怖い一太刀
「あ、私次の駅だから」
アナウンスが頭上を通り過ぎ、委員長は告げた。自分はもう少し先だと伝えると、彼女は唐突に「そうだ」と僕をまっすぐに見据えた。
「もう一つ言わなきゃいけないことがあったんだ」
「えぇ、まだなにかあるの」
今日はもうお腹いっぱいだと訴えるも、すぐ終わるからと諭される。目を細めて微笑んではいるものの、その奥に垣間見える真剣な眼差しに身体がすくんだ。
「彩風くん、委員会の仕事は私に任せないで自分の分もちゃんとやってね」
それは教室で何度も聞いたことのある台詞だった。また衝撃的なことを言われるのだろうと身構えていたのもあり拍子抜けしてしまう。
なんでこのタイミングでそんなことを言うんだろう。話の内容よりもそっちのほうが気になった。頭の上に大きなはてなを浮かべた僕に構うことなく、委員長は続ける。
「もし次もサボったら、ネットで配信してることクラスのみんなにバラすからね」
「えっ、いくらなんでもそれは厳しくない?」
「うん。わたしもそう思う」
「じゃあなんで」
「仕事をしないやつは脅して無理やりやらせろ、ってアドバイスされたから」
「誰に?」
「ディーテくんに」
予想だにしないところから飛び出た「ディーテ」の名前に、頭のはてながさらに増えた。委員長が突然怖いことを切り出し、しかもそうアドバイスをしたのは僕だと主張している。なにを言っているのかまったく理解が追いつかない。
そんな僕をよそに、電車がタイムリミットを告げるように駅に着いた。動揺で硬直する喉を慌ててこじ開ける。
「いや、そんなこと言った覚え――」
「『心は十代』って言われると普通は二十歳以上の人を思い浮かべるけど、十代の人の心だって当然十代だよね。あっ、駅着いた」
僕の言葉を遮ると、委員長は噛みしめるように言葉を紡いだ。マイクに綺麗に乗りそうな響きのいい優しい声音。そこから顔を出したわずかな愉悦が空気に浮かび、脳の奥をチクリと刺激した。
じわりじわりと鮮明になっていく記憶はつい先日のものだった。
――一緒に仕事をするはずの同僚がまともに仕事をしてくれなくて困ってるんですよ。
――脅してみるとかどうですか?
あの日の凸待ちでの会話が耳元に蘇ってくる。サボり魔の同僚について相談してきた心は十代さん。まさか、その正体って……。
遠く離れた関係ない二つの出来事が目の前で繋がっていく。なんだか頭が痛くなってきた。ドアが開き、乗客が入れ替わっていく。ぼやける視界で捉えたその光景は、ひどく重たくスローモーションに見えた。現実なのに、なんだか夢のなかにいるみたいだ。
心は十代さんの相談は、どこか遠くの大人の世界の話だと思っていた。しかし、それはすべて僕に関するものだった。リスナーが容赦なく放った彼女の同僚に対しての言葉が、時間差で僕を目掛けて降ってくる。そのなかには当然僕自身の言葉も含まれていた。
「それじゃあね、彩風くん。また学校でね」
一日の疲れを感じない笑顔で委員長は別れを告げた。僕の返事を待つことなく、その身体をドアに向ける。まるで僕が固まって喋れなくなるのを想定していたかのような、無駄のない動きだった。
心が十代さんが委員長だったということは、彼女はあの凸待ちを見ていたということになる。それはつまり……。
「あっ、あとこれも言っとかなきゃ」
スカートをなびかせ、くるりと軽快に振り向くその細い身体に嫌な予感が込み上げてくる。しかし、なんとか制そうと咄嗟に開いた口からは、空虚なうめきしか出てこなかった。
白魚のような人差し指が、ピンと上に伸ばされる。委員長は小学生を注意する先生のように僕に言った。
「彩風くん。制服はちゃんと部屋に片付けなきゃダメだよ。妹さんに怒られちゃうからね。今度こそじゃねっ」
やっぱり委員長はあの兄妹げんかを見ていたんだ!
的中してしまった予感に、身体中の熱が一気に顔に集まってくる。ゴッドアフロとディーテが兄妹だと誰も知らないからこそ、あの凸待ちではぎりぎり平常心を保てていた。その精神が、彼女の言葉に跡形もなく吹き飛ばされる。こちらはレンガの家に身を隠していたつもりだったが、住んでいたのは藁の家だったらしい。
再びドアのほうへと歩いていく委員長の足取りは、ずいぶんとご満悦そうに地面を蹴っていた。
もうちゃんと片付けてるよ!
意識が戻り、そう反論しようとしたときにはすでにドアは閉まっていた。呆然としている僕に、窓の向こうから委員長が小さく手を振っている。
ふっと、乾いた笑みがこぼれる。吐き出された空気の塊からは、敗北の香りがした。唇を尖らせながら、観念したように僕も手を振る。
視界の端に消えていくまでずっと、委員長の手は犬のしっぽみたいに左右に振れていた。
脅せという朝陽のアドバイスは「第4章 手強いひとたち」に書かれています。確認したい方はそちらに戻ってみてください。
それと私事ですが、実は結構タイトル付けに力を入れてたりします。いろんな要素を踏まえながら考えるの結構楽しいんですよね。なかでも今回のタイトルはかなりのお気に入りです。
物語の進展にはなんの関係も無いですが「コイツはなんでこのタイトルを付けたんだ?」と考えながら読んでみるのも楽しいかもしれません…!




