~湖での一幕~(1)
道中、恐らくは同業者であっただろう成れの果てを見た。 同種が肉を喰らい合う自然に出会した。 互いに泥濘に足を取られ、危うく蟲の餌となる危機に遭遇した。
それでもなお、待ち受けているのは『終わりが見えない』という現実だけだ。位置を把握しては書き記し、また歩いての連続だ。
行動に意味はある。意味がある事は製図家として十二分に理解しているつもりだ。 ━━だが、それでもこの行為には、業務には、僕達の中の何かを浪費させていた。
「━━━━━」
互いの口数は既に無い。ありとあらゆる、悉くが既に枯渇しているからだ。 ……最後の野営地を訪れたのは二日も前。補給した水分も既に無い。このままでは僕達もきっと、晴れて成れ果ての仲間入りといったところだろう。
「━━━━━!」
今の僕達の燃料は、言うなれば精神だ。過酷な旅路の中、
それを補給出来るタイミングがあるとすれば、余程の幸運と言えるだろう。 ━━今、僕達の目の前に。幸運は唐突に訪れたのだった。
「……湖だ。それも濁っていない…澄んだ水だ」
例えるならば周囲の泥濘は、すでに大地として『死んでいる』。草木の一切は在らず、僕達の生を否定する場所。 …この大地は『生きている』。瑞々しく茂る淡い若葉と、小さいながらも、奥行きの見えない群青の湖。命を肯定する場所。
渇ききった僕達の通りに現れたのは勇気の導きか、『奇跡』の気まぐれか。どちらにせよ、朧気な意識を吹っ切れさせるのには変わりがない。
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「━━━っっはぁー!! ユリィ、生き返るよ此所!」
麓まで降りる。周囲の空気の鮮度その物が変わる。濡れた鉄や泥といった雑じり気の無く、浮き彫りになる清水の匂い。冷涼な気温。 それらを感じる頃には、パーシィの白い足元は波打つ水辺の景色と同化していた。
「…この辺りは報告しておいた方が良いのかな。隠された場所って訳でも無さそうだし…。 でも、本当に不思議だ。明らかに沿線上なのに、誰も足を踏み入れた形跡がない」
一言で表すなら、『別世界』。或いは『秘境』。 あまりにも異なり過ぎている、範囲の解像度。此所だけ丸々別の世界を引っ張り出してきたと言われても、説得力を感じ取ってしまう程に『違って』いる。
世界を隔てる境界線がこの一帯にもあるように感じられるが、空は果てに到るまで変わらぬ天色に染まっている。地図を信じる限り、今僕達が居るのは湿地の真下側。湿地の境界線へと辿り着き、折り返しを過ぎた辺り。 呼んで字の如く前人未到なのか、それとも侵入してはならない禁足地なのか……。
「……って、ちょっとパーシィ!?」
隣であがる白い飛沫。まさかとは思い、彼女の方に首を向ける。
「あはは……ちょっと子どもっぽかったかな……?」
予想は的中。暑さが災いしてか、それとも好奇心やワクワクを抑えられなかったからか。彼女の身体は湖に半分沈んでいた。或足を滑らせたのかもしれないが、彼女の言い方を考えるとその線は考えられない。 濡れた髪をかき上げながら少しだけ恥じらって、それでも彼女は微笑んでいた。
「(まぁ……暑かったし……)…せめて斧は取りなよ。刃がダメになっちゃう」
「そ、そうだね!……ユリィもどう?暫く水なんて浴びれなかったし…湿地の暑さなら服も渇くと思う」
「うん……折角だし」
パーシィは背中の斧を、僕は鞄と羊皮紙を湖畔に置いて。二人して澄んだ群青へと身体を委ねる。 身体の芯まで染む冷たさに一瞬だけ身体は強張るが、すぐに融溶する。口に含めばその冷たさが内側から広がり、同時に汚染されていない事も確認出来る。
━━満たされていく。トゲ立っていた精神がなだらかに、調和していく。
「……もう、どれ位経ったかな」
「私もちょっと分かんないや…。朝と夜を繰り返してを、5回過ぎた辺りでもう数えるの止めちゃった」
「5回までは数えてたんだ」
「うん、なんかこう……分かるかな。感覚というか、『数えようかな』みたいな気分だったんだ」
「……少し、分かるかも」
天井の青空を見つめながらの会話は、不思議と続いていく。数えようとしたキッカケから始まり、道中に言えなかった亡骸への吐露や、僕の抱かない『死ぬかもしれない』という恐怖。他にも好きな食べ物なんかの話もした。
「…そろそろ上がろう。水筒の補充もしなきゃだし、服も渇かさなきゃ」
「そ、そうだね!」
日は天辺から西に傾いている。衣服を含めた全身を渇かす時間を考えれば今日の到達点は恐らく此所となるだろう。
飲み水に関しては申し分ない。それは既に確認が取れている。 食糧に関して。冒険者や遠征職は、準ずる資格や証明書を保有しない限り『流通している生物』を捕獲、補食する事が出来ない。だな、此所まで澄んだ水質ならば流通に乗っているモノ以外の食糧もきっとあるだろう。
湖畔まで降りた通り道を逆行し、一先ずは斜光に身体を晒して衣服を渇かす事にした。