公開処刑
「うっ……」
想像以上の直球に、低い悲鳴がぼとりと落ちた。なにかを受けたわけでもないのに急にみぞおちの辺りに痛みが走り両手で押さえる。
大丈夫だ。誰も僕が言われてるなんて知らない。堂々としていれば問題ない。そう自分に言い聞かせるも、身体中から噴き出している嫌な汗は一向に止まってくれそうになかった。
【ゴッドアフロさんお兄ちゃんいるんだ】
【うわー、うちの兄貴もそうだわー】
【一人っ子だからなんか羨ましい】
流れるコメントは微笑ましさを感じるほどに平和だった。誰も僕が窮地に立たされていることを知らない。ふいに目に入った【お兄ちゃん、って響きいいなぁー】というコメント。あまりの呑気さに八つ当たりしそうになったが、そこはグッと堪えた。
「それは、まあ、大変ですね」
「そうなんですよー、わかってくれます? 今日なんてまたリビングに制服脱ぎっぱなしだったんですよ。もう何回も言ってるのに全然話聞いてくれないんです」
ハッと息を呑んだ。急いで壁のほうへと視線を向ける。まさか、さすがにそんなわけないだろう。そう切に願うも、数時間前の自分はその願いをあっさりと裏切った。壁に掛けられたハンガーの骨格越しによく見える壁紙の白に、しまった……と頭を抱える。
「それはー、タイミングが悪かっただけなんじゃないかな。もしかしたらあとで片付けようと思っていたのかも?」
「そうですかねー。あと、人が大切にしていたプリンを勝手に食べたりするんですよ。信じられます?」
「へ、へぇー……」
次々と暴露されていく兄の悪行に、コメント欄はまさに非難轟々だった。誰も本人が見ているなんて微塵も思っていないのだろう。
【うっわ、それはサイテー】
【プリン食べるのはさすがに犯罪だわ】
陰口というのは本人が聞いていないからこそその言葉は本心からのものだ。だから基本的に容赦がない。
しかしそれが本人の耳に届いてしまえば、ただの凶器へと変わってしまう。純粋な言葉だからこそ、その分受けるダメージは大きい。リスナーは誰もいない影に向かって鋭利な言葉を投げているつもりなのだろうが、そのすべてが見事命中している。
言われている当の本人は、額を拭った手の甲があまりにも濡れていたことにびっくりしていた。凸をとってからなぜだかずっと心臓が痛い。運動したわけじゃないのに呼吸が細かく繰り返され、必死に酸素を取り込んでいる。
大丈夫。落ち着け。リスナーはなにも知らない。何度目かの自己暗示をもう一度繰り返す。
「い、一応人様の家族の話だから、リスナーたちも批判はほどほどに、ね?」
「あとこの前二人で映画を見に行ったときも、そこで会った近所の人にずっとオドオドしてたし」
「うーん、人見知りなのかなー?」
「それにしてもですよー。普段部屋に引きこもってばかりだから、近所の人の顔すら覚えてなかったし。あとそれにですねー……うぐっ」
楽しげに紡がれていた言葉が突然、ほんの小さなうなり声を最後にピタリと止まってしまった。
ふいに訪れた沈黙に辺りを見渡すと、その原因はパソコンの画面のなかにあった。コメント欄にあふれていた兄への批判はいつの間にか綺麗になくなっている。
代わりに流れているのは、ゴッドアフロ、つまりあさがおについてのコメントだった。
【あれ? 二人で映画行くとか実は仲良しなんじゃ?】
【兄妹二人で外出とか普通する? したことないんだけど】
【もしかしてゴッドアフロさんってブラコン?】
あさがおが何気なく言った「二人で映画を見に行った」という言葉。僕にとってはなんてことない事実でしかなかったが、リスナーにとってはそうじゃなかったらしい。
ヘッドホンの向こうからは「な、な……」となにか言葉が生まれる前のような変な声がずっと聞こえている。おそらく彼女は意図してないカウンターを受けた衝撃で、うまく言葉を発することができないのだ。コメントに怯み、紅潮した頬を押さえている姿が目に浮かぶ。
「な、仲良くなんてないもん!」
音量の調整が効いていない声が耳元に飛び込んできた。本人は恥ずかしさをごまかしているつもりなのかもしれないが、震えた声音が彼女の本心をはっきりと表している。完全に逆効果だ。妹が表情だけじゃなく声でも感情を隠すことができないということをここで初めて知る。
当然コメント欄にもそれは伝わり、再び嬉々としてあさがおを茶化し始めた。そして冷静さを失ったあさがおがそのコメントたちに真っ向から対抗する。その光景になんだか嫌な予感がよぎった。込み上げてくる不穏と呼ぶには曖昧すぎる感情に、ソワソワと胸騒ぎがする。
【あ、焦ってる】
【図星だったかー】
【か わ い い】
「仲良くないって! だ、だってお兄ちゃんサイテーなんだよ。部屋にノックしないで入ってきたときあったし」
【嫌よ嫌よも好きのうちって言葉があってー】
【あー、ツンデレか。完全に理解した】
【部屋行き来するほど仲いいのか】
「だから違うって! あっ、あと、お兄ちゃんファッションにめっちゃ疎くて、私があげたスキニーパンツをサイズが小さいから履けないとか言ってきたんだよ。スキニーなんだから細いの当たり前じゃん!」
【プレゼントするとかめっちゃいい妹】
【話せば話すほどボロが出てくるね】
【妹っていいなー】
「もーなんでそういうふうになるの! お兄ちゃんいままで彼女どころか女友達も一人もいなくて、もうぜんっぜんモテな――」
「もうよくないか!」




