始まりはあの日から
その日の夜、言われたとおり委員長から電話がかかってきた。
電話が来るまでの自室には、なぜか緊張感が張り詰めていた。そわそわと忙しない心臓が僕を急かす。
女の子から「連絡する」なんて言われたことがなかった僕は、終始落ち着きがなかった。動画に漫画。電話が来るまで暇をつぶそうと手を伸ばすも、なに一つ情報が頭に入ってこなかった。
もうなにも手に付きそうもない。そう悟った僕は諦めてベッドに寝転がり、考えることをやめた。天井を虚ろに眺めながら静かに瞼を下ろす。
それが次に上がったのは、枕元で鳴った着信音に叩き起こされたときだった。
しまった! と慌てて飛び起きる。活きのいい魚みたいに手から逃げようとするスマホを両手で押さえると、思い切り耳に押し付けた。
「ふぁ、ふぁい!」
「ふふっ、もしかして寝てた?」
鼓膜に直接届いた清らかな声に、まだ半分ほど夢の世界に飛んでいた意識が一瞬で戻ってきた。部屋に反響する自身の間抜けな声に、熱が込み上げてくるのがわかる。バツが悪くなり、僕は肩をすくめた。
「彩風くんはコラボでやりたいことってなにかある?」
「うーん、これがやりたいってのは特にないかな。でも初めにやるとしたらゲームが無難じゃないかなって考えてた。盛り上がりやすいし、展開があるから話題に困らないだろうし」
「私もゲームがいいかなって思っててさ、彩風くん『マイクリ』ってゲーム知ってる?」
「知ってるよ。めちゃくちゃ有名なゲームだよね」
マインクリエイト。略してマイクリは、ゲーマーなら知らない人がいないほど世界的に有名なゲームだ。
世界を構成するほとんどのものが立方体のブロックでできているのが特徴で、それらを生成したり破壊することで自分好みの世界をクリエイトできるのだ。
探索や建築に冒険などなんでも可能なこのゲームは、プレイする人の目的によってまったく別のジャンルの作品に見えてしまうほど自由度が高い。
しかし、三年もゲーム実況をやっているのにも関わらず、そんな世界的ゲームに僕は一回も触れたことがなかった。いろんな配信者がプレイしているのは知っていて、いつか僕もやってみたいなーと思っていたらもう数年の月日が経っていた。
「でも、ごめん。まったくやったことないんだよね」
せっかく提案してくれたのに申し訳ないなと声を落とす。すると、すぐさま委員長は慌てたように告げた。
「ううん。いいのいいの全然。気にしないで。初めからやったことないだろうなと思って聞いたの。確認のために」
「どういうこと?」
委員長の発言に首を傾げる。
「私このゲーム結構やったことあって、初心者に教えられる程度には詳しいのね」
「あー、言われてみればマイクリ配信のサムネををアーカイブ一覧でいくつか見たことあるかも」
「だからコラボはね、経験者の私が初心者の彩風くんに一から教えていくような配信にしようかなって思ってて。イメージとしては先生が生徒に教える授業みたいな感じ、なんだけど、」
お互いの経験値を活かしたいい案だと思った。それに個人的にも嬉しかった。というのも、僕がマイクリになかなか手が出なかったのは遊ぶタイミングがなかっただけではなく、その自由度の高さからなにをしたらいいのか迷子になりそうだったからだ。
選択肢が多いということは、ときに人を億劫にさせる。だからこそ道順を教えてもらえるのはとてもありがたかった。
それに委員長が先生になってくれるのだ、こんな贅沢なことはない。指導のわかりやすさは折り紙付きだ。
ただ、そんな委員長の言葉が語尾に近づくにつれて鬱々とかすんでいくのが気になった。どうしたの? 浮かんだ言葉が声帯を通り抜ける前に、通話口越しの彼女はすべてを吐露するみたいにまくし立てた。
「初めてのコラボだし本当は対等に遊べるゲームがやりたかったんだけどね、でも、なんというかそのー、彩風くんも言ってたけど、あてなちゃんとディーテくんの配信っていろいろ違うでしょ。雰囲気とか、あと数字とか。いくらふくろうさんがディーテくんを慕ってると言ってもやっぱりリスクは考えられるわけで、もしなにかあったら迷惑がかかるのは彩風くんのほうだと思うし。だから私が先生になって彩風くんより少し優位に立ったほうが円滑に行くかなって。――いや、決して彩風くんを見下してるわけじゃなくてね、私に人が来てくれてるのなんて事務所のおかげというか、ブランドを作り上げた先輩たちのおかげというか……」
「うん、わかってる。大丈夫。すごくいい案だと思うよ」
委員長の言わんとしていることはわかった。
コラボをしたとして、仮に僕が指導する側になったり対戦ゲームで優位になってしまった場合、どんなリスクが生じるのかは簡単に予想がついた。見知らぬ男が推しのVチューバーにマウントをとってる光景なんて、誰だって見ていて気分のいいものではないだろう。いくら「師匠」と言われていたとしても、そこは慎重になるべきだと思った。
せっかくのコラボなんだ。アンチが増えるようなことをして、コラボが苦い思い出になるのは僕としても嫌だった。
その反面、僕のリスナーは僕が劣位の立場になったとしてもなんとも思わないだろうから安心だ。むしろ喜ぶ気がする。それがいいことなのかは疑問だけれど。
――お兄ちゃんはからかわれてなんぼだからね。
我が物顔で脳内に現れたあさがおの幻影が平然と言い放つ。うるさいわ、と一蹴して頭から追い出した。
「……ほんと?」
吐き出された声は、いまにも消え入りそうだった。罪悪感で形成された言葉は、風が吹けば壊れてしまうかと思う程にもろい。
そんなに辛くなるならぜんぶ言わずに「先生が生徒に教えるみたいな授業形式でどう?」だけで企画の内容は十分伝わったはずだ。それなのに包み隠さず話してくれたのは、配信仲間になる人に対しての彼女なりの誠意なのだろう。律儀で優しい人だと改めて思った。反対の手にスマホを持ち替え、彼女の不安を振り払うように声を張る。
「ほんとほんと! 前からマイクリやりたいなーって思ってたし、コラボをしながら教えてもらえるなんて得でしかないよ。僕、委員長の考えた案好きだよ」
本心のまま告げると、一瞬の間が通り過ぎたあとに「よ、よかったあー」と委員長は安堵のため息を漏らした。よっぽど不安だったのだろう。電話でも伝わるその吐息の重たさに、彼女がどれだけ張り詰めていたのかがうかがえた。
「帰り道で彩風くんに、大丈夫! なんて言っておきながらなんか情けないよね」
結局は僕と同じように、委員長も悩んでいたのだ。
無名のゲーム配信者の男子と、人気事務所のVチューバーの女子。その立場の違いから生まれる障壁は、決して綺麗事だけで突破できるようなものではない。その壁を前にして僕は、どうすることもできないとすぐに引き下がってしまった。
しかし、委員長は違った。どうにかできないかと諦めずにずっと突破口を探してくれていたのだ。
ふいに浮き彫りになった己の意気地のなさに、恥ずかしさが込み上げてくる。ただそれ以上に嬉しかった。委員長が僕とのコラボに向けてここまで考えてくれていたのだ。その熱意に自然と頬がほころぶ。首を左右に揺らしながら吐き出した声に、笑みが混じる。
「ううん。全然情けなくなんかないよ。逆に委員長のおかげで元気出た」
「え、いまの話のなかに元気出る要素あった? おかしくない?」
糸一本分くらいの細さだった弱々しい声が、急に疑問を全面に押し出したような訝しげなものに変わる。その高低差がおかしくて、つい笑うのを我慢できなくなった。時間が止まっているような動きのない室内に、心地よい笑い声が彩りを加える。
「なんで笑うのよ」
「ごめんごめん」
いま現在電話中の人をすべて調べれば、そのなかからはおそらく頬を膨らませている委員長が見つかるに違いない。そのすねたような口調は、普段どおりの雑味のない優しい声音に戻りつつあった。
「ねえ、委員長」
「なに?」
「もしかして、ずっと前からコラボの内容考えてたでしょ」
「えっ!」
取り乱したような短い叫びが、僕の耳に突き刺さる。そのすぐあとを追いかけるように、ガタッとなにやら痛々しい音が電波の向こうで響いたのが聞こえた。
なにかぶつけたんだろうか。予想の答えはすぐに判明した。
「いったー」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと机蹴っただけ」
この反応から察するに、図星だったのだろう。帰り道「コラボなにしよっか」なんて言うもんだから、内容はこれから考えていくものだとばかりに思っていた。
だが、さっき委員長が提案したものは、駅で別れてからの数時間で考えたものだとは思えなかったのだ。
「で、どのくらい前から考えてたの?」
「……彩風くんがディーテくんだと知ってから」
「いっちばん最初じゃん!」
長くてせいぜい一週間くらいだと高を括っていた。しかし事実は予想の上をあっさりと飛び越えていき、思わず声を上げてしまった。
委員長の声はまたしても消え入りそうになっていたが、恥じらいがにじんでいる分さっきとはまったく異なった響きをしている。企みがバレて身を縮めている委員長の姿が、離れていても想像できる。
学校で話しているときも、その大人びた表情の裏ではコラボに向けてどうするか考えていたのだろう。その熟考の結果が、あのDMからのハチ公前でのネタばらしだ。それまで悟られないようにずっと気を使っていたのかと思うと、その健気さにまた笑いそうになった。
もしかしたら、僕がふくろうさんから「師匠」と呼ばれているのも、コラボをやりやすくするための委員長の策略なのかもしれない。まあ、これはさすがに自意識過剰だと思うけれど。
「ありがとね委員長。いろいろ考えてくれて」
「うん。でも私が好きで勝手に決めたことだし」
委員長はそう謙遜するが、たぶん僕が認知してる以上に助けてもらっている部分はあると思う。
「まーちょっと? 驚かされすぎなような気がしなくもないですけど?」
嫌味っぽく言い放つ。なのに耳をかすめたのは愉快げな吐息だった。
「笑ってごまかしましたね?」
「よし! だいたい内容は決まったことだし、コラボがんばろうね彩風くん!」
「強引すぎない? ……まあ、委員長のおかげでコラボすごく楽しみになったよ」
「うん。私も楽しみ」
また学校で。そうお互い別れを告げたのにも関わらず、どちらも先に通話を切ろうとしなかった。そのため変な沈黙が流れたが、同時に切ることにしてやっと通話が終了した。
切り終わった画面を見つめながら、深く息を吐き出す。疲労と高揚が入り混じった空気が抜け、身体がしぼんでいきそうだ。
「……痛っ!」
途端、両足に電撃が流れたような痛みが走った。電話に出てからずっとベッドの上で正座をしていたことに、いまさら気づいた。
しびれに悶え苦しみながらベッドの下へと足を放り出す。先を塞がれて、立ち止まっていた血液が一気に流れていく。足全体に新たな刺激が加わり、閉じた口の奥で悲痛な叫び声を鳴らした。




