~袖を連ねる夢同士~(3)
端を見れば舗装された建物の陰、喰うに困り寝るに至れずに路頭に迷った者が居る。雑に剥がされた羊皮紙の破片がある。陰に転がった有象無象を嗤うかの如く、紫色に変わる街景を、灯りは照らし続けている。
目に映るのは開拓の末に剥がれた、『人』の根っこ、醜態の連鎖。英雄神の名を借りておきながら、同じ序列でありながら。同じ領域に有りながら。人を人を救う事はないのだ。
「(けれど、それは仕方の無い事だ。隙を見せれば、餌としての立ち位置が自分に降り掛かるかもしれないのだから)」
誰が言ったか『明日は我が身』。災難は可能な限り自分で退けるしかない。蟲には無為に近寄らず、勇気と無謀を分けて考えるべし。無策による無駄死にこそ一番の愚行だ。
……だが、分かっていたとて。良くない事は考える間も無く襲い掛かってくるモノだった。
「っ!!」
身体にぶつかった。小さく、華奢な、僕と同じ位の背丈の身体。軽く肩を突き飛ばしたと思えば、すれ違ったヤツの片手には『戦利品』が握り締められていた。
僕の受け取った報酬が奪われていたのだ。
「おっと、それ以上動くなよ? 此処じゃこんな追い剥ぎなんて日常なんだ。大人しく、自分の運が悪かったと己を呪うんだな!」
ドスの聞いた…というよりは、何処か身の丈に合わない様にも思える快活な声。顔はローブで隠しているから性別がどちらなのかは分からない。
それでも、止めようとした僕に対して敵意を差し向けている事は、背中から抜かれた投斧が証明していた。
これ以上抵抗すれば刃で語る事になるが、何もかもが不揃いな事に『あぁ』と腑に落ちる感覚を覚えると、僕の口からは反射的にふてぶてしい程の溜め息が漏れ出てきた。
「…得意そうなのは構わないが…その平石しか入ってない袋で何を買うつもりなんだい?」
「え…?」
恐らく、素人だ。大方何かを生業とする者が喰うに困って、野盗の真似事をしているのだ。ヤツの敵意を斧が証明したように『彼女』が野盗でない事を、ローブ下の顔にめり込んだ僕の拳が証明していた。
避ける予備動作位はあっても良い筈だ。周囲に警戒する筈だ。そもそも野盗なら対話せず、その場から逃げ仰せれば良い筈だ
何より、持てば小石でない事は分かる筈なのに、彼女はわざわざ改めようと視線を逸らした。 対峙しているのに、躊躇も無く。盗賊として不自然ではない選択を、彼女はしなかった。
「…言っておくけど、悪いとは思ってるよ。けど、こういう事をしたならば『報い』は受けて貰わないと。
僕だって久しぶりに人を殴った。…痛いのはお互い様だよ」
…拳が痛い。じわじわと内側からズレたような痛みがする。
顔を抑える彼女からすれば割に合わないだろう。奪ったと思えば返り討ち、感情すらも満たされない。残るのは頬の鈍い痛みだけ。僕だって卑劣漢ではないから痛がってる彼女を見れば罪悪感の少しは沸く。それを上回る『仕方ない』があるだけだ。
地面に散らばった硬貨が三枚。全て拾い終わったならば、早々にそこから立ち去るが吉だろう。
「待って!!」
僕は、足を止める。
半歩だけ踵を戻し、呼び止めた彼女を見る。
「……私は、パーシィ・ナターシャ。
お願いです。私を助けてください…!」
文明の街の石畳、慟哭は喧しく吸い込まれていった。道理に反した手札は僕に突き出され、選択を待っていた。 野盗紛いの事をしでかしておきながら、丁寧な口調で僕に『都合良く救世主になれ』と手を差し伸べている事になる。
彼女、パーシィは険しく僕を見つめている。けれどもそれは野良犬の子どもが威嚇をしている…僕をしても『取るに足らない』と思わせる程度のモノだ。凄みも迫力も無い、僕と同い歳位のただの女の子だ。
「…『自分の運が悪かったと己を呪うんだな』、だっけか。 他人の日銭で助かろうとした時点で僕の答えは一つだよ。『残念』だったね」
「…っ」
再び踵を西へと向ける瞬間、一秒にも満たない合間。奈落の底に到達したパーシィの顔は僕の胸にやるせなさを残す。…けれどそれは、杞憂に終わりそうだった。
『運が悪いのはどっちだ』と入れ替わり立ち代わりの殺気もまた石畳を掠めて、溶けていく。
彼女の手には握られているのだ。僕の身体を『肉』に変えてしまえる鉄の塊が。
「……ダメ…行かないで…!お願いだから…お金盗ろうとしたのを怒ってるのなら謝るよ!
……此処で捕まったら私は…一生後悔する…!」
しかし不思議な事に。僕に向けて差し向けている筈のヒリついた空気とは裏腹にパーシィの声は弱々しく、まるで今にも…泣きそうだった。
「(…響かないなぁ)」