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深淵をのぞくとき……

『ほれ、前を向け。集中しろ』


 人差し指がパソコンの画面に向けられる。他人事のような態度に、憎たらしさが胸の奥からグラグラと煮えたぎった。おまえのせいじゃ! そう喚きたかったが、結局声に出すことはできなかった。

 行き場を失った悲痛な咆哮が、唾と一緒に身体の内側へと引き返していく。不本意だがいまはあさがおの言うとおりにするのが最善なのだ。唇をめいっぱいに横に広げ、イーっと彼女を睨みつけてからパソコンに視線を戻した。


 画面上の織部あてなが立ち止まった。なにかを見つけたようだ。そのアバター越しに見える山が、一箇所だけ黒くなっているのが見える。


「洞窟がありましたよ、師匠」


「あの山肌に見える黒い部分が洞窟?」


「そうです。地上に比べてモンスターが多いですけど、その分宝石とか貴重なものがたくさんあるんですよ。ちょっと探索してみます?」


 巧みなプレゼンに僕はすぐに首を縦に振った。織部あてなの背を追っていくと、目の前に巨大な穴が現れた。

 遠くから見たときはただのへこみだと思っていたそれは、近くで見るとだいぶ迫力があるものだった。立ち止まった二人の足の先に、日差しと影の境界線がまっすぐに引かれている。一度踏み越えてしまったら最後、二度と戻ってこれないような果てしない闇が穴のなかにうごめいていた。


「なんか怖いね。なにも見えなくて」


「大丈夫ですよ、師匠。百聞は一見にしかず。とりあえず突入してみましょう」


 不安を見せる僕をよそに、織部あてなは平気な様子でなかに入っていった。仕方がなく引っ張られるようにして僕もあとをついて行く。

 一歩、また一歩。慎重に進んでいくにつれて、少しずつ液晶から明かりが失われていった。


 闇色に塗りつぶされていくモニターは次第に鏡のように光を反射し始める。

 四角に切り取られた暗闇のなか。その中央に、向かい合ってる僕の姿が映し出された。


「ゔわぁあっ!」


 デジャブかと思った。肺のなかに雷撃が走り、生まれて初めて、いや一度だけ出したことあるような悲鳴が声帯を爆発させた。

 モニターに映り込んだのは、僕の姿だけじゃなかった。

 その後ろにもう一人、あさがおがいたのだ。


 いつの間にか背後に回っていた彼女は、僕の肩からひょこっと顔を出して配信をのぞき込んでいた。反射する画面を通して、その双眸がまっすぐに僕へと向けられている。

 モニターのなかの自分は満身創痍で、いまにも崩れ落ちてしまいそうだ。身体のどの部分を切り取っても驚きの感情が漏れている。


「うわっ!――ってただのコウモリじゃないですか。つられちゃうんで急にびっくりするのやめてくださいよ」


 師匠ってやっぱりビビりですよね。織部あてなはそう揶揄すると、くすくすと軽やかに喉を鳴らした。思考が衝撃に呑み込まれ、反論しようにも「あ、あっ、」とかすれた声しか出てこない。


 恐る恐る振り返ると、肩口からのぞくあさがおと目が合った。長い睫毛に縁取られた大きな双眸はギラギラときらめいている。唇はギュッと口内に折りたたまれ、ピンクの部分が見えなくなっていた。

 その表情が僕の目には無表情に見えると、彼女はそう思いこんでいるのだ。きっとその口のなかでは、笑い声が出口を探して飛び交っているのだろう。息の詰まる静けさが、きりきりと素肌に突き刺さる。時期にはまだ早い汗が僕の輪郭を伝い、震える喉をなぞっていく。


『あっ!』


 固く閉じていたあさがおの口がいきなり開かれ、伸ばした指を画面に向けた。その直後、織部あてなの叫びが耳元にとどろいた。


「師匠危ない!」


「えっ? あっ、うわぁ!」


 忠告に慌てて顔を画面に戻したが、もう手遅れだった。ガイコツのような白いモンスターが僕に切りかかっていて、逃げようと思ったときには体力のゲージが底についていた。

 赤黒くにじんだゲーム画面に「あなたは死んでしまった!」と無慈悲な言葉が表示されている。


「も、もしかして死んだの?」


「うん。それはもう見事にボコボコにされてたね。だって師匠、洞窟から飛び出たコウモリ相手に放心してるんだもん」


 ハプニングの連続で渋滞している脳内が、暖かな笑い声に包み込まれていく。どうしようもない人間を慈しむような声色だった。察するに、僕に対してポンコツでビビリという印象が、彼女のなかで定着しつつあるように思えた。


 違うんです。妹のせいなんです! そんな不名誉な称号はすぐにでも本当のことを言って弁解したかった。だけど幸か不幸か、あさがおの存在が気づかれていない現状ではそれは悪手だった。


 しれっとあさがおは、運んできた折りたたみ式のイスの上に移動していた。僕の隣にちょこんと座った彼女は、なんでそんなやつに殺されてるんだよ、と呆れたように肩をすくめている。

 だからおまえのせいじゃ! 睨みを効かせて訴えかけるも、ポカンと見開かれた大きな黒目に僕の主張はあっけなく弾かれた。あまりの理不尽さに泣きそうになる。下唇に前歯を突き立てると、悔しさに似たぬるい刺激に顔をしかめた。


 よしっ! と織部あてなは唐突に声を上げた。その溌剌とした響きに、僕の意識がゲームに引き戻される。


「ちょうどいいタイミングですし探索はこの辺にしておいて、次はさっきのようなモンスターにも対抗できるように武器などの道具を作ってみませんか?」


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