陰りを照らす名案
『あのー、送る相手間違ってませんか?』
勢いのあるVチューバーから直々にコラボのお誘いが来るなんてとても光栄なことだった。だが、その相手が僕となると現実味が一気に薄れてしまう。人気もそうだが、配信の雰囲気や視聴者のノリ、どれ一つとっても僕らは違う世界の人間のように思えたからだ。
もしかしたら人違いなんじゃないかという予感が、いまや僕のなかでは確信へと近づきつつある。たとえ間違いだったとしても、さも当然のように受け入れることができるだろう。
そう心構えを整えた僕は、考えあぐねて放置していた織部あてなからのDMにやっと返信を送ったのだった。
しかし返ってきたのは拍子抜けするようなものだった。
『私はディーテさんに送ったつもりなんですけど、このアカウントはゲーム配信者のディーテさんのものであってますよね? あれ、もしかして私間違ってました?』
文面から漂う純粋さに、僕の猜疑心が照らされじりじりと焦げていく。織部あてなのその謙虚な姿勢に、初めから信用もせず疑っていた自分がすごく小さく思えた。なんだか失礼なことをした気分だ
「でも急にこんな大手のVチューバーからコラボしませんかなんて言われても、よっぽど自信家じゃないかぎり誰でもまず疑っちゃうでしょ」
学校から帰宅後、夕食前のリビングでそのことを伝えるとあさがおはそう言った。そうだよねー、と思案げに吐き出された言葉がため息と一緒に宙に浮かんでいく。
ただ、あさがおのはっきりとした物言いは僕とって救いになった。彼女の共感が支えとなり、劣等感や罪悪感で暗くなっていた心が軽くなる。それがなんだか照れくさく、緩みそうになる口角を大きく息を吸って抑え込んだ。
「でぇ、コリャボはどうしゅんの?」
ソファーの上で体育座りをしているあさがおが僕を見上げて問いかけてくる。見るからに柔らかそうな頬は膝小僧に押しつぶされていて、そのせいで彼女の声はずいぶんとまぬけなものになっていた。
視界端のテレビでSNSで話題になった動物のおもしろ映像が紹介されている。動物をかわいく演出する気が抜けそうなBGMが、唇をひしゃげているあさがおの姿と妙にマッチしていた。
「まだやるかどうかは決まってないけど、とりあえず一回打ち合わせをすることになった」
「へぇー、いつ?」
「次の土曜日」
あさがおはばちりと大きな瞬きを落とすと、そのまま石化したように固まった。長い睫毛に縁取られた真っ黒な瞳が、斜め上へと向けられる。
なんだ、思ったより反応が薄いな。あんまり興味ないのかな。込み上げる寂しさを舌の上で転がしていると、彼女の表情がパッと華やいだ。コンパクトに丸まっていた背中が「いいこと思いついた!」と叫ぶと同時にビクッと反り立つ。天を貫くほどの勢いに心臓が跳ね上がり、思わず声を上げた。
「うわっ、なに急に」
めいっぱいに見開かれたあさがおの瞳が、レーザーを照射するみたいな鋭さで一直線に僕を貫いている。真っ黒なガラス玉を思わせる大きな黒目の奥で、閃きの電球の光がパチパチとほとばしっていた。
あまりの迫力に気圧され、無意識に喉が上下する。彼女の目元はじわじわと弧を描き始め、そしてニンマリと怪しげな笑みを浮かび上がらせた。相変わらず感情はダダ漏れだ。なにか企んでいるんだろうなというのがひと目でわかる。危機を察知した本能の警告に、僕は瞬時に身構えた。
いいこと思いついた。それを皮切りにして出てくる案は大抵いいことではないと相場が決まっている。
「じゃあ私その日お兄ちゃんの部屋に行って、後ろでその打ち合わせ聞いてよっかなー」
「ダメです」
「お兄ちゃんの部屋ってイス二つあったっけ? まあ、なければ私の部屋から持っていけばいいか」
「いや、だからダメだって」
「なんでよ。いーじゃんか、別に」
「なんでよって言われても――。あー、ていうかその日俺の部屋に来ても意味ないよ」
「意味ないってなんで。打ち合わせするんでしょ?」
「うん、するにはするよ。でも打ち合わせはネット通話じゃなくて直接会ってすることになってるんだよね」
えっ? とあさがおは言葉を漏らす。その表情はまさに想定外といった様子だった。首がコトンと傾き、点になった目からは疑問符がぽろぽろとこぼれ落ちている。
「私あんまり詳しくないんだけど、そういうのって普通ネットの通話でするもんじゃないの? しかも織部あてなってVチューバーだよね。コラボするからって関係者でもない人と直接顔を合わせたりするの?」
あさがおは矢継ぎ早にまくしたてると、訝しげに細めた目で僕を見た。ぎゅっと距離を縮めた眉間には小さな線がいくつも刻まれている。
いま彼女の頭のなかでは想像と現実がぐるぐると渦巻いているに違いない。その姿に僕はつい吹き出しそうになってしまった。はてなを積み重ねていくあさがおの反応が、織部あてなからメッセージを受け取ったときの僕のそれとまったく同じだったからだ。
織部あてなのDMに一方的に質問を連投していた過去の自分が重なる。動揺する僕に織部あてながそうしてくれたように、僕もまたあさがおの混乱をほぐすように彼女の真意を説明した。
「俺もそれを言われたとき、あさがおと同じこと思ったよ。あ、ネット通話じゃないんだって。だけどコラボをやるならちゃんとしたものにしたいから、顔を合わせて話しておきたいんだってさ。それにリアルで会うのはVチューバー業界では普通のことらしいよ。配信歴は短くても大手の事務所に所属している人が言うんだから、そうなんだろうなと思って承諾した」
ひととおり説明するとあさがおは、そうなんだーと宙に向かってつぶやいた。生気を吸い取られたような覇気のない声が地面の上にべたりと落ちる。
彼女は膝を抱え、ゆらゆらと前後に揺れている。その動きは子供を乗せるゆりかごのようで、まるで自分自身をあやしているみたいに映った。
キッチンの奥から漂う夕ごはんの香りが一層濃くなってきたのを鼻の奥が察知する。そういえばまだリュックを肩にかけたままだった。ごはんの前に部屋に置いておこうとリビングの入口に目を向ける。
ドアに向かって一歩前に踏み出したそのときだった。
「そうだっ!」
「うわっ!」
あさがおが静かになったことから会話が終わったものだと思っていたが、そうじゃなかったらしい。唐突に背筋を伸ばすびっくり箱さながらの動きに、またしても僕は驚かされるはめになった。
あさがおの視界は完全に僕を捉えていて、ここから逃がそうとしない。好奇心旺盛な子供を思わせる無垢な瞳。そのなかに散らばる光の粒に、ついさっきの警告と同じものを察知した僕は、今度は彼女が言い出す前に先手を打った。
「いや、ダメだよ?」
「まだなにも言ってないじゃん」
「どうせあれでしょ? 『私もその打ち合わせについて行く!』とかそんなとこでしょ」
「へっ?」
僕を見つめていたはずの黒目があらぬ方向へと飛んでいった。口角を吊り上げて、彼女は苦笑いを浮かべている。そこには「なんでわかったの」とごまかしきれていない本心があふれ出ていた。
「織部あてながどんな人だったとかどんな会話をしたとか、あさがおにはちゃんと報告するから。お留守番お願い」
そう言ってなだめると、華奢な背中が再び萎れるように丸くなっていく。縮こまった身体からは、買い物に連れて行ってもらえなかった子供のような哀愁が漂っていた。
「しょーがないにゃいにゃー」
膝小僧で頬をぺしゃんこにつぶしながら、あさがおはおちょぼ口を器用に動かして了承を告げる。その惚けた響きに、織部あてなと会うことに臆病になっていた不安心がほぐれていくのを感じた。
コラボをする僕のためだけじゃなく、あさがおへのネタ提供のため。
そう解釈すれば、織部あてなとの打ち合わせも楽しみになってきた。




