#14 Autumn Leaves
「紅葉?」とアカネは言いました。
「そう、紅葉」と私はもう一度言いました。「綺麗な場所、知らない?」
「急にどうしたのよ。それに。私この辺りが地元じゃないんだけど」
「見たくなったのよ、何となく」と私は言いました。「あなたなら知ってるかなって」
「うーん、そうね」
そう言って、彼女は顎に手を当てました。
「庭園美術館とかかしら」
「それって、どこにあるの?」
「目黒駅の近く」
「ねえ、今度の土曜日、案内してくれない?」
「どうしてよ」アカネは眉間に少し皺を寄せながら言いました。
「もっと仲のいい友達とか彼氏と行きなさいよ、そういう場所は」
「私はあなたとすごく仲良くなったつもりだったんだけど」と私は言いました。
「それに、彼氏なんてきっといないわ」
彼女は暫く無表情に私の顔を見つめて。小さくため息をつきながらも、私との予定を承諾してくれました。
庭園美術館はこれ以上ないくらい、完璧に紅葉に包まれていました。
私はアカネと連れ立ってその贅沢な庭園を散策しました。もみじやいちょうや、そういう私たちが思いつくだろう限り全ての色付く木々たちは皆そこにあって、そしてそれらは全て完璧に秋の色に染められていました。
「どう? ここでよかった?」とアカネは私に聞きました。
「うん、よかった」と、私はそれに答えました。私は魅了されていました。少しだけ風の吹く日で。落ちゆく葉はそれに煽られ、何かを諦めたような静かさで、地面に積もっていきました。失われてゆく体温の感触と、あまり希望的とも言えない葉のそんなような末路も、それはそれで私は好きでした。それから彼女は私のことを見てくすっと笑いました。
せっかくだから、とそしてアカネは言いました。美術館も見に行くでしょ?、と。
美術館の本体は、コンクリートとガラスで作られた小さな現代の城郭のような場所でした。大きな化粧箱の上に、一回り小さなそれを角を合わせて重ねたような、キュートで直線的な構造に、遊び心で円柱と立方体をいくつか括り付けたみたいな概観で。でも近付くと神経を尖らせた細工がガラス一枚一枚に至るまで広がっている。そんな建物。
「旧朝香宮邸」、とアカネは文字を区切るように言いました。
「ほんと、何度見ても、綺麗すぎてため息が出る」と、それに言い継ぎながら。
中身もその外観に負けないくらい、洗練されていました。白く塗り重ねられた天井は、菱形の幾何学的な飾りを、数えられないくらい抱えて。吊るされた歯車のような形のガラスのシャンデリアは、部屋を上品に照らしながら、それ自体も手の掛かった芸術品であるのだという側面をも、慎ましやかながら確実に私に伝えていました。
私は部屋に入るたびにすごいと声を出して、彼女はそのたびに私に微笑んでくれました。彼女はあるいは解説みたいなことまでしてくれました。装飾について。アールデコというもの。一九二五年のパリ万博。
時々、壁やら天井やらを指さしてまで語る彼女は、私にはひどくまぶしく見えました。彼女のその説明は、決して知識を披露する快感には操られていませんでした。アカネはごくごく冷静な声で、よく考えられ整理された文体を用いながら解説してくれたのです。
私は想像しました。一九二九年。ニューヨークで起こった恐慌の最中、時勢を顧みない金本位制の回復が行われ、日本から金が大量流失。一九三三年。ドイツでヒトラー政権の独裁が確立し、日本は国際連盟を脱退。関東軍が中国華北地域に進攻。建物が作られたのはそんな時期でした。つまり、彼女によれば、国に現実的な人々の悲劇と、虚構的で構造的な悲劇が襲い掛かり、軍の実権掌握が進んでいたまさにその時、東京ではアールデコの最高傑作とも称される美術界の至宝が、数多の名誉ある人々の手によって、着々と作られていたのです。その国策のあまりの無方向性さは虚構的な作り話のように一瞬感じられて、でも一方で現実とはそういうものなのかもしれないと私に思わせました。人間が見られるのは自分の前方の、しかもわずかな距離のみで。それ以外は所詮、想像力の問題なのです。そして、人のそれは一般に、未来に対しては殆ど無力と言っていいほどのものなのです。恐らくは、どんなに優れた人であっても。
二階から望む外の紅葉は、その輪郭がはっきりしている分、余計に綺麗で。しかも、その風景は、部屋の豪華ながらもすっきりとした上品な雰囲気とよく合っていて。それは本当に恐ろしくなるくらいのものでした。
「ねえ、綺麗すぎて。綺麗すぎて逆に暗いこと考えちゃう」と私はアカネに言いました。
「実はね、私もよ」それから彼女は少し寂しそうに言いました。
「人って、そんなものなのかもしれないわね」
優美さを表すように少し暗い色を纏った、白い絨毯の上で、彼女はちょっとだけ上半身を曲げて、私を見つめていました。彼女の後ろには、同じような雅さを纏ったベージュ色のカーテンが芸術的に折り曲げられ、その向こうの木々を映すガラスを、切り取り隠していました。それはとても、怖いくらいに風雅なものでしたが、一方で、折角の景色が勿体ないと思ってしまうくらいのものでした。
高貴というものは、と私は思いました。つまりはそういうものなのでしょう。
私たちはそれから目黒線のホームで別れました。私の方向の電車の方が先に来て、彼女は電車に乗り込む私に手を振ってくれました。
穏やかな日でした。本当に穏やかな。