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#18 New Year

 新年を迎えた、といっても、現代のシステムに、そんなものは殆ど関係なくて。私は梨紗との初詣も、紅白歌合戦も、何もかも、年明けという意識からは何となく少し外れた感覚で捉えていました。昔から、天は人の世とは無関係に、ただそこに或るものなのだ、なんて言うけれど。もう人の世にも、思うに、年越しの風習などほぼ残っていないのです。大晦日の月や、元旦の日が、全くその前後と変わりの無く輝いているように、この社会においても、その両日ともに、飛行機は空を飛び、スーパーにはモノが並び、経済はいつものように回るのですから。




 だから、現代において、新年とは、何かが変わった時に初めて実感されるものなのではないかと思うのです。新年という概念があって、そこに変化の記憶が付加されるのではなく、恐らくは、何かしらが変化したという認識と、年が明けたという実感は、きっとともに生まれて、不可分な存在になっているのです。


 そして、私がこの年に体験した初めての変化は、アカネが髪をバッサリと短くしたことでした。しかも、並ではなく、本当に短く。普通の場合、ロングヘアだった女性がショートにするとすれば、ふんわりとした曲線を描くように髪を調整して、輪郭を綺麗に見せようとするものですが、彼女はかなりラフで、動きのあるボーイッシュな髪型になっていたのです。それは私にとってかなりの驚きでした。どちらかと言えば、ずっと穏やかで、何となく凛として見える彼女が、自主的に選んだにしては、それはすごく勇敢な発想としか思えなかったのです。決して、似合っていなかったわけでも、私がショートカットの女性が嫌いなわけでもありませんが、それでも。文字にしてみると、もしくはそれはただの、女性の容姿に対する私の狭量な偏見にも思えてしまいますが。




 年が明けて、アカネに初めて会ったのは、二回目の火曜日になります。


 横浜に帰って来る、という報告と、会えないか、という提案が、その日の午前に訪れた彼女からのメールには同居していて。私は少し迷いながらも、結局は三限の後に新横浜の駅に向かうことに決めました。


 そして、新幹線の改札口の近くに立つ彼女と、私は会ったのです。耳が出ていて、首が完全に見えている、すっかりショートになったアカネに。彼女はそれだけでなく、目にうっすらと隈すら作っていました。


 髪型は気分転換で、隈は単純に寝不足なのだ、と彼女は言い訳しました。私は一応それに納得したような振りをして、それ以降は触れないことにしました。でも、それは何というか違和感のある弁明でした。髪型はさておき、寝不足で辛いのなら、私となんて会わずに、すぐ帰宅してしまえばいいのですから。それに、そもそも彼女から私に会いたいと欲するなんて、不思議なこととしか思えませんでした。もちろんそれは私が彼女との関係を高く積み上げたことの結果だと、肯定的にも解釈できることですし、私はその時実際問題として、とても嬉しかったのですが。でも、そのあまりに苦しい言い訳たちは、その件について彼女を追求する気持ちを、私の心の中から根こそぎ消し去っていきました。その苦しさは、アカネがその理由を本当に言いたくないのだと私に確信させるのには、十分以上だったのです。


 私たちはその後、新横浜の駅ビルに入ったカフェ付きのパン屋さんの中で、暫くの時間を過ごしました。私たちはいつものように言葉を交わしました。話題も雰囲気も、本当にいつも通りに。アカネは、最初にした、外見に対するその不可解な言い訳たち以外に、帰省中の話を一切しませんでしたから。それはもしかすると、特に話すことがなかったためだったかもしれませんが、でもそれにしても私は少しばかりの疑問を持たずにはいられませんでした。少しは非日常的だろう、一週間弱にも渡る体験の中に、何も話すことがないとしたら、人生で語るべきことなんて、ほんの僅かなものになってしまいますから。




 それから私たちはビルをエスカレーターで一階一階数えるように降りて、改札口まで戻りました。私はもうこれで終わりなのだろうと思っていて。来た道を引き返して、ジェイアールの改札へ向かおうとしていました。アカネも同じ路線だろうと思い、だからきっと、前の時と同じく、ホームで別れることになるのだろうなと、考えながら。


 その時でした。彼女が突然に私の腕を引いてきたのです。私が振り向くと、彼女はたじろぐように、はっと手を離して、それから暫くの間、私の目から視線を外しながら、唇をきつく結っていました。


「ねえ」と、そしてアカネは何かひどく重大な決断をしたような表情を浮かべながら、そう言いました。「来てほしいの、私の家まで。お願い」


 アカネのその切ないとも真剣ともとれる、何か悲痛さの重く混じったような声色に、私はあまり考える間もなく、さっと頷いていました。




 新横浜の地下鉄の駅は少し奥まった、目立たない場所にあって。どれくらい地味かと言うと、地下鉄に乗って行くのだと彼女が言った時、そんなものも通っているのだと、初めて知ったくらいなのです。私は彼女に案内されるまま、付いて行きました。


 その駅のホームは地下でしたが、電車は、動き出すとすぐに地上の景色を窓に映し始めました。夕方の電車内は、平日ということもあって、座席は殆ど埋まっていました。私たちはドアの横の手すりに陣取り、静かにずっと立っていました。ドアの、縦に長い窓は、軌道の防音壁から空中の電線までを一遍に映し、私の知らない街の景色を、背景にそっと流していました。恐らく、地下鉄と一体で整備されたのだろう沿線の住宅地は、立派な防音壁の、切れ目なく立ち並ぶ高架線から見ると、同じくらいの高さに整えられた建物たちが、切り株の列のようで。私は何となく親しみを覚えました。郊外という景色。何となく感じる生活感。人の存在。


 私は静かに興奮していました。嬉しかったのです。彼女の住む街や、場所を見るのが。部屋に招いてもらえるくらいには、彼女に心を開いてもらえているのだろうことが。私は、彼女の口をつぐんだままぼぉっと外を見続けている横顔を、同じようにぼぉっと視野に入れていました。感情を窺えないまま、ずっと。




 私たちはそれから少し先の駅で降りて、スーパーに寄り、すっかり暗くなった街路を歩いていきました。駅前はかなり都会で。アカネによればこの辺りで一番大きな街だということでした。スーパーで、アカネはカップ麺やそういう簡単な食べ物をいくつか買って。私はそのビニール袋を、彼女は彼女の小さな荷物を、それぞれにぶら下げながら、ゆっくりとアスファルトの上を進みました。


 彼女は交差点を何度も右左に曲がり、私たちは随分と長い間、電灯のうっすらと白く燈す夕闇の中を進み続けていました。彼女は何も言わず、時々何かを考えるように視線を上に動かしながら、脚を運んでいました。

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