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サガ・黄昏の星  作者: 白夜
冒険者パーティー編
25/36

閑話 ブリョウ

 

 温泉街の宿から宿へと続く道には、宿の間を埋めるように土産屋が並び、食堂や喫茶店から漂う匂いが観光客の財布の紐を緩めている

 旅先の食べ物には、何でも美味しく見える魔法でもかかっているのだろうか

 たいして減ってもいない腹がぐうと鳴って、また1人食堂に吸い込まれていった

 その食堂の脇にある、人一人通れる程度の2階へと続く細い階段には、一筆『アトリエ』と書いてある

 最近は赤子の泣く声が聴こえる事もあった


 イーゼルが並ぶアトリエの床板に、タライを置いて沸かした湯を流し込む

 手を入れ、湯の温度に体温が馴染んだところで妻が赤子を両手に乗せた

 軽い砂袋のようにもったりとした重さが乗り、しかし決して砂袋のように扱ってはいけない命の重さに、何かに追い込まれたような心地がした

 赤子と目があい、まるでコカトリスに睨まれた時のように体が固まる

 時が止まったブリョウなどおかまいなしで、赤子を洗っていく妻を頭の中で注意する


 少し乱暴ではないか

 そんなに強く握ったら壊れるだろう

 やめろ骨が折れる

 くにゃくにゃと動くな! 落ちる!


「もうちょっと手を沈めて。洗いづらいわ」


 沈める⁈


 混乱する父親と会話する事を諦めた母親が、容赦なくタライに湯を注いでいった

 赤子の背につく程度だった水深が深まり、ブリョウの混乱も深まっていく

 急に水かさが増した様子に目を丸くした赤子だったが、次の瞬間にはきゃっと楽しそうに声をあげ、小さな手足を忙しなく動かした

 心の中で叫びまくるブリョウをよそに、母と子は楽しそうに水遊びをしている



 父親の責務をこなして部屋を出て、商店街に向かった

 首が座らないうちは外に出したくないとブリョウが言うと、買い出しの書き付けを持たされて外に出された

 一階に降りると食堂は昼時で、そこそこの人だかりが出来ている

 書き付けには妻のお気に入りのバーガーショップの依頼も入っていた

 腹を空かせた妻と子のために、急いで目的地に足を向けると、市場に向かって歩くブリョウとすれ違う男女の冒険者に目がいった

 涼しい顔をして歩く女とは対照的に、男の方は何と戦ったのか、身体中包帯だらけの有様だ

 ブリョウの中の、くすぶっている闘志から一瞬、火の粉が飛んだ

 握りしめた拳からクシャリと音がして、また火が小さくなる


 戦う事以外脳がない男には野菜の鮮度の違いなど分からない

 ワゴンの上から適当に掴んでいって会計が済んだものから魔法箱に入れていった

 あとは昼食を持ち帰れば依頼は完了だ

「ブリョウか? 」

 呼ばれて振り向くと、馴染みの鍛冶屋の男がいた

「定期便の季節じゃないのか? 」

「子供が生まれた」

 は? と頭を傾げた鍛冶屋の男だったが、言葉の少ないブリョウをよく知るこの男は、すぐに言葉の意味を理解して祝福を贈った

 最近よく襲ってくる平手打ちが、今日もまた背に打ち込まれる

「良かったなあ! 親になってもいいとやっと精霊に認めてもらえたんだな! 」

 誰も聞いてもいないのに、夫妻の馴れ初めを語り出した男の顔を見ながら、そういえば、と一つ思い出したブリョウが、魔法箱からボコボコに歪んだ鋼の杖を取り出した

 鍛冶屋の男が悲鳴のような叫びをあげる

「お前! またかよ! 」

「もっと頑丈にしてくれ」

 鋼をやわだと言うのはブリョウぐらいだろう

 引きつった顔で、とねりこのようにグニャグニャになった杖を受け取った鍛冶屋の男が、諦めたように息を吐いた

「これ以上は俺には無理だ。師匠じゃないと」

「む……アシムは今おられるか」

「いや、また素材集めに旅立ったよ。まったく、もう少し大事に扱えよな」

 これはもうアートだな、などと聞き捨てならない事を言い、杖をしまい込んだ男の言葉にブリョウの眉尻がくいっと上がる

「飾りはいらん。武器をくれ」

「む……」



 鍛冶屋の男との一悶着のあと、バーガーショップに寄ってピクルス大盛りのシュリンプサンドを買い、帰路についた

 大通りから一本外れると、地元民が通うような看板のない店が多くなる

 観光客はあまり通らず、まばらな人通りはブリョウにとって居心地が良かった

 手元から漂ってくるバジルソースの匂いがブリョウの胃をぐいぐいとよじってきて、自然と歩くスピードが速くなる

 子供が生まれる前はピクルスを親の仇と言っていた妻だったが、今はピクルスが無いと生きていけないと言う

 時の流れが色々なものを変えていく

 ふと、道の向こうから10才そこそこの子供と、その両親らしい親子連れが歩いてくるのが目に入った

 その後ろから、冒険者らしい風体のものが急ぎ足で追い抜いていく

 ブリョウを避けて左右にすれ違っていった者たちの後ろ姿に、急かされたような戸惑いが心に残った



 灰茶に色あせた使い古しの揺りかごが、窓辺できいきいと揺れている

 誰がはじめたのだろうか、籠のふちには歴代の所有者の名前が彫られていて、ブリョウの子供の名も刻まれている

 夫婦が座るダイニングテーブルの隣で、無骨な手が小さく籠を揺らしていた

 テーブルに広げたサンドイッチの包みは大盛りのピクルスでパンパンで、かぶりつくのを諦めた妻は、皿に出してナイフとフォークで食べはじめた

 鍛冶屋のアシムがリフォームしてくれたアトリエは防音に優れていて、外の喧騒は遠い

 開けた天窓から微かに漏れる外の音がブリョウの世界を下界に留めていた

 天窓からそよぐ風が赤子を撫でていき、何が楽しいのか、赤子は窓に向かって笑いながら手をのばしている

 幸せだ

 幸せなはずだ

 だが、何かに追われるような感覚が、じわりと身の内から滲んでいる


「街で仕事を探す」

 天啓のように降りてきた言葉が口からこぼれた

 そうだ、それが正しい

 子供が生まれたなら側にいなければ

 武器にばかり金をかけるわけにはいかない

 それがきっと、正しい筈だ

 決意を込めて言葉にすると、ブリョウの中の焦燥感はぎゅっと小さく心の底に引っ込んだ

 聞いているのかいないのか、妻はうまそうにエビときゅうりをフォークで刺して食べている

 人の決意を無視された気がして、ブリョウの眉が苛立ちに寄せられた瞬間、妻と視線が合い、どきりと鳴った心と視線が下に落ちる

 上目に見た妻の顔はつまらなそうにブリョウを眺めていた

 何も悪い事をしていないのに、何かを責められたような気がして、言い訳がましい呻き声が喉からこぼれた


「……私ね、稼げるの」

 うう、と唸っているブリョウを放って妻は立ち上がり、雑多に立て掛けてあるキャンバスに向かった

「私の絵には精霊が宿る……とかなんとか展覧会で言われてね。ここら辺の絵はほとんど売れたし、神殿や王族からの依頼も入ってる」

 あなたよりお金持ちなのよね、と言った妻の言葉に、先ほどとは別の焦燥感がブリョウに襲いかかった

「だから、私があなたに求めてるのは経済力じゃないのよ」

 続く妻の言葉の意味を捉えられず、考えるのをやめた思考が黙って次の言葉を待った

 心の底に押し込んだ焦燥感が、ぼうっと熱を持って心に浮き上がっていく

「あなたがあなたらしくあって、それが私の好みにかなう限り、一緒に居たいと思うよ」


 切れ長な妻の目がブリョウを射抜いた

 ブリョウの中の、押さえつけていた何かが、息を吹き返したように熱を持った

「戦う姿がかっこいいって事よ! 」

 ほら! と言って妻が投げてきたのはブリョウの冒険者用の魔法袋だ

 その後も戦闘用の靴やら防具やら次々投げつけられる

「腐るくらいなら夕飯でも獲ってきてよ」

 楽しそうに追い立てる妻に対抗できず、再びアトリエから追い出され、階段ですごすごと皮鎧を装着していった

 旅装の服でないのが心もとないが、防具を身につけていくと共に、浮ついていた気持ちが落ち着いていくのを感じた

 少しの罪悪感が背にしたアトリエのドアに向かっている

 そばにも居ずに、役に立てることもなく、これが父親だと言えるだろうか

 父の事が頭を過ぎ、足元に落ちた自分の影がより暗くなった気がした

 沈みかけた思考に、風に乗って赤ん坊の泣き声が小さく聞こえ、頭を振って気持ちを切り替えた

 妻と子が待っている

 今、必要なのは感傷ではない

 ドラコラルヴァを狩る、この……


 ……

 しまった

 武器がない


 得物がなければ戦は難しい

 たとえねじ曲がっていても返すべきではなかったか

 むう、と一つ唸ったブリョウは、馴染みの工房に向かって歩き出した

 一番は槍が良いのだが

 やはり、槍ほど手に馴染む武器はない

 そろそろ取り返しに行かなければ


 歩き出した街並みの奥、鱗山にかかる雲の上

 何かの影が通り過ぎていった




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