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Episode 2. 西園寺真澄という男



 西園寺真澄(さいおんじますみ)は考えていた。

 自宅の書斎にあるオフィスチェアの背に身体を深く預け、左手の書類に目を通しながら、これからここに連れて来られる一人の女性について思案していた。


 室内は薄暗い。

 既に日は昇っているが、ブラインドカーテンは閉め切られたままだ。かろうじてカーテン越しに淡い朝日が差し込んでくるが、文字を読むにしてはやや光量(こうりょう)が不足している。


 けれども真澄はそんな部屋の薄暗さなど気にも留めず、とっくに冷め切ってしまったコーヒーをときおり口に運びながら、桜子という女性についての情報を確認していた。


 デスクには丁度午前8時を示す置き時計と、数冊の書籍。それから万年筆が転がっている。

 置き時計はレムノスのウォールナット製で、温度計と湿度計付き。書籍は殆どがビジネス本か大口の取引相手の自伝など。万年筆はモンブランだ。

 ちなみに、真澄の飲んでいるコーヒーは8種類の豆がブレンドされた、味、香り共に一級のものである。


「月城桜子……か。――全く、あの古狸ふるだぬきの孫娘が本当に生きていたとはな」


 真澄は(ひと)()ちる。その言葉には皮肉が込められていた。

 けれど、決して桜子の存在を否定するようなものではない。


 ――真澄は一流を好む男だった。

 仕事は自他共に完璧を望み、私生活も潔癖と言っていいほど規則正しい。寝坊などまずあり得ないし、食生活にも気を遣う。勿論日々のトレーニングも欠かさない。

 それ以外にも衣類や家具、書物や人間関係に至るまで、とにかく完璧を好む男だった。


 それは彼自信の性格の為でもあったし、母親の教育の賜物だったのかもしれない。ともかく、彼はそういう考えであるから自分にも他人にもとにかく厳しかった。特に、身内と呼ばれる者に対しては。


 その性格が災いしてか、彼は未だに独り身である。

 今年で35になる彼だが、今の今まで浮いた話の一つもなかった。それこそ真澄の好むような一流で完璧な相手との見合い話はいくつもあったが、彼のあまりの潔癖ぶりに堪えられず、相手の方から逃げだしてしまうのである。


 だが、決して女性の扱いが下手というわけではなかった。彼は女性への紳士的な態度というものをよくわきまえていたし、他人を喜ばせる方法も熟知していた。


 それに彼とて人並みの性欲はある。人間関係には潔癖だが、その反動なのか夜の(いとな)みにおいてはやや旺盛と言えるほどであった。

 一晩限りの割り切った相手との行為ならば、彼は俄然やる気を出した。人を見る目はある彼であったから、それが原因でトラブルになったことは一度もない。それもあって、彼は周りから堅物の潔癖症、加えて大の女嫌いだと噂されている。


「……まぁ、見た目は悪くないか」

 真澄は部屋に自分一人きりであるのをいいことに、桜子の写真を見つめほくそ笑む。


 本来ならば、今頃は出社の為に家を空けている時間帯。だが今日はそうではない。

 ヘンリープールのジャケットも、ロレックスのデイトジャストも身に着けず――わざわざ(さかき)に用意させたユニクロの白いカットソーを着用している。パンツこそポールスミスだが、彼にしてみればユニクロ自体が初めてあるので、それだけでも如何(いか)に今日の真澄が普通でないかがわかるだろう。


 それに、そもそも彼がこの自宅に帰るのは週末のみ。会社から距離がある為、平日は別宅である都心のマンションに帰宅する。

 にもかかわらず、まだ水曜日の今日、真澄はここにいる。実に異例なことだ。それも、午前中に入っていた会議をわざわざ午後にずらしてまで。


 彼をよく知る者がこの真澄の行動を見れば、皆「あり得ない」と口をそろえて言うだろう。

 だが今日の真澄はそれすらも(いと)わない。つまり彼にとって、今日という日がそれほど特別な日だということだ。


「……暗いな」

 ふと、真澄が呟いた。


 彼は部屋のカーテンが開いていないことにようやく気が付いたというように、右手のマグカップをテーブルに置いて立ち上がる。

 左手には資料を持ったままで、中庭に面した全面開口部の窓のブラインドカーテンを半分ほど開け放った。瞬間、春の季節の暖かい朝日が差し込み、部屋を明るく照らしだす。


 窓ガラスを一枚隔てた向こうには、庭師によってよく手入れされた庭園がいつもどおりの様相で広がっていた。

 直線的な黒竹の御簾垣(みすがき)と整然と並べられた敷石のモノトーン構成の空間に、高木や芝生の瑞々(みずみず)しい緑がよく映える。シックでモダンな平屋造りのこの屋敷と、雰囲気がよくマッチしていた。


 真澄は庭園を数秒眺めた後再び資料に視線を落とし、桜子の出自と経歴、そして写真に目を通していく。とくに写真は、特に重要な情報であるわけでもないのに時間をかけて観察した。


 A4用紙に印刷された写真は全部で10枚ほど。

 桜子が小学生のときのものからごく最近のものまである。直近の写真は去年の社員旅行先、温泉旅館でのものだ。

 真澄はその写真の桜子の姿を、執拗と言えるほどにじっと見つめた。それはまるで、品定めでもするかのように。


 ――まず黒目が大きい。眉の形もよく、鼻筋もすっと通っている。歯並びもいいし、何より飾り気のない自然な笑顔が魅力的だ。

 ナチュラルウェーブの髪は後頭部の高い位置で無造作に纏められ、肩にかかっている。カラーリングも悪くない。この色はマットグレージュだろうか。

 肌は白く濃紺の浴衣によく映える。胸は色気に欠ける大きさだが、かと言って小さすぎるわけでもなく、品があるともいえるだろう。

 万人の目を引く美人ではないが、全体的にバランスの取れた顔立ちだ。


 そして何より最も大切なのは、その血筋。これだけはどうしたって代えがきかない。その点、桜子はパーフェクトだ。


「しかし――見れば見るほど母親似だな」

 真澄は記憶の奥に残る桜子の母親の姿を思い出し、満足げに口角をあげた。

 これならば、あのタヌキも納得せざるを得ないだろう。と、やや(よこしま)な考えを巡らせながら。


「君はもう、……俺のものだ」


 真澄は写真に写る桜子を見つめ――微笑む。その笑顔の意味は、果たして――。



 ――こうして、遂にそのときはやってきた。

 桜子を乗せた車が戻ったようだ。真澄は窓ガラスに映る自分の姿を横目でちらと確認し、うっかりいつも通りにセットしてしまっていた髪を無造作に崩してから、部屋を後にした。


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