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サガ・黄昏の星  作者: 白夜
冒険者パーティー編
28/36

鱗山 前編

 

 風のない夜だった


 湿度の高い空気が肌に触れて、膜が張ったように体を包み込んだ

 水場の匂いが周囲にあふれている

 重く感じる水分に、暗闇に触れたような錯覚におちた


 街の通りからは、切り取られたように音が消えている

 レンガを吹き付ける風の音も、歩道の境界を知らせる虫の音も無く、静まり返った暗闇が、水の匂いをいっそう強く感じさせた

 水分を多分に含んだ空気を吸い込むたび、肺が結露したように重くなる


 天と地の温度差が、世界を霧で覆っていた

 道の一区画先が見えるか見えないかという視界の中、警官のもつランタンの灯りだけが、ゆらゆらと揺れている

 世闇にひときわ光る街灯も、厚い霧が明かりを遮り、ぼうっと薄く丸い光で辺りを照らしていた

 地面を這う霧のなか、遠くを歩く人影は雲海を歩くようにやがて離れて消えていく


 辻を通り過ぎた警官の陰から、染み出すように人影が現れた

滑るような足取りで、警官とは逆の大通りを歩いていく

 幽鬼のように揺らめくマントの裾が、立ち込める霧と同化しているようにも見えた

 色素の薄い深夜のコントラストの世界で、道の先、領主の館に向かう人影の瞳だけが紅く色づいていた








 ー霧の街ー


 ギズモと同じく鱗山からの温泉が湧き出る街グレム

 森に埋もれたような地形のこの街にはしかし、ギズモほどの温泉設備はなく、古い町風呂があるだけだった

 地熱と夜の温度差で毎日厚い霧が街を覆い、錆びついた街灯が照らす夜道にはギズモのような活気はない

 歓楽の少ない街に観光客の足は伸びず、発展はしなかったが堕落も起きなかった

 山の恵みで人々は生き、間伐材を利用してよそと取引する

 この街だけで完結する生活を送る人々は、質素だが穏やかな人生を送っていた

 その街に最近、怪人が出るという

 幽鬼のように霧の中を漂う怪人は、若く美しいものを男女問わずさらっていくという



「霧中の怪人か」

 ギズモの冒険者ギルド併設の食堂で、旨みの抜けた唐揚げを胃に放りながら、オペラの演目のような依頼書を眺めてアリは呟いた

 仕切りガラスを全て解放した食堂のテラスは風通しが良く、屋根が遮った陽射しが半分、足元に落ちている

「そんなのも冒険者の仕事なのか?」

 テラスの丸テーブルに座ったアリの右隣で、サビオが不思議そうに聞いていた

 テーブルの上には『本日のオススメ』の何かの肉の唐揚げとジンジャーエールが並び、二人の間には早く掃けたいとサビオが出した、賞味期限の怪しい調味料が転がっている

 隣の丸テーブルには書類を広げたケントがテラスの一角を占拠していて、迷惑そうな顔の年配のウェイトレスが、お代わりのコーヒーをサーブしていた

「町中の人さらいなら衛兵の仕事だとは思うが、綺麗どころの冒険者が欲しいんじゃないか? 囮として」

「エルフとか? 」

「エルフとか」

 アリとサビオが身内のエルフを思い浮かべたタイミングで、食堂のステージからリラの音が高らかと聴こえてきた

 突如として響き始めた嘆きの歌は、昼時の食堂には不似合いで、はっきり言って迷惑だ

「囮役の報酬には色をつけるか」

 アリの呟きに、リラの音量が少し下がる


「グレムかあ。あそこ湿気るんだよなあ。カビだらけでさあ」

「だが風呂は悪くない。硫黄臭くないしな」

「手紙がしなっしなになるんだよ。ギズモに届けると大抵イヤな顔される」

 メッセンジャーらしい感想をボヤいたサビオは、フォークで唐揚げを3つ串刺しにして調味料を山盛り振りかけ、やっつけるように齧り付いた

 アリは自分の魔法箱から粒入りマスタードソースの瓶を取り出し、二人の間に置いておく


「サビオ、ひとっ走り頼む」

「うぐ、あいよ」

 数枚の封書が隣のテーブルから伸びてきて、残りの唐揚げを口に詰め込んだサビオは挨拶も一言で風のように去っていった

 入れ替わりにやって来たウェイトレスの(昔)お姉さんが、ご注文は? と、ややドスの効いた声でケントに迫る

「あたしのオススメはフライマンタのヒレ肉だよ」

 メニュー表を開いたケントに、Aランクメニューを力強く指差してくる(昔)お姉さんに、Bランクのラムビーストの焼肉定食でお願いしますと小声で言って、ケントはメニュー表をそっと閉じた

「悪いな。書類仕事は手伝えん」

「分かってるよ。好きでやってるんだ、気にするな」

 指先でちょいちょい、と依頼書を寄越せと指示するケントに、アリが隣のテーブルへヒラリと飛ばす

 コップの底に一口残ったコーヒーを飲み干して、依頼書を確認したケントの眉間に少しのシワがよった

「魔族っぽいな」

 幽鬼のようなマントといえば、外法師と言われる人を辞めた人外の者たちが羽織るイメージだ

 ただ黒いマントなら黒と言うはずで、ただ者ではない何かを感じたという意味でそう書いたのだろう

 真っ黒な外套のフードを深く被り、底なしの穴を除いたような顔の見えない姿の似顔絵は、見る者の不安感を煽り立てる

「美しさを求める魔族といえば、バンパイアか?」

 アリが想像したのは、おとぎ話に出てくる鬼神ターグートと並ぶ悪魔の首魁の一つ、吸血鬼

 美しいものを良く好み、夜にしか現れず、ターグートほどには表舞台には現れないが、静かに侵食し街を滅ぼす悪魔として描かれる

「史実にはあるけど、あれって本当に存在するのか分からないんだよ。バンパイアハンターなんて名乗る奴らが調べたりしてるけど、流行り病が街を滅ぼしたっていう結果報告も上がってるし」

 数十年単位で、沸いては消える泡のように現れるその悪魔の足取りは不明で、人間とのロマンス物語はあるくせに、吸血鬼を滅ぼした歌などは存在しない

 はるか昔から噂には上るのに、魔族の軍勢などで徒党を組んで現れたことはないので、魔族とは違う存在なのではないかと言う学者もいる

「まあ、対峙してみれば分かるだろう」

 策とも言えない対策を練ったところで、ウェイトレスが肉を乗せた鉄板を運んできた

 米と豆スープ付きの山盛りの肉を前に、ケントは自前の醤油を取り出し、肉汁に馴染むように回し入れた

 隣から漂ってきたいい匂いに、湿気た唐揚げを摘むアリの手が止まる

「唐揚げの3倍の値段だぜ」

「……………………辞めておこう」

 隣からの視線を感じて忠告すると、たっぷりと間を置いてから溜息が吹いてきた

「うめぇ……サビオは何分で帰ってくると思う?」

 厚切りラム肉を一切れ頬張って、サビオが出ていった方向をフォークで示しながらケントが言う

「さすがに数分では無理だろう。半刻はかかるんじゃないか?」

 アリは自前の魔法箱からサルサソースを取り出し、唐揚げでたっぷり掬って、辛味が隣からの誘惑を断ち切ってくれる事を願って口に放った

「旨いなラムビースト。いや、醤油が神なのか…………侮れないぜ?サビオのやつ。カスみたいな能力値だけど、スタミナだけは高いからな。アリよりあるんじゃないか? 」

「能力値の覗き見は褒められたものじゃないが……戦士より高いスタミナのメッセンジャーか? いや、だからメッセンジャーに向いてるのか」

「面接の時に視たっきりだ。もしかしたら今じゃアリより高いかもな。 パシリのために生まれてきたようなやつだよ。あと5分くらいで帰ってくると俺は思うぜ。賭けてもいい」

 サルサソースのピリピリとした刺激が舌を焼いたが、鼻からくる醤油の香ばしさが口の中の旨みを高め、アリの欲求をさらに悪化させたようだった

 アリはケントが振ってきた話に大人しく乗る事に決めた

「8分。ラムビーストに醤油付き」

「醤油は別料金です」

「7分。 ニアピン30秒で醤油付き」

「4分30秒。俺はサビオを信じる」

「もっと気持ちよく奢ってくれてもいいんじゃないか?……6分……5分30秒」

「うまいものを食うのには、少しくらいの苦労があった方がよりうまいだろ」

 けけけ、と意地悪そうに笑ったケントの背後で、ぴいと鳥の鳴く声がする


「それ、オレが頑張ったんだから、オレが食っていいって話なんだよなあ? 」

 頑張る若者をダシにして賭けを始めた大人たちに、冷たい眼差しが降ってくる





「遅いな」

『本日のオススメ』のお代わりをサルサソースで食べ尽くしてからアリは周りを見回した

 揃ったメンバーはアリ、ケント、サビオ&ジル、ステージで演奏中のダニール

 正確な腹時計を持つはずのブリョウとジュールが集合に遅れている

「さすがにもう、暇つぶしの用事は無いぞ」

 そう言ったケントはキャベツだけの大盛りサラダに、塩とごま油と黒い何かを振りかけてバリバリといい音をさせて食べている

 焼肉定食に引き続き、おごりのポテトセットを食べているサビオはすでに市場と武器屋と道具屋にと、ひとっ走りした後の栄養補給だ

「奴等は火竜のもとへ旅立ったのである」

「は? 」

 お立ち台から下りてきたダニールが、チップを数えながらケントの丸テーブルに座った

「ジュールはプロポーズするのだと息巻いていたな。ブリョウは槍を取りに行くと言っていた」

「おおい! 2人だけで行ったのか⁈」

「知らんな。ここで見送っただけだ」

「止めろよ!」

 何故私が、と訝しむダニールの脛を蹴っ飛ばしてケントは残りの料理をかきこんだ

 サビオの肩に飛び移ったジルがピィと一声鳴き、アリは立て掛けていた大剣を背負って心身に発破をかけ、鱗山へ向かう道を走り出した





 金色の虹彩が、赤色の世界に妖しく輝いている

 縦長の瞳孔が焦点があったようにギュッと狭まり、目頭の皮膚が寄ってニヤリと笑ったようにも見えた

 赤い地肌に美しく生え揃った鱗は表情に合わせて七色に煌めき、ガラスのように透明に、ダイヤのように煌めいている

 暖かいのだろうか?

 冷たいのだろうか

 斬りつけるのではなく、そっと触れてみないと分からない

 その資格を、今はまだ持たない


 裂けた口から溢れ出た炎は呼吸に合わせて大きく小さく噴き出され、対面したジュールの鱗を炙った

 頭上から睥睨する眼差しは静かで、しかし圧倒的だ

 畳まれていた翼が拡がると、火竜の威光はさらに大きく強く感じた

 もしかしたら威圧などしていないのかもしれない

 ただ在るだけで他者を支配するのだろうか

 膝をつきそうになる衝動をジュールは堪えた

 種族柄、格上の同族には跪いてしまうのが竜族の本能だ

 だが、今日だけは膝をつくわけにはいかない


『覚えがあるぞ。我が仔を奪った盗っ人だな』


 火竜ゼリンは奥歯まで歯を剥き出しにしてジュールを威嚇した

 咆哮とはちがう、蛇のようなかすれた威嚇音に蛙のようにすくみそうになる

 腹にぐっと力を込めて、畏怖し、すくみ上がりそうになる体を動かした

 そろそろと剣の柄に触れ、握り込む

 覚悟を決めて勢いよく抜き放ったファルシオンの刀身が、ジュールのマナに反応し淡く光った


『今度は何を盗みに来た。二度は見逃さんぞ』


 許さないと言いつつも、カッと開いた顎は笑ったように揺れている

 楽しいのか?

 ジュールもニヤリと笑った

 闘いは竜の本性だ

 その血が間違いなく自分にも流れていると感じられる


「闘って、勝つ。あなたの心を盗みに来た」


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