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#30 Kiss(es)

 家に帰ると、夕食が既に用意されていました。


 それは友人が家に遊びに来た時に出されるものとしては、ずっと豪華で、私は少し申し訳なささえ覚えました。

 彼女の両親はすでに並んでいて、私は出来る限り丁寧に、挨拶し、そして話していました。


 アカネは時々、私が何か答えに迷ったり、あるいはそうでない時でも、例えば彼女の過去の話などが出そうになったりすると、話をそこで区切らせていました。柔らかい不機嫌さで。

 私はそれを見ていると、彼女も誰かの子供なのだなという気持ちを抱かずにはいられませんでした。彼女の冷静さは、彼女と私との精神的な年齢差を多く見せていたのです。




 その夜は、私は本当に自分の身分をずっと超えて厚遇されていました。


 本当に何も困るところがないぐらいで。私は変な気疲れを抱きながら、お風呂に入って、それから二階の部屋まで案内されました。

 アカネの妹の部屋ということでした。ひどくシンプルな部屋でした。ベッド、机、それからピアノ。それだけ。アカネの部屋の空白は、血筋なのかもしれないな、と私は思いました。

 もっとも、今は一人暮らしをしているという妹さんのその部屋は、だからこそ片付けられているだけなのかもしれないけれど。


 私は柔らかい布団の上を、潰すように一度横になって、天井を見ていました。白い壁紙でした。和紙のような凹凸が付けられた、よくある壁紙。

 不思議と、私はアカネのその実家に、一度慣れてしまった後はほとんど違和感を持ちませんでした。


 何というか、私の家と殆ど何も変わらないように思えたのです。同じ、鉄筋のマンションのはずの、アカネの横浜の家の方が、何か違和感が多かったような気すらするほど。




 それから私は何となくアカネを探しました。


 何となくというより、無意識に求めていた、という方が正しいのかもしれません。

 時刻は十時を少しぐらい過ぎた頃でした。彼女はお風呂から出て、ファッション性のひどく低い灰色のパジャマを着ていました。


「どうしたの?」と、彼女は私を認めるとそう言いました。


「何か、あった?」


「ううん、何でもない」


 彼女は私のその言葉に、続きを聞き出すために作られるのと同じ種類の微笑みを浮かべ、私の目をじっと見つめました。


 敵意の、一切ない目でした。


 私は座っている彼女に前から抱き着きました。午後と同じ種類の、同じ量の感覚が私を襲いました。暫くすると、彼女は私の背中に腕を回して。私は時が止まるようでした。


「どうしたの?」と、彼女は二回目にそう言いました。


「何か、あった?」


「ねえ、私、あなたが好きなのかもしれない」


 私は無意識にそう言葉を発していました。


「ううん、好きなの」


 それからは何かあっという間のことでした。私の頭の中で、足の爪先と頭の先の感覚が一周して、内臓は出来る限りの刺激を、脳に伝えてきました。

 冬のひどい日に、雪混じりの水に落ちたような衝撃が私の全体を襲いました。背中の皮膚が震える音がしました。たまらない、と私は思いました。もう壊れてしまいそうだ、と。




 そして私は唐突に理解したのです。私は彼女を本当に好きなのだ。求めているのだ、と。


 私の恋愛観はそして急激に壊れていきました。私は今までにこんな気持ちに一度もなったことがなかったのです。恋など、曖昧な感情を、それっぽい行為で埋めていくものなのだと思っていました。でも、ああ、そうではなかったのです。


 私は自分の身体を見失うようでした。壊れていく身体から、私を作る本当の何かが概念的な存在になって、抜けていくような感覚を、私は覚えました。


「私も、好きよ」


 彼女はそして、本当に何というか腹が立つほどに足の着いた答えを返しました。


「違うの、好きなのよ、本当に好きなの」


「私も、好きよ」


「そういうことじゃないの、ねえ、私あなたに惚れてしまっているみたい」


「大丈夫よ、落ち着いて」


「ねえ、好きなの」


 私はそれから彼女の唇をひどく強引に奪いました。


 歯の感触。


 私はそして急に後悔を覚えました。何をやっているんだ、私は。どうしてそんなことをしてしまうんだろう。こんなもの、嫌われてしまって当然じゃないか。


 互いにためらうような時間の中で、私はいつの間にか泣いていました。


 泣いていることに気付いたのと、彼女が私の頬に触れたのは、同時でした。彼女はそれから私の顔に口を近づけました。目を閉じて。

 彼女がしようとしていることは、私にもすぐに理解できました。けれど、本当にそれをするのかどうか、気持ち的に上手く確証が持てなくて、私はずっと目を開けたまま、それを見ていました。




 二回目のキスは、ひどく優しいものでした。


 私は今までよりよっぽど涙を流しました。もう気持ちがごちゃごちゃで、嬉しいんだか、悲しいんだか、辛いんだか、全くわからなくなってしまったのです。


「大丈夫、私も、好きだから」


 彼女は私の肩を、顔が見えるまでゆっくりと押して、そう言いました。彼女は本当に何の瑕疵もなく、微笑んでいました。


「だから、あなたがそうなら、それでもいい」


 私はそして再び彼女に口づけをされました。きつく抱きしめられながら。


 感じたのは、ひどく迷走した反射でした。その言葉は、私の心の奥に、本当に深く突き刺さって、それからその混迷した感情を私にもたらしたのです。

 好きな人に、好きと言われること。それは、きっとただ嬉しいだけの感情のはずなのに。私は言いようのない気持ちの悪さをも、同時に感じていました。


 私はそして二回目に唐突に理解したのです。私は、本当に彼女のことが好きなのだ、と。

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