは良くない予兆だと察する。一度物騒な流れになってしまうと、そこから修正するのはなかなか難しい。
なんとかしようとするも眠気に焦りが加わり、簡単なミスを連発してしまった。気合いを入れればうまくいく、なんて都合のいいことは起こらない。
そしてまた見飽きたホーム画面に戻される。
【いや、ざっこwww】
【まじでセンスないな】
容赦のないコメントだけがやたらと目につき、肺の奥がぐらぐらと煮えたぎっていくのを感じる。だんだんと口数が少なくなっていき、頻繁に出入りする浅い呼吸だけが喉を震わせる。
その批判に纏った鋭利な棘は、普段ならば気にしていなかっただろう。しかし、いまにも溶け出しそうなほどに柔らかくなった脳には、目が覚めるほど奥深くまで刺さってしまった。
【なんか終わる気配ないし寝るわ。おやすみ】
【実はわざと下手にやってる説ない? 配信が終わらないようにするために】
ゆっくりと吐き出した息が、ふるふると揺れている。喉がなにかをこらえるように震えていたせいだ。
脳内はどろどろにまどろみ、理性の膜が曖昧に溶けていく。
自分はいまなにをやってるんだろう。なんのためにこんなことを言われているんだろう。
昨日からずっと配信してやってるんだ。もういっそのこと全部壊してやってもいいのかもしれない。
そんなふうに湧き上がってくる感情を、いまの自分に止める術はなかった。なんの抵抗もなくするりと膨れ上がった怒りが、喉元に溜まっていく。
ゆっくり口を開くと、熱線をチャージする怪獣のごとく大きく息を吸い込んだ。
「あのさぁ! おま――」
【織部あてな:師匠来たよー。いい感じに死にそうになってますね!】
僕の言葉を遮るように割り込んできたその名前に、声帯がグッと閉まった。放出される寸前だった暴言が、喉の膜に阻まれ体内へ跳ね返っていく。
不意打ちの出来事に、僕は思わず硬直してしまった。開きっぱなしの目に、コメント欄が映り込む。その様子はさっきまでの殺伐としていた雰囲気とは打って変わって、まるで別物になっていた。
【ええ! 織部あてなじゃん】
【あてなちゃん見てたんだ】
【おまえ、あてなちゃんにコメントしてもらえるとか羨ましいな】
突然の有名人の登場に、コメントの勢いは一気に加速した。不穏な空気が、まるで幻だったのかと思うほどあっという間に画面外に押し流されていく。
この変わり身の速さに呆気にとられながらも、ほっと安堵のため息を落とした。肩から力が抜ける。無意識にうちに強張っていたようだ。
きっと、委員長は僕を助けてくれた。彼女には配信がどういう状態だったのかすべてお見通しだったのだろう。だから、僕が爆発して手遅れになる前に、空気を変えようとコメントを送ってくれたのだ。
【織部あてな:そんな様子じゃ目的達成できないですよ、師匠!】
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を覚えた。おそらく委員長の言う【目的】は、このゲームで一位を取ることだけを言っているのではない。
寝ぼけ眼だった意識が、徐々に覚醒していく。危なかった。もう少しで取り返しのつかないことをしてしまうところだった。
批判的なコメントに対して、配信者が怒りに任せて言い返す。これは、それを送ったリスナーだけに向けて言っているつもりでも、実は関係のないほかの視聴者までも不快にしてしまう。一度口に出してしまえば最後、その圧力は配信の空気を壊すことになる。
それに、批判していたリスナーだって多少なりとも僕に期待してくれていたのだ。そんな彼らに、眠気や集中力の低下を言い訳にして雑なプレイを見せてきたのは僕だった。
なぜこの企画をやろうと思ったのか。
初めに掲げた目的を、もう一度思い起こす。心のなかで委員長に礼を告げると、背筋を伸ばしてまっすぐに前を見据えた。爽やかな空気で肺を満たし、軽くなった瞼をキリッと持ち上げる。
「よし。あてなちゃんも来てくれたことだし、遊びはこの辺にしてそろそろ本気出しますか」
【織部あてな:そんなこと言って、さっきまでかなりへばってましたよね?】
コメントからは声は聞こえない。しかし、上に流れていくその文字の向こうで、委員長がクツクツと喉を鳴らしている姿が目に浮かんだ。




