祭りのあとに残ったもの
「おーーい」
夕食後。自分の部屋でネットを見ながらコラボについてうだうだと頭を悩ませていると、予想通りドアが叩かれた。動きのない静謐な空間に乾いた木の音が響き渡る。
片耳にだけつけていたイヤホンを外し、イスをドアに向けて百八十度回転する。「どうぞー」と呼びかけると、言い終わる前に勢いよくあさがおが入ってきた。
「ねえ! どうだった、あてなちゃん!」
夕食を囲んだ食卓であさがおは終始落ち着きがない様子だった。ごはんそっちのけでちらちらと僕の様子を伺い、母から話しかけられたときは驚いて声が裏返っていた。
親の前ということもあり、問いただしたい気持ちを抑えてくれてたのだろう。その配慮はとてもありがたい。
だが、無理に自然を装う彼女の姿はあまりにも不自然すぎて、何回も吹き出しそうになった。しかも当の本人はうまく隠せていると思っていることがいちばんたちが悪い。
やっと聞ける! と目の前に立ったあさがおの声音は我慢していた分いつも以上に跳ねている。長い睫毛で縁取られた夜色の瞳の奥で、旺盛な好奇心の星が瞬いていた。
「どうだった、って言われてもなぁ……」
今日の出来事はすべてにおいて強烈だった。委員長から明かされた事実に、何度心臓が止まったか数え切れない。だが、妹という相手にどこまで話していいのかわからなかった。
Vチューバーという難しい存在。いつかは話そうと思うが、今日はひとまず当たり障りのない情報で茶を濁す。
「うーん、同い年くらいの人だったよ。あさがおより十センチ以上背が高かった」
「へえーー」
細っこい指が顎に触れると、あさがおは思案げに斜め上を見やった。顎が上がり、無防備にさらされた喉に小さな喉仏が浮き出ている。黒髪がかかった微かに尖った耳は、部屋の明かりを白く跳ね返していた。
なにをそんなに熟考しているのだろう。その様子を眺めていると、半開きになっていた唇がニヤリと持ち上がるのが視界に入った。
「可愛かった?」
「へっ?」
想定外の質問に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。根掘り葉掘り聞かれる心づもりでいたが、まさかいちばん最初の質問がそんなことだとは思いもしなかった。
さっきより一段と輝きが増したその瞳が、僕の返答をいまかいまかと待っている。
そんなことだと馬鹿にしておきながら、かなり難しい質問だと考え出して気がついた。こぼれ落ちてしまいそうなほど大きな彼女の黒目に、唾を飲み込む。緩慢な動きで上下する喉からは、まったく言葉が出てこなかった。
織部あてなが初対面の他人だったら、なんの気兼ねもなく無責任に評価を告げていたのだろう。それができなかったのは相手が知り合いで、今後も学校で会う委員長だったからだ。
当然あさがおはそんなこと知るよしもないのだから、好き勝手言ったところで委員長の耳には届かない。だとしてもその評価を自分の意思で言語化するのは、どうも気後れしてしまう。
可愛かったかどうか。たったそれだけのことなのに、そのさきを考えるのを妨害されているような感覚があった。僕のなかにいるなにかによって。
早く話を逸らそうと、これ以上追求されないために不快な表情を装って曖昧な返事でごまかした。
「……顔がどうとか関係ないでしょ。お互い顔を出して配信してるわけじゃないんだし」
「ふーん」
あさがおの反応はなんとも意味ありげだった。不快感をにじませているはずなのに、その緩んだ表情からは気にしている様子が嘘みたいに感じられない。わかったふうにコクコクと何回も頷きながら、彼女は僕の顔全体をくまなく見ている。
なんだか頭のなかをのぞき込まれているみたいだ。僕と向かい合うまんまるな黒い二つの球体が放つ圧に、緊張で喉の奥がむずむずしてくる。皮膚にまとわりつく奇妙な沈黙に、もう耐えられそうになかった。
「なんだよ。じろじろ見てさ」
「いや? あてなちゃん可愛かったんだなーって思って」
「は? そんなこと言ってないでしょ」
「言ってはいないけど、ほらっ、耳が赤くなってるよ」
ゆるりと持ち上がった人差し指が、まっすぐ僕の耳へと向けられた。考えるよりも速く動いた両手が、反射的に耳を覆う。
すると、直後に音の籠もった笑い声が聞こえてきた。
「まあ、嘘なんだけど」
「はあ!?」
両手が太ももに落ちると同時に、笑い声の音色ががらりと鮮明になった。あさがおは肩を小刻みに震わせながら、細められた目尻を指で拭う。笑いすぎたその姿はもはや楽しいを通り越して苦しそうで、息を吸うのと同時にヒュッと喉を鳴らしていた。
悔しさのあまり自ずとしかめっ面になっていく。その表情から嫌悪を訴えようと試みたが、脇目も振らず破顔して笑う姿についつられてしまった。彼女の笑い声は伝染するから本当に厄介だ。意思に反して口角が変な形に歪んでいく。
まんまとはめられた事実に本当に耳が紅潮していくのを感じるが、負けたような気がして今度は隠さなかった。
「ほんと腹立つわー」
「まあまあ。そんな怒んないでよ」
そう言うものの、彼女は悪びれることもなく僕の反応に嬉しそうに喉をクツクツと鳴らした。ベルを転がしたような軽やかな声音が、唇を尖らせている僕の周りを無遠慮に飛び跳ねている。
彼女は手を上下に揺らして僕を宥めているようだったが、僕はそれを受け入れることなくフンと鼻を鳴らした。
「そうやって兄を小馬鹿にしてさ、ひどい妹だよ。あー、もうなにも教えたくない」
「で、コラボはいつすることになったの?」
「うわ、清々しいほどのガン無視だね」
「そこをなんとか。言ってくれたらちゃんとその時間空けとくからさ」
お願い、と手を口の前で合わせて、肩をめいっぱいに縮める。拒否する意思を根こそぎ奪い取る、可愛さだけを詰め込んだ媚びるような仕草だった。
それは他所の人相手だったら効果的かもしれない。だけど、親族である僕には残念ながらまったく効かない。
「コラボはいつするか決まってないよ」
が、正直言うとコラボの話をしたいのは僕も同じだった。どこに向けたものなのかわからない兄妹のコントはこれ以上もういいだろうと、普段のテンションに戻して話す。
断じてあさがおの仕草に屈したわけではない。そう断じて。
「というかまったく打ち合わせしてないから、日時どころか内容とかもなに一つ決まってないよ」
「えっ、じゃあなにしに行ってきたの?」
返ってきたのは至極まっとうなものだった。笑みを形どっていた目元が徐々に見開き、そこから驚きとはてなが床の上に落ちていく。フローリングにくっついている絹のような素足からは、さきほどの騒がしさは消えていた。
「うーん、実は俺もよくわかんない」
打ち合わせだと言われて渋谷に行ったものの、結局コラボの話を一回もすることはなかった。ただひたすらに委員長に振り回されていた記憶しかない。
「コラボするんだよね?」
不安そうな表情を浮かべたあさがおが僕に聞いてくる。
「どうだろ、いまはまだわかんない。考え中」
「なにそれ」
「まあ、一つ言えるとしたら、」
背もたれに体重を預けると、自然と重たい息があふれていった。傾くイスが、ギイときしむ。視界の中央で、あさがおの首が不思議そうに傾く。
「今日はめっちゃ疲れた」
◇
織部あてなの正体を隠しながら今日のことを話すと、あさがおは自身の部屋へと帰っていった。帰り際の彼女はどこか満足そうで、高揚しているのが見て取れた。
僕も少し話し疲れたものの、こうしてリアルの人間と配信について話せるのはやっぱり楽しかった。あさがお同様に満足した気持ちが僕を満たしている。
しかしただ一つ、コラボを楽しみにしているあさがおの前ではどうしても聞けなかったことがあった。
――織部あてなとディーテのコラボは、やらないほうがいいんじゃないだろうか。
僕らは人気も配信スタイルも、企業か個人かもどれ一つとっても同じものが見当たらない。そんな二人がコラボをして大丈夫なんだろうか。
男女二人きりのコラボに対してのリスナーの反応。企業と個人の責任の重さ。リスクは数え切れないほどある。
仮に失敗したとき、痛い目を見るのは確実に織部あてなのほうだ。祭りのあとで冷静になった理性が、ここが引き際なのではと僕にささやいている。
脳内で独りごちた不安の問いに、答えてくれる人は誰もいなかった。
これにて第5章終わり。配信者の知り合いができて高揚している一方で、少し卑屈になってる朝陽。現状コラボをすることになってますが、どうなんでしょう。続きの第6章は明日投稿します。
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