〝最強の悪〟と呼ばれた転生者、神殺しのために封印を解かれる。
洞穴の闇の中に、コツ、コツ、と足音が響いた。
微睡みから覚めた幻一郎が目を開くと、自分が繋がれた牢屋を埋め尽くす封印の札が青白く光っているのが目に入る。
その光が届かない闇の奥から現れた、スーツ姿の鋭い目つきをした40代の男が、こちらを見て口を開く。
「春日幻一郎ーーーお前を封印から解放する」
「あァ?」
その男に対し、着物のすそを割ってあぐらを掻いた幻一郎は、ベェ、と舌を出した。
「いきなり来て、何言ってんだァ? お断りだ、バァカ」
「……お前な」
男がかすかに眉をしかめるのを見て、幻一郎はギヒヒ、と笑ってみせる。
ここは古代と現代、両方の技術の粋を集めた牢獄である。
中と外を遮っているのは、鉄の格子ではなく空気を通す穴が開いた現代的な分厚い強化セラミック。
封じられているのは、幻一郎自身である。
わざわざここまでの手間をかけて封印した自分を解放するという男を、小バカにした口調でさらに煽る。
「つーかよ、草薙。テメェがそもそも、危険だからってェ理由で人サマを閉じ込めてんだろうがァ。なら、物を頼む時は『お願いします』だろ」
そんな幻一郎に、草薙は軽くため息を吐いた。
「……お前は、何十年経っても中身までガキのままだな」
「おぉよ。なんせ俺を封じてるのは、時の流れもさえぎるほど強力な結界だからなァ?」
かつて、幻一郎は国の英雄だった。
現代に現れたヤマタノオロチと呼ばれる魔物の脅威から、目の前の草薙と共に人々を救ったのだ。
だが全てが終わった後、逆にその力を危険視されてこの場所に押し込められたのである。
それを主導した者の一人が、本来なら同い年であるはずの、目の前の旧友だった。
「そもそも俺にゃ、外に出る理由がねェんだよ。なァ、しとり」
言いながら幻一郎が横を向くと、同じ牢獄の中に一人の少女が座っていた。
髪から足先、身につけた着物まで全てが真っ白な彼女は、あまり表情の変わらない美貌に備わる瞳にだけ、美しい赤色を宿している。
ジャラリ、とこれも封印の札が大量に貼り付けられた手錠を鳴らしながら手招きすると、恋人はすり寄って来た。
それを抱きしめた幻一郎は、改めて草薙に意識を移す。
「俺は、こいつさえいりゃそれでいい」
しかし草薙が口を開くよりも先に、こちらを見上げたしとりが抗議するようにジッと見つめてきた。
「何だよ、ご不満かァ?」
こくり、と首を縦に振る恋人に、幻一郎は肩をすくめてみせる。
「……仕方ねーなァ。めちゃくちゃめんどくせェが」
ぐるりと首を回した幻一郎は、改めて草薙に言葉を投げた。
「何が起こったか、話だけは聞いてやるよ。出るか決めるのはその後だ」
「……敵が、本格的に動き始めた。この国の首都はすでに落とされかけている」
草薙が告げた言葉に、幻一郎は笑みを大きくする。
「へェ……もしかして【アマツガミ】の連中かァ?」
幻一郎のつぶやきに、草薙はうなずいた。
それはアマテラスと呼ばれる女神が率いる、強大な力を持った神の軍勢の名である。
遥か昔、人を支配していたとされる者たちだ。
「奴らはかつてのように、人を隷属させようと目論んでいる」
「いずれ来ると思っちゃいたが、こんなに早く来るたァな。テメェの姉貴も相変わらず短気だ」
古代の文献において。
天界を支配するアマテラスは、ツクヨミ、スサノオと呼ばれる二柱の神と合わせて、三貴紳と呼ばれる兄弟神である、と言われていた。
「しかし今後に及んで俺に頼るたァ、最強の武神スサノオの転生者様も、落ちぶれたもんだなァ」
幻一郎は、草薙の苦い顔を見て首を傾げる。
スサノオはかつて、姉であるアマテラスによって天界から追放された。
そして追放先である、葦原中国と呼ばれるこの地でヤマタノオロチを退治した。
その後生贄に捧げられるはずだったクシナダ姫と婚姻し、地上の支配者になったのだ。
だが、スサノオの子孫であるオオクニヌシという青年の代にアマツガミが現れ『国譲り』と呼ばれる侵攻で支配権は奪われた。
そうして時は流れ、現代。
代を重ねて輪廻転生したスサノオ……草薙がいる現代に、退治したはずのヤマタノオロチが復活し、彼はまたそれを退治した。
つまり人類はかつてと今と二度、彼に救われているのだ。
そうして、因果は巡る。
草薙は、生まれた自分の息子がオオクニヌシの魂を宿しているのを見て、アマツガミの再来を予言した。
それが現実になった、ということだ。
「内閣総理大臣になっても、力を失ってたら神にゃ勝てねーしなァ?」
皮肉を言いながら煽ると、草薙が本気の殺気を込めて睨みつけてくる。
しかし、幻一郎は全く気に止めずに言葉を重ねた。
「息子に力を譲ることまで、歴史を愚直に再現してやる必要がどこにあったんだァ?」
幻一郎の質問に、草薙は答えなかった。
だが、その表情から何か事情でもあったのだろう、と推測する。
そう、例えば病気や事故で死にかけていて、神の力を与えることで生き延びさせた、という可能性も、この本来情に厚い男ならあり得ることだった。
「……幻一郎。状況が理解出来たのなら、力を貸せ」
「言ったよなァ? 自力でどうにかしろってよ」
「出来るなら、とっくにやっている」
「ギヒヒ」
幻一郎は嗤い、次にしとりに問いかける。
ーーー自分を封印し、人柱としてその身を捧げた、もう一人の首謀者に。
「奴らとやり合うのはいいが、テメェは俺が解放されるのに反対しねーのかァ?」
尋ねると、幻一郎を封印する代償に声を失った彼女はこくりとうなずいた。
「……どうなっても知らねェぜ?」
「すでに猶予はない。奴らに対抗できるこちら側の兵の半数は、連中の〝神下ろし〟で体を乗っ取られた」
淡々と草薙が告げた言葉に、幻一郎は鼻を鳴らす。
「なるほどな。実体がねーから他人の身体に憑依しやがったわけだ」
「それも、かつてヤマタノオロチに対抗するために鍛え上げた者たちをな。お前がこのまま引きこもれば、人類は支配されるだろう」
「大昔の戦争再び……なかなかに困ったもんだよなァ。テメェと一緒にあのクソ蛇を退治した時から分かってたことだがよ」
そうつぶやいた幻一郎に、草薙は力を失っていない目でこちらを見据えながらうなずいた。
「だが奴らには誤算がある。お前という誤算がな。だから、力を貸せ」
「諦めるつもりは?」
「ない」
幻一郎ははっきり告げられたその返答に肩をすくめた。
この男がこうなったら、最期の瞬間まで決して諦めないことはよく知っている。
「我々が滅び、この場所が発見されればお前の望むしとりとの安寧はどちらにせよ失われる。違うか?」
「ギヒヒ。違いねェ」
幻一郎は、しとりを手放してゆらり、と立ち上がる。
自分もまた、神の魂と記憶を宿す者だ。
しかし【アマツガミ】の連中は、草薙の言う通り幻一郎がここにいることを知らない。
ーーー奴らにとって危険で凶暴な悪神、アマツミカボシの存在を。
「じゃ、行くかァ」
草薙が脇の壁を操作すると強化セラミックの壁が開き、幻一郎はしとりと共にしばらくぶりに外に出た。
「お前の新たな鎧も、すでに持ってきてある」
「準備がいいなァ」
そのまま三人で地上に出ると、幻一郎はひゅう、と口笛を吹く。
「コイツはなかなかヤベェ」
出口は、首都を見下ろせる高台の上にあった。
高層ビル群の立つ首都は半分がクレーターのように抉れている。
そして高台の上に、草薙が乗ってきたのだろうトラックが停まっていた。
「これの中身がそうか?」
「ああ。かつて俺が使っていた神器霊装を改良したものだ。……まだ完成はしていないが、お前の力の制御が行えるようにしてある」
「ありがてェ話だなァ。暴走したら何するかわかんねーからな」
悪神の強大な力は、ちょっとしたことで簡単にこちらの精神を呑み込んで暴走する。
幻一郎は、その不安定さゆえに封じられていたのだ。
草薙が遠隔操作でトラックの荷台を開けると、左胸に藤の花紋を刻んだ鬼面の鎧が現れた。
純白の、美しいそれを示して、草薙は口を開く。
「これが、封印霊装 《シトリガミ》だ」
「しとりと同じ名前か。いいなァ。……俺の幸せを邪魔する連中をぶっ潰すのに、相応しい名前の鎧だァ」
かつてアマツミカボシ……幻一郎は、天界最大の脅威だった。
自分を屈服させ、傘下に収めようとした数々の武勇を持つアマツガミを退け続け、まつろわぬ神、と呼ばれていたのだ。
そして最後の切り札として現れた、タケミカヅチ、シトリガミと呼ばれる二柱の神によって平定された、と言われている。
だが、その内実ーーーシトリガミに惚れた自分が、彼女と共に過ごすことを条件に大人しくなったことを知る者は少ない。
幻一郎は、再び首都に目を向ける。
するとちょうど、ゆらりと空が揺らいで奇妙なものが現れた。
大昔の船のような木造の帆船だ。
「ありゃ《天鳥船》かァ?」
「そうだ。……ギリギリのところで間に合ったな」
草薙が低く吐き捨てる間に、船から小さな影がいくつも飛び立ち始める。
翼の生えた、神々しい雰囲気を纏うそれらの敵が首都に降りて行くと、対抗するように銃火器の音が鳴り響き始めた。
「なァ、草薙よ」
「何だ」
幻一郎が紫の前髪を掻き上げながら呼び掛けると、敵の船を見上げたまま戦友が答える。
何を考えているのか、手に取るように分かった。
責任感が強い男が体の脇で握りしめた拳は、力を込めすぎて白く染まっていたからだ。
「宇宙にロケットを打ち上げ、海底に潜る技術を手に入れてなお、対抗できねェ連中は厄介だなァ」
ぽん、とその肩を叩いた幻一郎は、あえてニヤニヤと笑みを浮かべる。
「だがまァ、俺に任せとけや」
「……春日」
頼む、と。
自分の名前を呼んでからそう口にした草薙にうなずきかけた幻一郎は、全身から禍々しい闘気を立ち昇らせた。
すると、他の影より巨大な敵がこちらの気配に気づく。
空を滑るように迫ってくるそれを眺めつつ、幻一郎は手鎖をじゃらりと鳴らしながらしとりを抱き寄せた。
その間に、敵は重力を感じさせない動作でトラックの荷台に着地する。
しかしコンテナは神の重みでへしゃげ、金属が潰れる耳障りな衝撃音と共に《シトリガミ》がハンガーから外れて床にガシャッと転がった。
敵は、当然ながら神気を放っている。
人の二倍はある巨体を、陽光に艶めく真珠を敷き詰めたような鎧で包んでいた。
純白の仮面に、一対輝く瞳を備える戦士。
相手はその瞳でこちらを見下ろし、無条件に他者を威圧するような魂を揺さぶる声音を響き渡らせた。
『―――平伏せよ』
名のあるアマツガミが振るう〝天命〟と呼ばれる権能である。
呪と共に、穏やかだった神気が圧を伴って周りに吹き抜ける。
しかしその霊威を、幻一郎たちは涼しく受け流した。
「この程度の神気なら、こいつはさほど大物じゃねーなァ」
「ああ」
普通の人間ならばそれだけで平伏せざるを得ない霊威だが、幻一郎たちに影響はない。
それが不思議だったのか、不可解そうな声音で戦士が言う。
『このアメノホヒが天命に抗うとは……』
名前を聞いて、幻一郎は納得した。
「やっぱりなァ」
アメノホヒは、かつて葦原中国で行われた『国譲り』の時に一番槍として現れ、あっさり負けた本当の小物である。
するとホヒはこちらの気配を探ったのか、ますます困惑を深めた声を上げた。
『貴殿ら……この気配、どこかで……? 何者だ……?』
「思いつかんのなら、教えてやろう」
腰に片手を当てた草薙が、逆の手でネクタイを緩めた。
「俺は、スサノオの魂の魂を身に宿す者だ」
『何だと……!?』
驚くホヒを前に、幻一郎はしとりを固く抱きしめて耳元でささやく。
「なァしとり、見とけよ。俺が今から、テメェと草薙が望む平和の為に連中を殺し尽くしてやる」
すると愛しい恋人は、目を閉じてからかすかにうなずいた。
しとりは闘争が嫌いだが……。
それでも必要とあれば、敵を排することや自分を犠牲にすることにためらいを持たない胆力を持つ、最高の女なのだ。
そして彼女こそが、幻一郎の全て。
しとりが望むのならば。
「―――〝化身〟」
幻一郎の身体から先ほどとは比にならない瘴気が吹き出すと、手錠の封じ符が軋む。
藤色の髪がざわざわと伸びてうねり始め、めきめきと額に二本のツノが迫り出してきた。
『この瘴気……貴殿は、まさか……!?』
ホヒはようやくこちらの正体が分かったのか、手に握った剣を構えて低く唸る。
「ギヒヒ。気づくのが遅ェんだよ、このノロマがァ!」
幻一郎が煽った瞬間、敵の足もとに転がる霊装がこちらの気配に反応した。
しとりもまた、鎧の励起に合わせて白く清浄な神気を放ち始める。
彼女が手を伸ばすと、霊装が紙吹雪のようにほどけて風に舞った。
そのまま大きく広がってから、幻一郎の身体に張りつくように集まって全身を鎧っていく。
『一体何故、まつろわぬ悪神がここに……!?』
融合した霊装は瘴気に染まり、本来の白から漆のような黒へと色を変えた。
幻一郎はしとりと呼吸を合わせ、両手に手錠をはめたまま霊装の力を借りて身勝手に荒れ狂おうとする破壊衝動を制御し切ると……。
恋人を手放し、戦慄するホヒに向けて足を踏み出した。
「後悔させてやるよ、三流野郎……俺ァ〝化生〟天津甕星。願いは永劫、しとりと共に在ること」
幻一郎は鬼面の下でギヒヒ、と嗤い。
ゆっくりと、名乗りを上げる。
「名を、春日幻一郎―――狂い咲きの、恋の徒花さァ」