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再会

 次から次へとユノ様目当ての人間が押し寄せてくる。

 大抵は興味本位で、露骨に敵意を向けてくる人は少ない。むしろ、「ハート卿って意外と素敵」とうっとりする夫人や、「どんな怪物かと思えばただの優男ではないか」と茶化す殿方が多い印象だった。

 それでも中には毛嫌いしてくる人もいて、その人についてはユノ様も多少むっとするものの、深追いすることはなかった。


 ユノ様の顔がだんだん色を失ってきたので、頃合いを見計って比較的人の少ない壁際に移動し、一時休憩をする。


「…何で皆同じような色違いの格好をするんだ?見分けがつかない。おかげで頭が痛い」

「流行り物がある時期だと、そうなりますね。どなたが誰かは私が分かりますから、大丈夫ですよ」


 手で目の上を覆っていたユノ様が、ちらりと私の方を向いた。


「…君は疲れた様子がないな」

「慣れましたから」

「慣れるものなのか、これは」


 信じられない、とでも言いたそうな口ぶりだった。


 実際、昔の幼い私が今の私を見たら、同じことを言うのではないだろうか。どうして辛いのにニコニコ笑っているのか、そんな余裕がどこにあるのかと。

 私は答える。余裕なんてない。ただ必要だったから、こうなっただけだ。

 死なないためには、追い出されないためには、いつでも笑顔で愛らしい子供になるしかなかったから。

 それくらいしか私には思いつかなかったし、できなかった。


「僕もいつかそうなるのか?」


 いつか。

 ユノ様が常時、誰に対しても笑顔で、裏では別の思惑を抱きつつも相手の望む返答をする、どこにでもいるような貴族になるのか。


「…どうでしょうか」

「何だその顔は」

「え?」


 笑顔を崩したつもりはないのだが、何故かユノ様は顔を背けて怒ったように、


「そんな嫌そうな顔をするな。僕だってそうなれるとは思っていない」


 嫌そうな顔。私が?

 考えてみると、確かに、嫌、なのかもしれない。

 ユノ様が、私みたいになってほしいとは思えない。

 私のように薄っぺらい笑顔を浮かべて相手に合わせるだけの軽薄な人間には、なってほしくない。

 でもそれは、


「いえ、これは、わがままです。ユノ様はユノ様ご自身がなさりたいように…」

「僕はな。これでも君の夫だ。君の望みは聞き入れる」


 余程突飛なことでなければな、と目を瞑って彼は付け加えた。


「君は僕にどうあってほしいんだ?」

「…今の、ままで」

「そうか。安心した」


 短く、ぶっきらぼうにも聞こえる答え。

 それでも何故か、心が休まった。




 気力を回復し、いよいよ国王陛下への挨拶に向かう。あの日、私の醜態は陛下もご覧になっていた。きっと心象は悪いだろう。

 無意識にユノ様の影に隠れていた自分に気づき、それではいけないと唇を軽く噛む。

 彼の隣に立って、謁見に臨む。


「お久しぶりです、陛下」

「おお、おぬし本当に来ておったのか。引きこもりのまま死ぬまで顔を見ることもないと思っておったが、まさか結婚して、こうしておめかしまでしてくるとは…」


 玉座に腰掛けている陛下は相好を崩し、かなり親しげにユノ様に話しかけている。重宝されているとは聞いていたが、予想以上に気に入られていたらしい。

 やがて陛下の柔和な顔がこちらを向いた。


「して、その結婚相手というのが」

「僕の妻のソフィアです」

「本日はお招きいただき…」

「あ、おぬし!あの時の娘ではないか!」


 びくり、と体が震える。何とか表情は維持する。ここにいるのは私だけではない。ユノ様に恥をかかせてはならない。


「そうか、おぬしが…あの時はすまぬことをしたの。せがれが迷惑をかけた」

「え、いえ、そんな」


 想像もしていなかった言葉を投げかけられて、混乱する。


 どういうことか。私を「息子を誑かした悪女め!」となじったり、「もう顔を見せずとも良いぞ」と冷たく告げたりされるものだと思っていた。

 なのに、陛下は、申し訳なさそうに「せがれが迷惑をかけた」と仰った。

 せがれというのは王太子のことだろう。王太子が、私に迷惑をかけた?何故?


「では陛下。そろそろ」

「うむ。たまには孫の顔でも見せにこいよ」

「…そのうちに」


 ユノ様に腕を引かれ、陛下への挨拶もそこそこに、その場を後にする。未だに思考の整理が追いついていない。


「やあ、やはりソフィア嬢だったか!」


 それだから、その声を耳に入れた瞬間に、みっともなく立ちすくんでしまった。

 王太子が以前と全く変わらない爽やかな笑顔で、こちらに手を振っていた。




「久しいな。といってもそこまでではないか…いや、あっという間だった」


 王太子は婚約者である令嬢を連れ、私の方へと歩み寄ってくる。


「元気そうで何よりだ。君がハート卿の元に嫁入りしたと聞いた時は焦ったが、快適に暮らしているのならば幸いだ」

「…ありが、とうございます。殿下」


 言葉がつっかえる。王太子の後ろに控えている令嬢がこちらをじっと見つめているのを感じる。目を合わせて挨拶しなければならないと分かっているのに、怖くて顔が動かせない。おかしい、私はこんなに臆病だっただろうか。


 硬直する私にふっと王太子は微笑み、


「しかし、君には悪いことをした。弟のせいで、大衆の前で随分と酷いことをさせてしまったと、深く反省していたのだよ」

「え、ええ…その節は、本当に、申し訳ありませんでした」

「何を言う。悪いのはこちらだ。いやはや、せっかちな弟を持つと苦労するものだよ。弟がことを荒立てるのはいつものことだからもう諦めているが、君に迫った俺の側近の方には謹慎を命じたよ。すぐに気づけずすまなかったね、怖い思いをさせたんだろう」


 側近。確かに、関係を迫られた。どうにか誤魔化して逃げたが、あの時必死にならなかったらきっと、私はここにいない。

 でも、どうしてそれを今。


「何だか懐かしいな。あの時、俺と君の間には何もやましいことはないのに、関係を勘ぐった弟は君の姉と協力し、君を責め立てた。君には何の落ち度もないというのに。君と一緒にお茶会をしていただけで、何が堕落。何が浮気。俺を馬鹿にするのも大概にしてほしいね、あの愚弟は」


 王太子は何を言っているのだろうか。先ほどから、分からないことが多過ぎる。

 まるで「あれは不幸な事故だった」とでも言いたげな。


「何て顔をしているんだ、君は何も悪くないさ。まだ分からないかい?あれは茶番だ。野心家な弟がいつものように俺をはめようと画策して、君と君の姉を利用した。全く酷い茶番さ。何せ俺と君に後ろめたいことなど一つもない。あの場でそう即座に反論していれば、弟も引き下がっただろう」


 それでは、まるで。


「だが俺も、まさかあんな場で平伏する度胸のある女性がいるなんて予想もしていなくてね…」


 茶番のはずだった。

 第二王子も、王太子も、分かっていた。

 姉が妹を断罪し、王太子が反論する。それを受けた第二王子は大人しく退く。

 そんなシナリオだった。

 だが、妹は姉の糾弾を受け入れ、罪と認めた。

 姉の指示した通りに、謝罪した。

 茶番を真に受けた。

 私が拗らせた。

 私が、狂わせた。


「近づくな」


 底辺を這うような低い声が、耳元で、した。

 ハッとした時には、ユノ様が私の体を引き寄せていた。


「おや、嫌われてしまったかな。俺とて、かのハート卿と敵対する意はありませんよ。ソフィア嬢、気を悪くしたのなら謝ろう。すまなかったね」


 いつの間にか呼吸音すらも聞き取れるほどに距離を詰めていた王太子はパッと後退し、害意の全く見受けられない綺麗な顔で微笑んだ。


「では、邪魔者はそろそろ退散しよう。行こうか、レア」

「ええ」


 王太子と令嬢は私達の横をすり抜けて、優雅に歩き去っていく。

 通り過ぎる際、令嬢は素早く私に囁きかけた。


「あなたには可哀想なことをしたけれど、諦めてちょうだい。こういう人達だから」


 頭だけで振り返っても、彼女も、王太子も、何事もなかったかのような出で立ちで人々の渦に消えていった。

 何なんだあいつらは、とユノ様が今日一番腹立たしげな声を出したので、慌ててその憎々しげな顔を見上げ、


「ごめんなさい。私、取り乱してしまってろくに会話も…」

「会話なんてしなくていい。もう二度と関わる必要もない」


 吐き捨て、見下ろしてユノ様はようやく自分の体勢を思い出したのか、一瞬で私から身をずらした。呆気なく体温が離れていく。

 少しだけわびしい。そんな感情が浮かぶ自分が汚らわしくて、私は悟られまいと顔を背けた。

 すると視界に会場の端で楽器を準備している一団が入ってくる。


「そろそろ、ダンスの時間ですね」

「…そうか…」


 先ほどとはまた違った感じの嫌そうな声だった。


「あんなに練習しましたもの。平気ですよ」

「君はもう平気なのか?」

「…ええ」


 答えるのに少々時間を要してしまったが、私はしっかりと頷いた。

 今は心を乱している時ではない。ユノ様の導きに身を任せ、支え、あるいはカバーしなくてはならない。過去の失態に縛られている暇はないのだ。


 少し間を開けて、重厚的でゆったりとした、それでいて豪奢な音楽が流れてくる。

 私は微笑みを今一度形作り、細やかな躊躇いと共に差し出された彼の手を取ってフロアへ踊り出た。

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