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こぼれ落ちていった想い

「テスト終わったらでいいからさ、また、個人配信いっぱいほしいなって」


 絞り出された声は、微かに震えていた。弧にゆがんだ瞼からのぞく闇色の瞳に、僕の顔が映り込む。重々しくならないように無理やり吊り上げられた口角の痛々しさに、息を呑んだ。そのはりぼての笑顔が、いつかの勉強道具をバッグに詰め込んで帰ってきたときに見たあさがおの表情とリンクする。


――楽しみにしとくね。


 そう言った彼女が笑顔の裏に隠していた感情を、コラボに浮かれていた僕はなにも知らない。

 もしかして、先週のコラボのあとに感じた心残りは、テストへの焦りなんかじゃないのかもしれない。

 僕は勉強よりもっと大切ななにかを忘れていたんじゃないだろうか。


「ねえ、あさがお」


「なに?」


「コラボ、見てて楽しい?」


「楽しいよ。だってお兄ちゃん、すごく楽しそうに配信してるし。配信者が楽しそうにしていることがいちばん重要なことだよ」


「俺じゃなくて、あさがおは楽しい?」


「えっ……」


 かろうじて持ちこたえていた笑顔がぷつりと途切れる。くっきりとした二重瞼に縁取られた瞳が、動揺したようにちらちらと揺らいだ。

 灰色の空からかろうじて降り注ぐ明かりが、彼女の顔を照らし出す。不自然に持ち上がっている頬は、笑顔が崩れた跡だった。


「……楽しいよ」


「ほんと?」


 僕の追求に、あさがおは俯いた。その横顔を、耳からこぼれ落ちた黒髪がさらりとかすめていく。目をそらしてはいけないような気がして、じっと凝視して彼女の答えを静かに待つ。

 水に濡れたアスファルトとタイヤがこすれる音が、窓の向こうから聞こえてくる。そのしぶきの響きに、雨の長さを感じた。クーラーの音も、テレビの音もどこかとってつけたようで現実味がない。二人を囲む濃縮された時間の流れが、酸素を取り込もうとする肺をきゅっと締め付けた。冷気が漂う空間に、彼女の声が訥々《とつとつ》と紡がれていく。


「楽しいよ。でも、ほんとは、ほんとはね。たまにだけど、楽しくないなと思うときもある」


「それはコラボばかりしてるから? あんまりコラボ好きじゃない?」


「ううん。そうじゃない」


 そう言って、あさがおは首を横に振った。無防備な喉元が、ぐっと上下に揺れる。気持ちを整えるように呼吸を繰り返すと、その視線をまっすぐに僕へと向けた。


「お兄ちゃん、最近コメント読んでくれないよね」


「コメント? そんな――」


 そんなわけないでしょ。そういいかけた唇が、中途半端に開かれたまま硬直した。痺れたように強張った舌は、否定の言葉を発するのを拒絶している。声になる前のすさんだ空気が、喉奥から弱々しく地面へと落ちていった。


 あさがおの言葉を受け入れるのには時間がかかった。僕がコメントを読まずに配信をするわけがなかったからだ。話術が優れているわけでもない僕は、常にリスナーのコメントとともに配信をしてきたはずだった。

 しかし、反論することができなかった。ここ最近の配信を思い返せば思い返すほど、あさがおの言葉に真実味が増していく。


「いまはコラボやテストで忙しいだろうし、がんばりどきなのもわかるよ。コラボをきっかけにリスナーさんやフォロワーが増えてきたのは、昔からのリスナーである私たちにとってもすごく嬉しい。でも、コラボも楽しいよ? 楽しいんだけどね。やっぱりいままでみたいに、お兄ちゃんがゲームをして、リスナーさんたちがコメントを打って、お兄ちゃんがそれを読んで、くだらないことで笑い合ったり一緒に盛り上がったり、そんな配信がまた見られたらなって考えるようになっちゃってた。だから個人配信してほしいなって……」


 あさがおはそう言って、歯を見せるようにぎこちなく口端を持ち上げた。漂う沈黙は水のなかの音に似ていて、その息苦しさに僕は目を伏せた。

 抱えたプレゼントの表面に、指の腹を押し付ける。だんだんと重量を増していくそれに、僕の足はいまにも潰されてしまいそうだった。


「ごめん。いちリスナーにすぎないのに、こんなワガママ言って」


 僕のなかにあるコラボに対してのきらびやかな記憶。あさがおが抱えていたものを突きつけられたことで、どす黒い靄が覆いかぶさり、そのまま罪の記憶へと変換されていく。

 必死に靄を振り払おうとするも、いくら手を伸ばしてたところで過去にはもうその手が届くことはない。


 あさがおの言うとおり、僕はコメントを読んでいなかった。


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