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始まりの天啓

 人間生きていれば誰しも、タイムスリップして過去の自分に助言したいと思ったことが一度はあるだろう。「あれをしてはいけない」とか、逆に「あれをしておくべきだ」とか。

 

 もし僕が過去の自分に助言できるとしたら、


 学ランをリビングに投げておくな。

 冷蔵庫のプリンはまず誰のものか確認しろ。

 近所の人との関わりを蔑ろにするな。せめて顔と名前は覚えておけ。

 あさがおの部屋に入るときはちゃんとノックをしろ。

 そして、母親とあさがおが買ってきてくれた黒のズボンは、スキニーという種類のズボンだ。サイズが合ってないと思うだろうが、元々そういうものである。


 ということを忠告してあげたい。さもなくば痛い目にあうぞと。


 そんなことをスマホに映し出された一つのメッセージを見ながら考えていた。

 ディーテのアカウントに送られてきた文章からは、送り主のニヤニヤとした嫌な笑い声がいまにも聞こえてきそうだった。



『すごい! ディーテくんが言ったとおり、いつの間にかお兄ちゃんが制服を片付けてくれるようになってました。ディーテくんに相談してよかったです。ホント頼りになりますね!』



 凸待ち配信から数日が経って送られてきたメッセージ。送信主の欄に表記されている『ゴッドアフロ』という文字に、ベッドの上の僕は苦々しい表情を浮かべていた。


 そういうことじゃない。


 確かにあの凸待ちは「頼りない」と言ったあさがおに、「やっぱ頼りになる」と思わせるために奮起していたものだった。そしていまこうして当初の目的を果たせている。

 しかし、決してこういうことではない。微塵も達成感を感じない。思っていたのと違う。


 ため息を一つこぼす。スマホを掲げていた腕から力が抜け、意思をなくしたように横へと倒れていった。ベッドのスプリングが、落ちてきた腕の衝撃を優しく跳ね返す。

 ディーテとゴッドアフロが兄妹だと知っている人間が、あの凸待ちにいなくて本当によかったと思う。もしその秘密を知った上で誰かにあれを見られていたらと思うと恐ろしい。嫌な想像が脳裏をかすめ、その冷たさにギュッと肩を縮めた。


「あれ。DMが来てる」


 あてもなくSNSを眺めていたら、一件の通知が来ていたことに気がついた。画面に映る「1」という数字が未読であることを示している。DMが来ることはめずらしいことではないため、驚きはしなかった。


「なんだろ」


 リスナーからだろうか。友達からのLINEを確認するような気軽さで、そっと親指を「1」の上に乗せた。


  ◇


「やばいよあさがお! ちょっとこれ見て!」


「ノック!」


 ベッドから飛び起き、その勢いのまま短い廊下を走ってあさがおの部屋に向かう。思い切りドアをスライドさせた瞬間、嫌悪に満ちた怒号が僕を目掛けて襲いかかってきた。

 机に向いていたイスをぐるんとこちらに向け、あさがおは僕を睨みつける。色白の小さな顔には皺が集まり、唇からのぞく尖った歯がギラリと光った。

 鬼の形相の妹にまずいと思った僕は、すでに入っていた右足を部屋の外に戻し、廊下の壁を『コンコン』と二回叩いてみた。


「もう遅いよ!」


 単調な音に、あさがおは即座にツッコミを入れた。

 いや、ただ怒っただけかもしれない。


「そんなことより、あさがおこれ見てよ!」


 やるべきことは済んだと端に置いていた興奮を再び身体に取り込み、あさがおのほうへ近づいた。目の前にスマホを差し出すと、彼女は怪訝そうな目つきで僕を見た。

 そんなことじゃないよ。そう呆れ気味につぶやいていたものの、彼女の手は引き寄せられるように僕のスマホへと伸びてきた。


 あさがおの両手のなかに僕のスマホがすっぽりと収まっている。わずかに俯いた目元に、ゆるりと垂れた前髪が影をつくっていた。彼女の視線が画面に張り付いたまま動かない。

 絶対に驚いてくれる。そう確信しているからこそ、逸る気持ちを抑えて彼女の反応をじっと待った。


 彼女がそれを理解するまでに時間はかからなかった。

 怒りで寄っていた皺が静かに消えていき、ただでさえ大きな瞳がさらに大きくなっていく。柔らかな睫毛がゆっくりと持ち上げられていき、彼女はまっすぐに僕を見つめた。影が消え去った視線に熱が帯びていく。


「えっこれ、ほんとに?」


「うん、ほんとに。俺も最初誰かのいたずらかと思ってその人のアカウント確認してみたんだけど、フォロワー数から見て本物だと思う」


 あさがおはすぐさま画面に視線を戻し僕と同じように確認する。忙しなく動いていた親指がピタリと止まったかと思うと、ほんとだ……と消え入るような声でつぶやいた。半端に開いた口の隙間からは驚愕がこぼれ落ちている。


「え、でもなんで?」


「いや、俺にもわからないんだよね」


 疑問に満ちたあさがおの眼光に、僕は首を横に振って答えた。困惑で窮屈になっている喉に空気を送り込み、静かに言葉を吐き出した。



「急に『コラボしませんか?』だなんて」


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