~袖を連ねる夢同士~(1)
岩肌から垂れる雨の残りが、轍のような窪みに溜まった水面に、透き通った波紋を立てた。
その音がハッキリと聞こえた時、僕はすっかりと寝入ってしまっていた事に気が付いた。
「……また悪夢、か」
寝覚めの悪い夢はいつもの事。かつての同僚や友人、それに連なる人物が不幸に呑まれるのは、僕が冒険者となってからは常だった。そして決まって、積み重なった埃のようにちょっとした切っ掛けで、また夢の中で殺される。
昨日は濁流に呑まれて行方の分からなくなった無垢な画家の夢を見た。
その前は巨大な蟲に拐われた末に、捨てられたであろう潰れた女の槍使いの夢を見た。
更にその前は同じような森で滑落し、蟲に喰われた同業者の夢を見た。
でも、今の夢は違った。
誕生を祝福してくる存在に、何処か皮肉めいた物を感じながらも柔らかな安堵が胸に灯る。僕の脳内にある言葉では表現する事の出来ない、唾液のような気持ち悪さがあった。
決して優しくない世界の中、僕は死にたくて冒険者になったのに、僕に関わった『生きたかった者』から死んでいく。
今となっては背負う剣に込めた願いの為に、死にたいのを押し込めている始末。夢の中で聞こえてきた言葉は、寵愛であり呪いだった。誰かの骨と肉と血潮が溶けた大地の上、誰かの死の上で生かされてる僕に、優しくなんてしてほしくなかった。
「(…なんで…なんで僕なんですか。神様)」
冷酷無比な運命が僕を避けているのか。それとも僕が無意識に逆らっているのか。居る筈の無い上位の存在を睨み付けるが、返答なんて返ってくるワケがない。
けれども僕の誕生に『自由』の手札を切ったその存在が恨めしくなって、僕は数回の呼吸の間、薄惚けた空を見つめていた。
「(……日の光は見えない。でも明るいってことは…今は明け方か)」
夢の所為で、スカーフの下まで嫌な汗が染み付いている。これ以上冷静を欠く訳にはいかず、鞄に納められた自作の軟膏を取り出し、それを自身の衣服に染み込ませる。この軟膏のお陰で蟲や獣を刺激する臭いは抑えられる。
次に、昨日測量を終えた地図。数枚の羊皮紙に製図された地図には、僕の命を賭けた数日間が込められている。これが公的に正確無比であるか否かは遠征隊が確かめる事になっているが、何にしてもこれだけは無くしてはならない。
「━━ユリィ・オズウェル。シヴァル国公営ギルド所属の冒険者であり、製図家。12歳。男━━」
最後。背中の剣を鳴らすように、身体を小刻みに屈伸させて僕の名前や所属を呟く。この剣は鋼で出来ている、鋼は硬いから、留め具や鞘の装飾が擦れあって音が鳴る。甲高い音は、洞窟の向こうへと鳴り響く。
目を閉じ、三回程度復唱をしてやっと、自身の正気が揺らいでない事を自覚する事が出来た。
「記憶・思考、共に問題なし。軟膏の感触と臭いは気持ち悪い。コンパスは正常で、目指すのは此処に来る前に泊まった野営地。 ……大丈夫。僕は正気だ」
小さな溜め息で気持ちを切り替え、洞窟から少し、顔を出す。ちっぽけな僕の背丈等歯牙にも掛けず、土地に根差した『茎』は鬱蒼と聳え立っている。…こんな高い建物が街にあれば、さぞ測量も楽になることだろう。
一先ずの目的地はこの巨大植物の森を抜けた野営地。この数日間が無駄であるか否かを最初に確かめるのは他の誰でもない、自分だ。野営地の位置を記憶させたコンパスを片手に、僕は日の昇りつつある外に剣の音を鳴らす。
死にたい僕は、死ねずにいる。今日も明日も、死に損なうだろう。 ならばせめて、勝手気ままに受け継いだ『夢』だけは完遂しようと思う。
遥か彼方までの道行きの果て、この世界を完成させる。
そうすればきっと、どんな形で死んでも許される筈だから。