うろこ山の宝 前編
トンビが鳴いている
空高く、大きく旋回して去っていった
空は晴れている
アリはちら、と上空を見て、また前方に視線を戻した
木々の合間に静かに身を潜め、周囲に配置している仲間にハンドサインを送る
上空に見える晴れ間とは対照的に、アリのいる場所は薄暗く、静かだ
魔術的な暗さだ
前日から山一つ、広範囲の闇魔法で覆っている
真っ暗闇にするのではなく、今日は見えづらいな、と思わせるように徐々に明度を下げている
またトンビが鳴いて、2度旋回して去っていった
アリは背負っていた大剣を抜いて、静かに戦意を高めていく
仲間たちの気配も、徐々に尖りはじめていくようだった
この山には、あまり動物は住んでいない
精々が昆虫などの小さな生き物だ
山のぬしが餌とするには小さすぎる生き物が、静かに生息している
進軍しやすいが、肩ならしが無いのは心配だ
いきなりボス戦である
3度目のトンビの訪れを見て、アリたちは動き出した
人族が鱗山と呼ぶ山の頂上で、ゼリンは落ち着きなく視線を彷徨わせた
ゼリンがこの山に住み着いてから千年ほどになる
当時のこの山は噴火したての新しい山で、誰の縄張りでもなかった
まだ成人したてのゼリンに持ち山は無く、近所の同胞達に主張するように咆哮をあげた
濃いマナをまとって噴き出したマグマで、たびたび火傷をしたのもいい思い出である
それから千年、マグマの動きも落ち着いて、季節が巡るごとに草木が茂り、静かな森が広がった
今日も鱗山は穏やかなのに、見慣れたはずの眼下の景色が今日はやけに気にさわる
昨日からそわそわして、じっとしていられないのだ
神経質になっている自覚はある
経験則で、今の時期はゼリンの気分は上がったり下がったりなのだ
憂さ晴らしに、一つ咆哮でもあげてやろうかと息を吸い込んだとき、正面に気配が生じた
強い意志を感じる気配は、次いで砥いだ爪のように鋭利に尖り、殺気を乗せてゼリンに向いた
青天に霹靂が鳴った
正確には咆哮だった
雷のような殺気に、心臓が竦んだが、なだめすかすように手に持ったカシの杖を握り直した
山頂付近にある、かつては山の精霊を祀っていたらしいひらけた場所に、隠蔽を解いた一行は山のぬしを挑発しだした
ケントは防御魔法イージスの盾を自分に掛ける
あらゆる攻撃から確率で無効化できる土行魔法盾だ
魔力を高める装備ばかりになってしまう、紙防御の魔法使いには魔法盾が基本だった
「ビルドアップ」
前衛の3人に身体強化の土魔法をかける
盾の確率を上げるため、戦闘中は土魔法を使って場の五行を土属性に寄せるのだ
アリの右後方に位置するケントは支援、回復、時たま攻撃と、臨機応変に対応する
土遁でマナを練りながら、近づいてくる敵のマナが、身の内に圧縮されるように渦巻いているのを感じた
あれが解放されたら、どれだけの暴力で蹂躙されるのか・・・
敵のブレスとケントの回復魔法が飛んできたのは同時だった
相殺しきれずに、魂が削れるようなダメージが入る
構えた弓の射線が下がりかけて、こらえた
接敵までまだ距離があるというのにこの威力である
前衛の3人は直撃を食らったようで、ケントの回復魔法が次々飛んでいく
ダニールは一つ息を吐いて、弓を構えるのをやめた
あの敵に矢が入る気がしない
翼の飛膜に入った所で、あの巨体だ
サボテンの針が刺さったぐらいにしか感じないのでは
目を狙えばいいとは思うが、うっかり目を潰して、やたらめったらブレスが飛んできたらそっちの方が厄介だ
精霊魔法でブレスの威力を逸らすことにしようそうしよう
あとは前衛に丸投げだ
アリの左後方に、ダニールは位置している
ケントとは反対側だ
3人の前衛のうち、真ん中のアリは、やや下がった位置についている
陣形ワールウィンド
それぞれが動きやすい陣形だ
上空から脅威が降りてくる
何百年生きたのだろうという、マナの重圧がその巨体から発せられた
赤い鱗は虹色に輝き、腕ほどの太さのカギ爪が、命を刈り取る死神の鎌を連想させた
口は大きく裂け、尖った牙が呼吸とともに現れては消える炎の息に炙られている
縦長の瞳孔はさらに引き絞られ、金色の虹彩が怪しく輝いた
火竜ゼリン、火のアニマ、試練の炎
大きく吸い込んだ息に、周囲のマナが渦を巻いて集まるのを感じ、ブリョウはブレスを警戒した
しかし襲いかかったのは炎ではなく、鋭いカギ爪だった
強靭な前脚から繰り出される5指の斬撃が、風魔法に乗って5人に襲いかかった
ダニールの精霊魔法らしいマナの本流が火竜の風魔法を抑えて勢いを削ぐ
片脚の、カギ爪の一本ですら重く鋭い、命を削りとる威力だった
ブリョウは構えた槍に武器強化の金行術ウェポンブレスをこめた
アリの右側から火竜を見据えて、次の斬撃に備える
火竜が上体を起こし、身じろぎした瞬間、ハンマーで打たれたような衝撃が走り、吹き飛ばされた
羽ばたきによる衝撃波が全身をしたたかに打ち据えて、一瞬、意識が途切れかけ、反応が遅れる
ケントの詠唱もキャンセルされたようで回復は来なかった
畳み掛けるようにブレスが襲い、魂を削った
数度の攻撃で、壊滅しかけている
斬撃を受けて血は流れ、先の衝撃波で体中が痛んでいる
体力が減り、もはや命を削って死ぬまでの足掻きのような状況で、ブリョウの闘気は挫けることなく高まっていた
かつてない程の高揚感だ
心臓の音、血の巡り、マナの巡りが指先まで感じ、地のマナが足裏から全身へ、鼓舞するように肉体を高めていった
しかし意識は静かにたたずんでいる
何かが来る、何かを、掴む
火竜が動いた
瞬間、意識に雷のようなひらめきが走った
振り下ろしてきたカギ爪を槍で受け、その勢いを遠心に乗せて、回転
腕を振り切った竜のカギ爪に上段から振り下ろした
槍技風車
火竜の鱗に初めて、小さなキズがついた
シミターでカギ爪をしのぎ切ったジュールは、目の前に降り立った火竜に感動していた
焦げ茶色のジュールの肌は、さざ波のように波打っている
鱗が光を反射してジュールの感激を表していた
人族よりに進化したジュールの一族は、竜種としては末端で、目の前に降臨した王者の風格に身を震わせた
また斬撃が襲ってくる
5本のうち2本がジュールを襲い、一つをスケールシールドで防ぎ、一つをシミターで逸らした
致死の威力だが、命中率は低いように感じる
格下を相手にする王者の甘さだ
王にとっては取るに足らない敵だ
敵ですらないかもしれない
軽く手を振れば、あちらに転がりこちらに転がる、玩具だろう
カギ爪攻撃の合間を突いて火竜の喉元に飛び込んだが、奈落の底のような火竜の大口が眼前に迫り、跳び退った
隙間なく生えた牙が、巨大なギロチンのように閉まる
回避しつつ、アゴ先をシミターで斬りつけたが、刃は通らなかった
ジュールとは比べ物にならない強度の鱗が、輝いている
故郷の長が、我らの鱗を竜鱗と呼ぶなどおこがましい、と言っていたのがよく分かる
本物の鱗は輝くのだ
七色に煌めき、地肌の深い色合いをオパールのように彩るのだ
あれこそが竜、至高の竜
ただ唯一として存在する火のマナの化身
あれの爪に引き裂かれても、武勲になりそうな、
・・・
左前方に見えるシミターを構えた後ろ姿が、いまいち戦意に欠けている気がしてアリは心の中で嘆息した
後方のエルフも察知したのか、ジュールを巻き込む勢いで火竜に精霊魔法を撃ちこんで、発破をかけている
かろうじてブリョウの攻撃が通り始めてはいるが厳しい戦いだ
左右からカギ爪が襲い、近づけば噛みつき攻撃を受け、翼で吹き飛ばされた後、ブレスで焼かれる
ジュールではないが、さすがエルダードラゴンの一角、火竜ゼリンだ
幾度となく挑んで来る冒険者をことごとく撃退して、冒険者ギルドに攻略不可能と言わしめただけはある
だが緒戦の劣勢を立て直す中で、動きがだんだんと読めてきた
今の所、衝撃波からのブレス攻撃の連携は必ずくるが、前行動がわかりやすく、頻度は多くない
「ウィークネス!」
火竜が体を起こした瞬間、ケントが弱体化魔法を叫んだ
直後の衝撃波には、こちらを吹き飛ばすほどの勢いはなかった
まろばし
転がり出るようにジュールが飛び出し、火竜の右脚に剣技を打ちんだ
逆脚をブリョウがなぎ払う
両脚の動きを遮られ、正面に見据えるアリに、火竜は裂けた口をさらに深くして笑うような咆哮をあげた
臓腑が縮み上がるような、強者の威圧だった
もったいぶるようにゆっくりと開かれた大口が、死者の門のような死の気配を漂わせてアリに襲いかかった
アリの家の、門外不出の身体強化術が術者の知覚を極限まで高める
全ての動きがスローになり、鱗の一枚一枚がきらめく様まで鮮やかに映した
迫り来るアギトの、上顎の牙を大剣で正確に受け、筋力とマナのありったけで噛みつきの威力を真下へ受け流した
火竜のギロチンが眼前皮膚一枚で振り下ろされる
燕返し
顎下からすくい上げるように、大剣で打ち上げる
火竜の牙が数本、打ち砕かれた
一瞬、心に喜びが浮かんで、泡のように消えた
アリの大剣などものともせずに、再びガパリと開いた大口が今度こそアリを覆い、火竜が笑った
「サイドワインダー」
火竜の喜びも一瞬だった
アリの肩口から、這うように飛び出したダニールの蛇の矢が、火竜の眼に噛み付いた