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織部あてなの謎

 織部あてなが待ち合わせ場所に指定したのは、渋谷のハチ公前だった。ここに来るのは約一ヶ月ぶり。あのオフ会以来だ。

 相変わらずの人の多さにくらくらする。土曜日ということもあって行き交う靴で地面が見えなくなっていた。


 改札を抜けると、ジリジリと降り注ぐ日差しが僕を出迎えてくれた。以前来たときに比べてだいぶ暑くなったその熱線に、春との別れを感じた。

 気候も状況もあのときとまったく違う。駅前の人たちの服装も季節に合わせて薄くなっている。なのに、鮮明に蘇るあのときの映像が、僕の内側に冷ややかな陰りを一滴落とした。

 あさがおとの関係はもとの戻ったというのに、あまりにも強烈過ぎたあの出来事はいまだに僕にとってトラウマなのかもしれない。あんな想いはもう二度としたくない。


 目を腫らして構内へと駆けていくあさがおの残像とすれ違いながら、ハチ公前へと向かう。運よく開いていたスペースに腰を掛けて、スマホを取り出した。

 画面端の時計には集合時間の十分前の数字が表示されている。織部あてなからは、到着したらすぐに連絡してほしいと事前に言われていた。

 着きましたよ、と報告すると、すぐに返事が送られてきた。


『私ももうすぐ着きそうです。すみません、待たせることになってしまって』


 謝罪を告げる文末には、深々と頭を下げる絵文字がくっついている。集合時間前なんだからそんなに謝らなくてもいいのにと思うが、きっと彼女はこういう人なのだ。今日に至るまでの数回のやり取りだけでも、彼女がとても誠実な人であるということはひしひしと伝わっていた。

 表ではいい顔してる人が裏ではとてつもない問題児だった、なんてことが平気である配信業界。そのなかで普段の配信と変わらない態度で僕に接してくれる彼女はとても好印象だった。彼女が負い目を感じることがないように『全然大丈夫ですよ。焦らずゆっくり来てください』と返信を添えた。


 織部あてなとのDM画面を開いたまま、スマホを上へとスクロールしていく。指でなぞるだけで、画面のなかは一瞬で過去に時間が巻き戻されていった。

 互い違いに重なるメッセージをさかのぼっていくと、これ以上過去はないとスクロールの動きが止まった。頂上にあるいちばん初めに届いた織部あてなからのメッセージ。見間違いなんじゃないかと幾度となく読み返したそれは、いまでも送られてきたときの衝撃を鮮明に呼び起こしてくる。


『コラボしませんか?』


 結局織部あてなが僕を誘った理由はわからなかった。いくら考えたところでその答えは織部あてなの頭のなかにしかないのだから当然だろう。ならば直接聞いてみればよかったのだが、踏ん切りがつかないままズルズルと今日を迎えてしまった。


「無名配信者とコラボしてみた! っていう企画なんじゃない?」


 いつまで経っても女々しく頭を抱えていた僕に、あさがおは一つの可能性としての考えを言っていた。しかし、文面の印象だけでも、彼女が人を蔑むようなそんな企画を行うような人だとは到底思えなかった。


 あさがおの言っていたとおり、僕は無名配信者の一人にすぎない。その一点が織部あてなの真意をより不明なものにする。

 なぜ彼女はコラボをしてもたいして美味みがない僕を誘ったのか。そもそもなぜ僕を認知しているのか。どんな目的があるのか。

 そんなことを考えながら、今度は過去から現在へと記憶をたどるように画面を下にスクロールしていく。


 ところでなぜ織部あてなはさも当然のように待ち合わせ場所をここ、ハチ公前に指定したのだろう。僕が地方に住んでいる可能性だってあるのに。

 もしかしたら僕は前回のオフ会後の配信で「ハチ公前に集まった」と言っていたのかもしれない。

 ただ、言っていたのだとしても彼女は今日のためにわざわざ配信を確認したのだろうか。近いから問題なかったのだけれど。


 上から一つひとつの文を順番に読んでいると、あれ? と首をひねった。ふと重要なことに気がついたのだ。


――織部あてなはいったいどうやって僕を見つけるんだろうか。


 休日のハチ公前は当然僕のように待ち合わせしているであろう人たちでごった返している。おそらく織部あてなは、僕が男であることとディーテという名前だということしか僕について知らない。たったそれだけの情報ではこの雑踏のなかで僕を見つけることは確実に不可能だ。

 すぐさまキーボードを開く。焦る指先を抑えながら、以前あさがおがそうしてくれたように自分の服装を入力し始めた。


『すみません。見た目の特徴を伝え忘れてました。黒いズボンに紺色のTシャ――』


「そんなに顔をしかめていると皺が残っちゃうよ。”ディーテ”くん」


 指が止まった。雷に打たれたような衝撃が、頭のなかをまっさらに変える。痛みにも似た痺れが脳に張り巡らされ、思考を焼き焦がした。


 頭上から降り注がれた声は、耳馴染みのいい聞き慣れたものだった。だけどそれは同時に、こんなところで決して聞くはずのない声でもあったのだ。

 文字が不自然に途切れたスマホに、僕のものではない影が覆いかぶさっている。めまいに襲われ、世界が揺れている。

 スマホ越しに見える地面に、恐る恐る焦点を合わせた。僕のスニーカーと向き合うように並んだ黒のコンバース。ちらりと見える小さなくるぶし。脚を覆い隠す鮮やかな青色のスカート。陽の光に照らされた白い服は目がかすむほど眩しく、そのすらりと伸びた痩身は生地越しでも姿勢のよさが伺えた。

 たどるように視線を上げると、得意げな笑顔を見せる瞳と目が合った。


「おはよっ、ディーテくん」


 目の前の事実を、脳みそが無意識に拒絶している。心臓が激しくきしみ、血液が轟々と音を立てて流れている。なのに、顔の表面からはどんどん血の気が引いていくのがわかった。

 緩やかなカーブを描く目元に、絶句した青白い表情が映り込んでいる。その周りを縁取る銀色のメガネが、夏の予感を乗せた日光をキラリと跳ね返した。

 彼女は身をかがめて座っている僕をのぞき込む。丁寧にくくられた左右のおさげが宙にぶら下がり、動きに合わせて静かに揺れた。


 震える喉に空気を流し、肺に酸素を送り込む。

 強引に絞り出した声は、ずいぶんと苦しみに満ちたものだった。


「なんで、ここに……?」


 目の前で微笑む彼女は、紛れもなく委員長こと西宮にしみや紗宵さよだった。


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