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オフ会の終着点

「お兄ちゃんはさ、私がその……、ゴッドアフロだったこと、どう思ったの」


 豆電球の微かな光でも、あさがおの黒髪はつややかに光を跳ね返していた。か細く落ちた声が、夜のひんやりとした空気のなかに静かに溶けていく。


「うーん、そうねー」


 あさがおの声はわずかに震えていた。僕がそうだったようにあさがおもきっと怖いんだ。人の本心に触れることが。

 あの日、相手に衝撃の真実を突きつけてしまったのは僕だけじゃなくあさがおも一緒だった。彼女なりに責任を感じているのかもしれない。真剣に答えなければと、これまでのことを思い出してみる。

 しかし、悩む必要なんてないほどあっさりと答えは見つかった。大きく息を吸うと、僕の言葉への注目が一層濃くなった気配がした。


「俺は、ゴッドアフロさんの正体があさがおでよかったと思ったよ」


 言い切ると、すっと息がしやすくなった気がした。喉と肺を繋ぐ管に、爽やかな風が通り抜けていく。

 自覚していなかっただけでおそらくずっと前からこの答えはあったんだと思う。いくら振り返ろうと、答えが確信に近づいただけだった。

 あさがおからはなんの反応もない。けれど、ちゃんと聞いてくれていることは、なんとなく感じ取れた。布団から出した右手を上に伸ばし、おもむろに宙を掴んでみる。手のひらに収まったのは、ほのかな高揚だった。


「最初は死ぬほど驚いたよ。だってまさか妹がリスナーだなんて思うわけないもん。たぶんあの日の衝撃は一生忘れないと思う」


 目を閉じれば、あの日のハチ公前での映像がたったいまの出来事のような鮮明さで脳内に再生される。唖然とする僕に、泣き崩れるあさがお。小さくなっていく背中は痛々しく、残された僕に突き刺さってきた無数の視線は、思い出すだけで身体がすくむ。

 ベッドの下のあさがおはギュッと布団を持ち上げ、さらに深く顔をうずめた。


「でも、冷静になっていくにつれてよかったって思えたよ。嬉しかったし、安心したって感じかな。ほら、俺っていままでずっと一人で配信してきたでしょ? それが心細いなと思うことが割とあったんだよ。人に話せることでもないしね。だからあさがおがゴッドアフロさんってわかったとき、なんかすごくほっとした。こんなにも身近にディーテを支えてくれてた人がいたんだなって。それとリアルで配信の話ができる人がようやく見つかって嬉しかった」


 よくも悪くもあれほど感情が大きく揺さぶられる経験は、今後二度とないだろう。

 だったらこんな創作みたいな偶然は、苦い思い出として消し去るのではなく、人生を彩る思い出として大切にしたい。

 いつの間にか顔の表面に、うっすらと熱が集まっている。赤裸々に話していた自分が、いまになって恥ずかしくなってきた。嬉しさと照れが入り混じった感情がぽかぽかと脳を曖昧にして、恥を感じる前に言葉が出ていたのだ。

 思わず頬を手のひらで挟み込む。この暗さでは顔の色なんて見えるわけないのに。


「まあ、あさがおにはガッカリさせちゃったけどね」


「それはもういいよ……。でも、そういうお兄ちゃんだってオフ会で可愛い子とお近づきになれるかもと期待して、それで来たのが私でガッカリしたんじゃないの?」


「あさがおまでそんなこと言うのやめてよ。断じてないよそんなこと。別に下心があってオフ会開いたんじゃないからね。リスナーとの親睦を深めるためのとってもとっても清くてクリーンなオフ会だから」


「でも、コメントでそうだーって言ってるリスナーさんがいたよ」


「お願いだから変なリスナーの言うこと真に受けないで」


「女の子二人来るって喜んでたし」


「それは、冗談だよ。コメントが盛り上がると思って」


「それに、お持ち帰りして次の日の配信休むとか……」


「……ねえ、あさがおさん? もしかしてからかってる?」


「お兄ちゃんうるさい。私もう寝たいんだけど」


「あー、そっかー。――じゃあ豆電消そっ」


「ねえ!」


 ガバっと布団から顔を出したあさがおが、強い口調で僕を制す。睨みを利かした目元は変な形にゆがんでいて、笑みを覆い隠しきれていない。

 視界が制限された薄暗い空間に漂う緊張感のない会話が、心地よく耳をくすぐる。胸の奥から込み上げてきた純粋な楽しいという感情が、ははっと喉を震わせた。

 こんなやり取りを以前もどこかであさがおとやっていたような気がする。それが配信のコメントでのやり取りだと気づくのには時間がかからなかった。そう理解してしまった瞬間、これまでの配信の思い出がとめどなく湧き上がってきた。

 あさがおはあの投げ銭を送ってから一回も配信に顔を出していない。

 想いは瞬時に言葉となり、衝動のままに口を開いた。


「ねえ、あさがお。また配信に遊びに来てよ。というか来い」


「なんで命令形なの」


「あさがおさ、この前投げ銭送ってきたじゃん。あのときお詫びって言ってたけど、本当は違うよね。あれは手切れ金みたいな、今後はこの配信とは縁を切りますっていう意味の投げ銭だよね」


 図星だったのか、あさがおは動揺したように押し黙った。

 目が覚めてしまった僕は上半身を起こすと、ベッドの上からあさがおに視線を向けた。普段はきっちりと整えられているショートカットも、枕の上では無防備に広がっている。


 息を潜め彼女の返答を待つ。丸みを帯びた静寂が、僕らのあいだを緩やかに泳いでいる。


「まあ、そんな感じ、だね。あれは、感謝料みたいなものだよ。もう二度とあの配信に行くことはないと思ったけど、でもそれまでずっと楽しんでたのは事実だし、あの場所に愛着みたいのもあったから、いままでの感謝とお別れの意を込めてあの投げ銭を送った」


 お別れ。

 その単語だけがやけに耳に残り、寂しさとともに頭にこびりついた。淡々と説明する口調には明らかな意志があった。いまここで終わったら本当に『お別れ』になる気がした。


「じゃあ、配信者権限であの投げ銭は無効とします」


「そんな権限ないでしょ」


「いや、いま決めた。だから、あの投げ銭代はちゃんと返すよ」


「いいよ、別に。一度あげたものだし。ていうか、投げ銭って手数料みたいの引かれるんじゃないの。私が送った分全部お兄ちゃんに入るわけじゃないでしょ。返すとしたらお兄ちゃんその分損することになるけどいいの?」


「それはまあ、感謝料ということで」


「感謝って誰に」


「うーん、配信サイトとか? いつも配信させてくれてありがとうございますって」


「なにそれ。意味分かんない」


 布団に顔をうずめたあさがおからふふっと愉快そうな吐息が聞こえた。行きあたりばったりで話していたのがバレてしまったのかもしれない。こもった笑い声は柔らかな木漏れ日のようで、部屋の空気をぽかぽかと暖かくする。


「だからさ、あさがお。気が向いたらでいいからまた配信に遊びに来てよ。いろいろ思うことがあるかもしれないけどさ」


「……うん。行けたら行く」


 行けたら行く。それは断るときに使われる定番の言葉なのだが、不思議と拒否の色が含まれていないことがわかった。

 達成感と呼ぶには大げさすぎる感情が喜びとともに身体を巡り、口端からそっと力が抜ける。体温が上がったのか、布団に入りっぱなしの足がなんだかうずく。いますぐにでもドタバタと動き出したい気持ちだった。


「わかった。じゃあ、待ってる。おやすみ」


「うん。おやすみ」


 重力に身を任せて倒れると、頭の位置にあった枕が衝撃をすっぽりと包んでくれた。唇の下まで持ち上げた布団は、いつもより肌触りがいい気がする。うずめるように、顔をもぞもぞと動かす。胸の奥がなんだかくすぐったかった。

 早く明日にならないだろうか。すぐにでも配信をしたい。高揚した気持ちを味わっていると、次第にそれは睡魔へと姿を変えた。落ちてくる瞼に逆らうことなく目をつむる。



 映画の恐怖は知らぬ間に、綺麗さっぱりと過去のものになっていた。


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