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異次元のサプライズ

「ううっ……」


 なにが起きているのかまったく理解ができず、頭を抱える。瞼は開いているのに、目をつぶったときに見えるカラフルな残光が地面の上でほとばしっている。周囲の音の輪郭が、曖昧に溶け出す。まるで水のなかにいるみたいだ。透明な膜が僕を包み込み、日常が遠のいていく。


「……なんで委員長が? 偶然? いや、でも、ディーテって。え、じゃあなに? 織部おりべあてなってもしかして」


 混乱するあまり頭のなかと現実を隔てていた理性の壁が崩壊し、二つの区別がつかなくなっている。いま聞こえている自分の声が、脳内で響いているものなのか、口から出ているものなのかわからない。

 委員長が呼んだ「ディーテくん」とは確かに僕で間違いない。しかし、その呼びかけに応じることはできなかった。普段「彩風くん」と呼ぶ委員長が、その名を知るはずがないからだ。


 それならばなぜ委員長はディーテの名前を知っているのか。そしてなぜここにいるのか。その答えはもう手の届くところにある。なのに身体が強張って思うように動かない。

 もう何でもいい。「彩風くん」とか「偶然だね。なんでこんなところにいるの?」とか、普段の教室の延長線上にいるような言葉を投げかけてほしかった。そして、あぁ、さっきのは聞き間違いだったんだなって思わせてほしかった。俯いたまま硬直している僕の肩に、委員長の手がそっと触れる。


「ね、ねえ。大丈夫? 彩風くん」


 困惑した様子で委員長が僕を前後に揺すった。その振動で意識が現実に戻ってくる。虚ろなまま声のほうへと顎を上げていくと、心配そうに僕を見つめる委員長の姿が目に映った。レンズ越しの目尻は垂れさがっていて、さっきまでの笑顔は消えていた。

 委員長は苦々しく口角を上げると、申し訳なさそうに手を合わせた。


「ごめんごめん。驚かせるつもりは、えーっと、まあ、……あったんだけど、ここまで動揺されるとは思わなかった。ごめんね、びっくりさせて」


「驚かせるつもりって。――じゃあ、やっぱり委員長って、」


 こわごわと委員長に問いかける。その声は風に吹き飛ばされてしまうほどか細いものだったが、ちゃんと届いたようで彼女は微笑んで反応した。

 キョロキョロと委員長が周囲を見渡す。すぐ近くに人がいないことを確認すると、口に手を添えて僕の横顔にぐっと顔を近づけてきた。あか抜けないメガネの主張が強いせいで気づかなかったが、間近で見たその容姿はとても端正なものだった。初めて知る一面に、普段なら照れて顔を伏せてしまっていただろう。だけど、そんな余裕はもう残っていなかった。

 吐息混じりのささやき声が吹き込まれ、耳元をさわさわとくすぐる。いまだ真実から目を背けている僕の思考も、その距離ではもう逃げることができなかった。委員長の言葉が僕のなかにしっかりと刻み込まれた。


「うん。織部あてなは私。彩風くんをここに呼んだ張本人だよ」


  ◇


 こんなところで話すのもなんだし、どこかお店に入ろ。そう提案する委員長に従い、僕らは駅から歩いてすぐのカフェへと向かった。僕は完全に思考を放棄してしまい、その道中はまるでリードに引っ張られた犬みたいに、呆然と目の前の背中について行くだけだった。


 委員長につれてこられたのはチェーン店のカフェだった。あさがおと行ったショッピングモールのそれとは異なり、若い客であふれている。さすが若者の街。店内に充満する華やかな雰囲気に、内臓がキュッと怖気づく。

 お客さんの全員が煌々《こうこう》と自信を纏っていて、その眩しさに目がくらみそうだった。一人だったら絶対に入れないなと肩をすくめる。


「あの席空いてる。あそこにしよ」


 委員長がいちばん奥の窓際の席を指差す。各々注文したものを受け取ると、彼女は平然とした態度で店内を突き進んでいった。手に持ったドリンクの水面を見つめながら、こぼさないように僕もそこに向かう。

 委員長はいちごのパンケーキとキャラメルなんちゃらとかいう飲み物を頼んだようだ。対して僕はアイスコーヒーしか頼まなかった。こんなことが起きてしまったら、とてもじゃないがなにも喉を通りそうもない。

 向かい合って席につくと、彼女はめいっぱいに腕を上げて大きく伸びをした。肺の奥から開放した吐息には、胸の高鳴りがにじんでいる。委員長はスッキリとした顔つきで、ニヤリと僕を見た。


「ねえ、びっくりしたでしょ」


「うぐっ」


 ひとまず気を紛らわせようと口に含んだコーヒーがほんの少しだけ口からこぼれる。慌てて口を押さえると、委員長が紙ナプキンを渡してくれた。その目尻はだらしなく緩みきっていて、彼女が僕の一挙一動を楽しんでいるのが見て取れる。

 彼女のきめ細かい肌が艶めいて見えるのは、きっと窓からの日差しのせいだけじゃないだろう。唇を拭きながらじっと目を細めると、彼女の鼻からふふっと愉快げな吐息が漏れた。


「……びっくりしたなんてもんじゃないよ。死ぬかと思った」


 吐き出された言葉は想像以上に疲弊していた。覇気のない響きがテーブルの上に落ちていく。その光景に僕は、無理もないと自分をなだめた。

 クラスメイトが実は話題のVチューバーでした。そんなことを唐突に知って冷静でいられるわけがなかった。鈍器で頭を振り抜かれたような衝撃がいまだに僕の脳を揺らしている。

 この感覚はゴッドアフロさんがあさがおだと知ったときのそれとまったく同じだった。まさかこんなことが二度も起きるなんて思いもしなかった。

 無意識に出てくるうなり声をそのままにしていると、その様子を見た委員長がクツクツと喉を鳴らした。鈴の音のような響きが、僕の声をかき消していく。


「ドッキリ大成功!」


 胸の前で委員長がパッと小さく手を広げる。そこに浮かんだ表情はいままで見たことないほどの満面の笑みだった。その嬉々とした明るさに当てられて、僕もつい根負けしたような乾いた笑みをこぼした。


「テッテレー、じゃないよ。ほんとにさ」


「ごめんごめん」


 いまだに信じられないが、織部あてなの正体はクラスメイトの西宮紗宵だった。もう認めざるを得ない。

 そうだとわかれば、いままで抱いていた疑問にもいくつか納得がいく。


「委員長さ、業界では直接会って打ち合わせするのが常識みたいなこと言ってたけど、あれ嘘でしょ」


「ふふっ、まあ事務所の人ならまだしも、コラボの打ち合わせでわざわざ直接会うなんてことはないよね。ネット通話で十分だもん。だから彩風くんにそこを指摘されたときは、どうしよっ! って焦ったけど、なんとか信じてくれてよかったー」


「全然よくないよ。ずるいよ。業界とか、事務所とか言われちゃったら、あぁそういうもんなんだなって信じるしかないじゃん。普通」


「いくら事務所に所属しているって言っても相手は人間なんだから、そう簡単に信用しちゃうと、いつか大変な目に合うから気をつけたほうがいいよ」


「いまみたいにね」


 鼻の上に皺を寄せながら嫌味っぽく言い放つと、確かに! と委員長は目を見開いた。次第にその肩が小刻みに震えだし、幸せそうな笑い声が空間に広がっていく。

 なんだか動揺していた自分が急に馬鹿らしく思えてきた。正体がバレていたことにただならぬ危機を感じていたが、どうでもよくなってきた。

 それに相手は委員長だ。僕の正体が他の人にバラされることはないだろう。

 そう断言できるほど、僕は彼女を信頼していた。


 委員長は初めから全部知っていたんだ。だから僕にコラボの申請をしたし、服の特徴も聞かなかった。織部あてなの正体が判明したことで、芋づる式に疑問が解決していく。


 ただ、どうしてもわからない疑問が一つだけあった。



「委員長はどうやって僕が配信をしていることを知ったの?」


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