屈辱的な懇願
「ちょうどいいタイミングですし探索はこの辺にしておいて、次はさっきのようなモンスターにも対抗できるように武器などの道具を作ってみませんか?」
そう言うと彼女はまっさらな地面に四角い箱のようなものを生み出し、そこに僕を呼んだ。言われたとおりにその箱に触れると、なにやら灰色のマス目調の画面が表示された。
「師匠がいま見てる灰色の画面がクリエイト画面です。そこで素材を組み合わせていくことで道具を作ることができます。やり方教えるんでやってみましょう」
織部あてなはゆっくりと道具の作り方を説明し始めた。このゲームにおける重要な知識だと体感的にわかる。
しかし、肝心の僕は数々の衝撃でもう疲労困憊だった。織部あてなの説明がいくら上手だとしても、聞く側の思考回路がショートしてしまっていればなんの意味もなさない。
まずは作業台を――。レシピを――。九マスの――。
彼女のありがたい指導が、空虚に消えていく。画面に映るすべてのものがぐらぐらと揺らめき、太古の文字を見てるかのような気分だった。どうにかしなきゃ、と募る焦りがマウスを震わせる。行き場を見失ったカーソルが、キョロキョロと画面のなかで迷子になっていた。
――カチッ。
あたふたと慌てている僕の視界に、急にシャーペンが横から飛び込んできた。机の上にあった僕のシャーペンを手に取ったあさがおが、画面を差したのだ。
そのペン先がモニターに触れ、微小な音を立てる。さっきまで偽物の無表情を貼り付けていたその顔は、いまやまじめなものになっていた。緑色のシャーペンが意味ありげな動きで画面上に線を引く。
――まさか。
彼女の意図を察した僕は、そのペンの動きに導かれるようにカーソルを動かした。その途端、ポンッと気味のいい音とともに僕のアイテム欄に新しい道具が生まれた。
「あっ、できた……」
「いい感じです。この調子でどんどん作ってみましょう」
コラボはマイクリをすることになったよ。そう告げたときあさがおは、「私やったことある!」と興奮していたことを思い出す。
つまり彼女はただデタラメにちょっかいを出しているのではなく、僕に教えるという明確な意思でシャーペンを手に取ったのだ。
その後も織部あてなの教えのとおりに、あさがおはペンを動かしていった。ごく自然に織部あてなの言葉に従っている辺り、やはりイヤホンの先はこの配信なのだと確信する。
背に腹は代えられない。とっ散らかった脳内から、わずかな意識をかき集める。あさがおの導きについていくことだけに集中して、ひたすらマウスを往来させた。斧や鍬に木製の剣。己の手によって次から次へと道具が生み出されていく光景を、他人事のように僕は茫然と眺めていた。
「飲み込み早いですね、師匠」
はるか遠くから聞こえてくる純粋な称賛に、申し訳なさが込み上げてくる。
「今度は自分の家を建ててみましょうか。師匠はセンスあるから、もう私の教えがなくても十分やっていけそうですね」
「い、家を建てる?」
「そうです。師匠の思うままに芸術を爆発させましょう!」
織部あてなからの新たな提案に、喉が引きつった。そんなことを言われても、現状移動しか操作を知らない僕に取ってそれは無理難題だった。またあさがおに頼るしかないのかと、その現実に肩を縮める。
しかし、彼女のシャーペンはなかなか前方に伸びてくる気配がなかった。慌てて隣を見やると、その手にはもうシャーペンは握られておらず、代わりにスマホを持っていた。手元に視線を落とし、なにやら文字を打ち込んでいるようだ。イヤホンが繋がった小さな液晶の上で、血色のいい爪が飛び跳ねている。
その動きがピタリと止まったかと思うと、彼女は一度僕に目配せしてから画面に指を差した。白く細い人差し指の先のコメント欄。そこに一つの文章が流れてくる。
【ゴッドアフロ:もう一人前だね!】
僕にコメントが伝わったことを確認すると、彼女はイスから立ち上がった。自身の親指の腹を、力強く僕へと向ける。
『がんばって!』
もう自分の出る幕はないと、あさがおはニンマリとどや顔を浮かべた。満足げなオーラを身体中からあふれさせながら、イスを抱えてドアへと向かっていく。
いや待て待て待て待て!
脊髄反射で手を伸ばし、立ち去ろうとする彼女の腕を捕まえた。その柔らかな皮膚に、僕の指がすがるように食い込む。悲痛にひしゃげた彼女の洋服の皺は、まるで僕のいまの表情を映しているようだった。
予想外の行動だったのだろう。大きく見開かれたあさがおの瞳の奥に驚きの稲妻がほとばしっている。
屈辱だった。
ついさっきまで立ち去ってくれと願っていた相手を、なぜ僕はこんなにも強く引き止めているのか。込み上げてくる羞恥の熱が、じりじりと喉を焦がす。
しかし、不本意ながらそうせざるを得なかった。自分でも気づかないうちに僕はあさがおのシャーペンの導きに依存していたからだ。織部あてなの説明がまったく頭に入っていない現状では、あさがおに頼るほかなかった。いま一人にされたら非常にまずい。コラボが失敗する。
『いかないで! お願い!』
首がもげるかと思うほど頭を左右に振りながら、イスがあった場所を何回も指差す。ここに! 座って! その必死な姿は大層滑稽だったに違いない。
すると本気の懇願が伝わったのか彼女は呆れたように肩をすくめ、やれやれと再びイスに腰を下ろした。
ご機嫌なのか、その姿勢のいい身体がふわふわと左右に揺れている。からかうような視線を向けるその目元が、じわりじわりと細くなっていく。細い唇が緩やかに弧を描き、その隙間から彼女は白い歯を惜しみなくさらしていた。
もう無表情を取り繕うのはやめたみたいだ。嬉しさだけで構成された満面の笑みを浮かべて、あさがおはシャーペンを手に取る。それと同時に僕もしっかりと画面を見据えた。
視界の端から再び伸びてきたシャーペンが、画面にカチリと軽やかな音を鳴らす。モニターに引かれる線に導かれるままに、僕はそっとマウスに力を込めた。




