ドッキリの目的
打ち合わせという名のドッキリから一日挟んだ月曜日。六月に入り、すっかり日が長くなったなと頭上を見上げて思う。朝から昼過ぎまで雨が降っていたため雲は多いが、切れ間から色素が抜けた青色がのぞいている。
授業が終わってから一時間ほど過ぎた昇降口は、ひとけがなく閑散としていた。帰宅組とも部活組ともかぶらないこの時間帯はどこか寂しげで、見慣れた風景でありながら違う場所のように感じる。
スニーカーに履き替えて玄関を抜けると、水分量の多い空気がじっとりと身体にまとわりついた。風が運んでくる雨の匂いがつんと鼻に刺さる。あまり好きな匂いではなかった。
「委員会の仕事、あれだけ来る気なさそうだったのに来てくれてよかった」
早々に靴を履き替えて待っていた委員長が振り向いて僕に言う。他人事みたいに話しているが、その声音からは微かに充足感がにじみ出ていた。
電車のなかで話したことが呼び起こされ、その緩んだ頬に肩をすくめる。
「あんなこと言われたら来るしかないよ」
委員長に追いつき、僕らは肩を並べて歩き出した。バツが悪く吐き出した言葉が、足元に向かって弱々しく落ちていく。駅へと続く道は雨によって黒色に染めあげられていた。表面に水気が残るアスファルトは、踏みつけるたびに砂利が擦れる音を響かせる。その耳障りな音のあとを追いかけるように、杖代わりになったビニール傘がカンッと地面を鳴らした。
「でも脅せって言ったのはディーテくんだしなあー」
「そのディーテとかいうやつ、とんでもないこと言ってくれたな。『脅せ』はないわ」
嘆息を漏らしながら責め立てると、委員長は可笑しげに小さく喉を震わせた。その無邪気な姿に、僕の口からもふっと笑みがこぼれる。耳が捉えた吐息は、想像以上にかすれていた。
うまく笑顔をつくれていない。そう理解してしまった途端、焦りからか血の気が引いていくのがわかった。
「ところで、コラボなにしよっか」
教室では聞いたことない委員会の声が辺りに響く。とっさに周囲を見回したが、幸い近くに聞いている人はいなかった。
予想はしていたものの、いざ話を切り出されるとやはり動揺してしまう。期待に胸を膨らませている委員長は、どこか夏休みの予定を立てる小学生のように思えた。その明るさがいまの僕にはジリジリと染みて痛い。
いまにもあふれだしそうな黒い感情を空気と一緒に飲み込み、気持ちを落ち着かせる。ズレたバッグのベルトを肩にかけ直し、「そのことなんだけどさ」と心情を吐露した。
「委員長からDMが来たときから思ってたことがあるんだけどさ、織部あてなが僕とコラボしてもそっち側にはなんのメリットもないんじゃないかな。自分で言うのもあれだけど、僕は細々と配信してるだけで無名だから、そんな配信者と急にコラボしても織部あてなリスナーはびっくりすると思う。『コイツ誰?』って。あと、男とコラボすると、下手したら委員長が炎上しちゃうかもしれない。ほら、女性Vチューバーって熱狂的な男性ファンが多いでしょ。コラボが起爆剤になって熱意がそっくりそのまま怒りに反転してしまった、なんてこともありえるし」
一度言葉を区切り、大きく息を吸う。委員長は黙って聞いているが、どんな表情をしているかは見ることはできなかった。恐怖からか、僕の視線が彼女の顔を捉えるのを拒んでいる。
「それに、コラボの申請はドッキリのための口実だよね? ならそんな律儀にコラボをしようとしなくてもいいんじゃないかな」
語っていくうちに、その声色には徐々に笑みが混ざっていった。自然と表情に浮き出てきた苦笑いはきっと、委員長ではなく僕自身が傷つかないようにするためのものだった。
人気Vチューバーからコラボを申し込まれて、しかもその正体はクラスメイトの女の子だった。そんな漫画みたいな出来事に、僕は言い表すことができないほどの胸の高鳴りを覚えたのは事実だ。
しかしそれは僕個人の心情であって、多くの人に見られるコラボとなったら話は別だ。ファンが多いということは、良くも悪くもいろんな想いをもった人がその分だけいるということを意味している。
テレビを見るような軽い感覚で配信を見ている人もいるだろう。だがその一方で、そのなかには本気になって応援している人、つまりガチ恋勢も当然いるはずだ。以前のゴッドアフロさんがそうだったように。
どこの馬の骨かわからない僕と織部あてなが一緒に配信することで起こる悲劇を想像すれば、コラボはしないほうがいいと思った。今回のこの件は、ドッキリが成功したという楽しい話のままで終わらせたほうがきっと幸せなままだ。ネット活動の秘密を共有できる知り合いが増えただけでも僕は十分だった。
「なに言ってんの? コラボはやるよ。なんなら強制だよ」
予想外の言葉に思わず顔を上げる。委員長の眉がピクリと動く。穏やかな口調ではあったが、その裏には反論を受け付けない強固な意思を確かにはらんでいた。日をまたぐほど悩み、意を決して放った言葉があっけなく打ち砕かれる。次の一手がなくなり唖然としている僕を、彼女の双眸は依然としてまっすぐに貫いていた。
「強制って、なんでそこまで」
「ファンだから。ディーテくんの配信面白いもん」
ふへっ、と苦々しくゆがんでいた唇から空気が漏れた。思わぬところから飛び出た称賛の言葉に、つい間抜けな声が出てしまう。卑屈さが充満していた頭のなかに、照れくささと恥ずかしさと嬉しさが強引に割り込んできた。
委員長になにを言い返されても意思が屈することがないように作り上げた城が、まんまと浮かれた感情によって崩壊していく。パラパラと音を立てて崩れていくさまは実に儚く、どうすることもできず呆然と眺めていた。
開いた口からは、もうどんな言葉も出てきそうにない。肩に乗っかっているおさげの先端を、委員長はそっと撫でつける。
「実は私、あのオフ会で彩風くんがディーテくんだと知ってからほぼ全部の配信見てるんだよね」
「――まじ?」
「うん、まじ。自分の配信やらで都合悪いときはアーカイブで見るくらいには追ってる」
ここ一ヶ月の配信の記憶が凄まじい勢いで脳内を駆けていく。別に聞かれて困るようなことは言ってないし、おかしなことも言っていない。だが友人と遊んでいるところを親に目撃されたときのような恥ずかしさが込み上げてくる。
縮まった内臓が熱い。それになぜか息苦しい。ファンと言われた余韻も相まって、さらに紅潮していく顔を委員長に向けることが出来なかった。
「言っておくけど、ドッキリのためにコラボの話をしたんじゃなくて、コラボ申請のついでにドッキリを仕掛けたんだよ」




