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鋏奇蘭舞  作者: 炎舞
1/5

雀の涙

「あんたの給料なんて、雀の涙程にもならないわ!」

 事あるごとにそう言われ続けた正樹は、とうとう精神を病んでしまった。頑張りを認めてくれず、「給料」という外面しか見てくれない妻に限界を感じ、家から離れ、身を隠してしまった。


 彼は酷くやつれていた。妻の鬼のような着信に怯え、携帯電話を破壊してしまう程であった。しかし、いくら妻から離れても、病んだ心が癒えることはなかった。寝ても覚めても、妻のあの言葉が頭に流れてしまうのである。


『あんたの給料なんて…』

「…あれ?」

 正樹はふと思った。

 ______雀の涙ってどんなものなんだろう。


 雀は涙を流すのだろうか。どんなときに流れるのだろうか。悲しいからだろうか。辛いからだろうか。苦しいからだろうか。どのくらい流れるのだろうか。正樹は疑問を膨らませた。


 疑問は興味に変わり、やがて、興味は願望に変わる。そのうち、彼はどうしても気になって仕方なくなったので、彼は頑張って一匹の雀を捕まえ、用意していた台に拘束した。正樹は実験のための用具をいくつも用意した。


 …それは、雀に対して使用するものだとしたら、拷問器具、という表現の方が相応しいものだった。


 彼は雀の涙を見たいがために、拘束した雀に対して「実験」を始めた。


 あるときは、雀の羽根を一本ずつ抜き取っていった。プチ、プチ、という感触は、人間の毛を抜く時とそう変わらなかった。雀は皮膚がむき出しになった翼をばたつかせ、苦しんだ。だが、涙は流さなかった。


 あるときは、雀の爪を一枚ずつ剥いでいった。一枚は素手でベリッとひと思いに剥がし、一枚はペンチで捻り、肌に爪を食い込ませながら剥がした。雀は自らの生爪を持った正樹の手を恨めしそうに睨んでいたが、泣くことはなかった。


 またあるときは、お爺さんが雀からつづらを貰うあの話のように、雀の舌をハサミでゆっくりと切っていった。最初、ハサミが舌を軽く潰し、それ以上潰れなくなると、徐々に刃が舌に食い込み、赤い鮮血の流れと共に舌が切れていった。雀はあまりの痛みに暴れたが、翼を釘で固定され動けない。だが、床に湿った音を立てて落ちた舌を見ても、雀の目は涙を流すどころか、むしろ渇いていくようにも見えた。


 実に五ヶ月もの間、この残酷な実験は続けられた。正樹はなぜか、雀の涙は「()()()()」によって流れるものだと信じていた。傍から見れば、妻からの仕打ちによるストレスを、雀にぶつけているようにも見えた。最も、彼の居場所はどこかは誰にも分からないので、見る者はいないのだが。確実なのは、その「発散(じっけん)」があまりにも酷であったことだ。しかし、そこまでされても、雀は涙を見せなかった。人間で言うならば、軽く武勇伝になりそうなくらいの仕打ちに耐えているのだ。だが、外界から閉ざされた雀は、誰にも認識されることは無かった。雀は結局、一羽の小鳥に過ぎなかった。


 正樹は五ヶ月という決して短くない期間、雀をいじめ抜いていたが、全く雀が涙を流さないことに苛立ちを覚えていた。ある晩正樹は、

「明日雀が泣かなかったら、こいつをぶっかけて殺してやる…」

 と呟き、純度の高いフッ化水素溶液の入った、禍々しさを感じる茶色の瓶を雀に見せつけるように取り出した。雀は幾分か怯えているように見えた。


 眠りから醒めた翌日、正樹はふと枕の横の床を見た。その床は濡れており、その真上には雀の拘束台があった。彼は慌てて飛び起きた。

「間違いない!雀の涙だ!昨日寝たあとに、恐怖で流したに違いない!」

 正樹は狂喜した。肝心の、涙をこぼす瞬間を見逃したが、彼にとってそんな事は今取るに足らぬこととなっていた。床に零れているとはいえ、やっと本物の雀の涙を見ることができたのだ。


 彼は早速その液体に触れた。

「ああ、これが雀の涙か…この感触…なんと……も………ぁ…………」

 四つん這いの姿勢のまま、正樹は倒れた。全身が麻痺していた。ふと拘束台に目をやると、フッ化水素溶液の瓶が倒れていた。起きたらすぐに雀を殺すつもりでいたので、瓶をあけっぱなしにしていたのが、夜の間に倒れ、中身が床に垂れたのだ。

「うぐっ…………クソぉ……………。……………………。………………………」

 五分の痙攣の後、彼は息絶えた。

 


 …………………………………



 ……………………………



 ………………………



 ……ポタッ。



 正樹の亡骸の上に、一滴の液体が零れる。フッ化水素溶液ではない。


 …それは雀の涙であった。一滴づつは小さく、でも量を重ねればそれなりのものになる、雀の涙であった。正樹が生前、とうとう見ることのできなかった、雀の涙であった。雀は泣き続けた。正樹に苦しめられた五ヶ月という長い時間を癒やすかのように、いつまでも泣き続けた。

 


 言うまでもなく、それは安堵と、喜びの涙であった。





〈了〉

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