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質素な活字の向こう側

 あさがおの言うとおり、僕はコメントを読んでいなかった。


 配信を始めた三年前からリスナーと二人三脚で歩んできた僕の配信。他愛もない会話をしたり、なにかを達成すれば一緒に騒いだり、ときにはプロレスじみた言い合いをしたり。楽しいことも嫌なこともその全部が配信を形づくる大切なもので、リスナーはいつしかディーテにとって欠かせない存在になっていた。コメントを打ってくれる人がいなければ、配信なんてとっくの昔にやめていたに違いない。


 しかし、思い返せばここ最近はコメントを読まなくなり、リスナーと会話をすることがめっきり減っていた。

 理由は明白。織部あてなとコラボをするようになったからだ。別の話し相手が現れたことで、いままでリスナーに向けていた会話をそっくりそのまま織部あてなに向けることが多くなっていた。


――じゃあ、僕が織部あてなと話をしているとき、いつも話し相手になってくれていたリスナーはどこにいたのか。


 考えるまでもない。リスナーたちはいままでどおり僕の配信に来てくれていた。織部あてなと入れ替わりでどこか違うところに行ったわけではない。僕が織部あてなの方しか向いていなかったときも、その様子をみんなは横からずっと見ていた。届かないコメントを打ちながら。


 僕はどんなときもリスナーと向かい合って配信を行ってきたはずだ。それなのに僕は知らず知らずのうちに、そんな大切な存在を蚊帳の外に追いやっていた。

 僕の行いはまるで、リスナーを次の代わりが見つかるまでのキープにしているかのような扱いだった。


 コメント欄を見ていなかったわけじゃない。ただそれは、コメントを読むために見ていたわけじゃなかった。

 配信が盛り上がっているかどうか。流れが遅いか、速いか。僕に放たれた意思を持った活字たちを、コラボに夢中だった僕は白と黒のパラメーターとしてしか見ていなかった。


【初見です。熱で学校を休んだので見てます】


 初めて僕が送ったコメント。それはなんの変哲もないありきたりなものだった。それでも、そのときのことはいまでも鮮明に思い出せるほど心に刻まれていたものだった。カラッと澄んだ平日の青空に、震えながらローマ字を打ち込む人差し指。きっと、あんなに緊張しながらエンターキーを押すような体験には、もう二度と出会えないのだろう。


 どんなに熱量を込めたコメントも、傍から見たら数あるうちの一つでしかないかもしれない。あの日偶然見た配信者さんも、僕がどんな想いでコメントを送ったのか知る由もない。

 だけど、あのとき画面上を流れていったコメントは、他のどのものよりも色鮮やかに見えた。そして、その想いを配信者さんが読んでくれたことで配信の世界にのめり込み、ディーテという存在が生まれたのだ。


「コラボのとき、あさがおもコメントしてくれてたの?」


「……うん」


 伸ばした足をほんの少し宙に浮かせながら、あさがおはつぶやいた。その声音は透きとおっていて、自分のなかにするりと鉛が入ってきたような重さを感じた。

 たったひとこと発しただけなのに、肺のなかが空っぽになったみたいに苦しい。ぼんやりと虚空を見つめる彼女の睫毛が微かに震えているのが、横からだとはっきり見えた。


 コラボ中、読まれることなく画面外へと流れていったコメントにはいったいどんな想いがあったのだろう。


 白地のコメント欄に表示された一見質素な活字。それに想いを込めて送っているのが生きた人間だということを、あさがおの存在によって思い知らされる。

 かつてリスナーだった僕は、それを誰よりも理解していたはずだった。それなのにいつしか僕のなかで、コメントはあって当たり前のものになってしまっていた。


 あさがおにこんなことを言わせてはいけなかった。自分の失態にもっと早く気づくべきだった。

 わっと胸の奥から後悔があふれ出し、外に漏れないように唇を噛み締めた。腕に纏う空気は身を縮めるほど寒いのに、身体の内側に込み上がるものは燃えるように熱い。深く息を吸い込むと、肺にピリリと痛みが走った。


「いちリスナーなんかじゃないよ。大切なリスナーだよ。……でも、いまさらそんなこと言っても説得力なんかないよね。いままで一緒に歩んできた存在に気づかず、蔑ろにしてたんだから。あさがおが言ったことはワガママなんかじゃないよ。だって俺がそう思わせるようなことをしてたんだもん。謝るのはこっちのほうだよ。ごめん」


 調子がいいこと言ってるな、そう思った。今日までなにも知らずに浮かれてたくせに、あさがおに指摘された途端謝っている自分がひどく情けなかった。


 しかし、あさがおのおかげで気づけた。


 僕がなぜ配信を続けてこられたのか。


 配信のなにが楽しかったのか。


 無数の配信者が存在しているインターネットの世界。いままで僕が見てきた配信だけでも個性はどれ一つとして同じものはなく、そこにしか流れていない空気があった。

 配信スタイルには正解はない。だからこそ、なかには人の声を気にせずひたすらに自分のやりたいことだけをやっているような配信者もいた。


 でも僕の配信はそうではない。リスナーと肩を並べて一緒につくり上げていくことこそが僕の配信だった。

 そう思うのは、きっと僕だけじゃない。リスナーもそんなとりとめのない雰囲気が好きで、遊びに来てくれていたんだと思う。そうじゃなければ、ゲームも話もたいしてうまいわけじゃない平凡な男の配信になんて、誰も興味を持ってくれたりしなかっただろう。


 リスナーがいて初めて配信者のディーテができあがる。リスナーがいなければ僕はただの高校二年生。何者でもなくなる。なにせ、自分のマイクの音質にすら気づけないほどなのだから。僕はどうしようもないくらいに、一人ではなにもできないのだ。


 だから、リスナーに会いたい。


 会って、いつものように配信をしたい。


 そう思うと、鬱々としていた身体の奥からふいに熱がせぐり上がるのを感じた。無意識のうちに、手を握りしめる。手のひらのなかに刺さった爪が、皺の上に三日月型の痛みをつけた。


 もうどうしたって過去には手が届かない。だったら、いまの僕ができることはこれまでのあやまちを受け入れて、未来に手を伸ばすことなんじゃないだろうか。靄に囚われて、いつまでも女々しく落ち込んでいる訳にはいかない。

 目の前の妹は相変わらず元気がなく、中身が空洞の人形のように生気を感じない。その表情を笑顔にする手段を、僕はすでに知っている。肺を膨らませて彼女を正面から捉えると、はっきり聞こえるように言った。


「ねえ、あさがお。もし週末に企画配信するって言ったら来てくれる? もちろんコラボじゃなくて個人で」


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