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揃った足並み

 コラボの内容が決まってからは、毎日僕らは打ち合わせをしていた。前日の電話で話したことの確認や、新たに思いついたことを次の日の教室で挨拶程度に言葉を交わし、その日の夜の電話で内容を深める。いままでにないようなとても充実していた日々だった。

 鬱々とした梅雨のなかでも学校に行くのが楽しみで、雨粒が飛び跳ねる通学路も特別なものに思えた。


 楽しい時間は過ぎるのが早く、気づいたら僕らはコラボ当日の土曜日を迎えていた。時刻は二十時に向かおうとしている。人が集まりやすいゴールデンタイムだ。


「緊張してるでしょ」


 煌々と光を放つパソコンの前でそのときを待っていると、ヘッドホンを通して委員長の声が聞こえてきた。


「そりゃあ、ね」


 通話が繋がってからずっと声に張りがなかったからか、または深呼吸を繰り返していたからか。もしくはその両方か。僕のわかりやすい態度に委員長が嘲笑をにじませながら指摘する。

 普段は配信開始前のヘッドホンからは、ゲームの音しか流れてこない。そこから今日は珍しく生きた人間の声が聞こえてくるから、なんかむず痒かった。

 通話ができるということは、お互い準備が完了しているということ。すでに始まっているカウントダウンに、僕の心臓がぞわぞわと震えている。精神をやすりでこすられたような鈍い不快感が、いつまでも身体の内側を這っていた。なんせ初めてのコラボなのだ。押し寄せる緊張に、いまにも呑まれてしまいそうだ。


 机の端のマグカップをゆっくり手に取る。ギリギリまで入れた水はほんの少し動くだけでこぼれてしまいそうで、慎重に唇を押し当てた。熱を帯びた身体の中央に、ひんやりとした線が浮かび上がる。

 乾いた口内を潤していると、僕の心境を察したのか、委員長が元気づけるように優しく声をかけた。


「コラボとか気にしないで、いつもどおりのディーテくんでいれば大丈夫だよ」


「そうね。さっき妹にも同じこと言われた」


 夕食前、リビングに入ってきた僕の顔を見るやいなやあさがおは、「うわっ、目が死んでる!」と嬉々としてからかってきた。

 いつもなら小言の一つでも言い返していたかもしれない。だがそんな気力はなくソファーの上でうなだれていると、「まあいつもどおりやればいいんじゃない」と彼女はぼそりと口にした。

 その視線はなぜかテレビの画面に固定されていたが、あれはきっと照れ隠しだ。彼女なりに僕を気にかけてくれたのだろう。


「あー、あの例の妹さんね」


「やめてよ、その”例”とか言うの。いろいろ思い出してまた恥ずかしくなってくるじゃん」


「なるほど。オフ会の修羅場を私に見られていたことを思い出しちゃうのね」


「わざわざ解説しないで」


「あんなことあったのに、凸待ちに来たりして仲いいよね」


「うーん、どうだろ。別に普通じゃない? どこの兄妹もこんなもんだと思うよ」


 比べたことないから知らんけど、と発言の責任を放棄する僕を、委員長はきっぱりと否定した。


「いーや、絶対仲いいよ。配信の話とかするんでしょ?」


「まあ、そうね。お互いの正体がバレてからは結構するようになったかな」


「えー、いいなーそんな関係。なんか羨ましい」


 どこか遠くを眺めているような委員長の声が、LEDの昼白色ちゅうはくしょくに染まる僕の部屋に流れていく。


 僕にとってあさがおは、物心ついたときから視界にいる景色の一部みたいなものだった。だから羨ましいと言われてもピンとこなかった。

 だけど思い返してみれば、今回のコラボはあさがおがいなかったらなかったかもしれない。織部あてなからDMが来たとき、僕はそのプレッシャーに押しつぶされてしまいそうだった。それでもコラボに向けて一歩踏み出すことが出来たのは、近くに相談できる相手がいたからだ。

 そう考えると、僕は恵まれているのかもしれない。羨ましいと言われるのも、納得できそうだ。なんだかちょっと誇らしくなる。


「あっ、いいこと思いついた!」


 唐突に委員長は声を張り上げた。その勢いに、ふけっていた意識が現実に引きずり出される。同時に鳴ったパチンという破裂音が、脳を目覚めさせた。委員長が手を叩いたのだろう。

 再び現れた「いいこと」につい先日の記憶をくすぐられ、ゴクリと唾を飲み込む。肌の上を騒々しく這っているこの感覚の正体には身に覚えがあった。これは、嫌な予感だ。


「彩風くん、妹さんと仲いいんだし二人で配信してみたらどう? パソコンの前に並んで座ってさ。絶対面白いと思うよ」


「絶対やだ」


 一つのマイクを取り合うように肩を寄せて、机の前にあさがおと座っている光景が脳裏に浮かび上がる。

 流れるコメントを前にして猫をかぶった二人が配信しているその姿は、まるでできの悪いカップルチャンネルのようだった。取り繕った世間体のいい声をマイクに乗せ、偽物の笑顔を貼り付けている想像上の僕らに虫酸が走る。


 僕の即答に、「えー」と委員長が嘆いている。その悲痛な叫びは、なんとも未練がましかった。


「そこまで言うなら委員長がまずはやってよ。そしたら考えるからさ。委員長って兄弟とかいたっけ?」


 会話の流れから自然に出た問いかけだった。いる。いない。シンプルな二択の質問。

 しかし委員長が答えるまでには、わずかなラグがあった。電話の向こうで彼女が息を呑む。


「いーー、ない」


「なにその筋肉芸人みたいな答え方」


 意図したかわからないが、上裸の筋肉芸人を彷彿とさせる絶妙なタメだった。反射的に僕はつっこむ。その指摘にふふっと嬉しそうな吐息をこぼした委員長は、ノリよく反応してくれた。


「どっちなんだい!」


 その芸人の決め台詞を、委員長が声を弾ませながら言い放つ。笑いを堪えた声音は、モノマネのつもりなのだろうか、普段より心なしか低くなっている。残念ながら、まったく似ていなかった。


「うーん、勢いだけは似てたかな?」


「なにその、それ以外は似てないみたいな言い方」


 ムスッと不機嫌さをにじませた委員長に、胸の奥から楽しさに似た感情の塊が衝動的に湧き上がった。笑っている僕に抗うように彼女は「もう」と吐き捨てる。次第に我慢できなくなったのか、クツクツと鈴の音に似た笑い声を響かせた。

 小刻みに震える二人の声が、孤独な空間のなかで花火みたいに弾ける。そこから漂う幸せの香りに、ぐずぐずに絡まっていた緊張の糸がほどけていった。


 お互い笑い疲れ、ほどなくして笑い声の残滓を含んだ呼吸に変わっていった。濡れた目尻を人差し指で拭ってると委員長が言った。


「ありがとね、彩風くん。おかげでやっと緊張がとけてきたよ」


「えっ! 委員長も緊張してたの?」


「緊張するよそりゃあ。実を言うとさっきまで手が震えてて大変だったんだから」


 平然と告げられる真実に、驚きがパチリと瞼を瞬かせた。いつでもおおらかな委員長は、緊張とは無縁の人間だと勝手に思っていた。

 だが、彼女も僕と同じだったのだ。親近感が生まれ、ほっと顔がほころぶ。込み上げてくる暖かさは、なんとも心強かった。


「そろそろ時間になるね」


 画面端の時計を見やると、コラボ開始の十分前になっていた。


「もうこんな時間になってたのか。じゃあ一旦通話切ろっか」


「そうだね。じゃあまたすぐあとで。今日はがんばろ」


「うん。がんばろ」


 通話を切った途端、闇のなかに放り込まれたかのような静寂に包まれた。背後に感じる室内の空気は氷のように冷たい。大人しくしていた緊張がぶり返してくる。意識がしびれ、視界に映る液晶の光がジリジリと揺れている。

 だけど、この緊張感は通話前のそれとは異なっていた。早まる鼓動が、身体中にエネルギーを送り出しているのがわかる。


 肺を新しい空気で満タンにして、イスの上で大きく伸びをする。


 カウントダウンがラストスパートに入った。ほんの数分後、織部あてなとのコラボが始まる。


「よし!」


 頬を両手で叩いて気合いを入れる。その乾いた音は、部屋の空気を活力で満たすには十分すぎるほどの響きだった。


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